―― ここからはアルバム『STILL GOING ON』についてお伺いしていきます。まずアルバムの入り口となるのは「とまり木」です。
これは身も蓋もない言い方ですけど、下北沢の駅前の景色と行きつけのバーがモデルになっている曲ですね。
―― ちなみに竹原さんは<月>がお好きですか? この曲にも<半分に割れた白い月>という描写がありますが、他の楽曲でも景色の中に<月>がよく登場しますよね。
そうそう。月、好きですねー。本当に多くの曲に<月>が出てくる気がします。月を見ながら曲を書いたことはないんですけれども、やっぱりライブが終わった帰り道、ぽつーんと月が綺麗だったりするんですよ。夜に何かを思ったり、考えたりすることも多いし。そういう影響は大きいと思います。
―― また、細かいところですが、サビの<ここまでを来れたんだ ここからを行けないわけがねーさ>というフレーズは、2回目まで「“ ”(二重引用符)」で括られていますが、最後だけは「“ ”」がありませんね。
ここはずっとずーっとあった想いを強調して表したくて。だから「“ ”」は「こうやって繰り返し思いながらやってきたよね」という気持ちが伝わったらなという意図ですね。そして最後はそれを思っているだけではなく歌として吐き出すようなイメージです。
―― この独特なフレーズの言い回しはまさに“竹原節”ですね。
このややこしいグルグルですよね(笑)。言葉をひっくり返したり、「てにをは」を変えて意味を変えたり、ややこしくしたりすると、なんか落ち着くんですよ。もはやこれはギター弾くときの手癖のようなものだと思いますね。自分の書き癖です。
―― 2曲目「たった二種類の金魚鉢」は、狭い<金魚鉢>という空間に暮らすふたりの“共依存”のような関係を描かれたのでしょうか。
そうですね。これは4~5年前に出させていただいた、映画『永い言い訳』の台本を読んだときに、そこから連想して書いた曲なんです。まさに親子や夫婦や恋人、いろんな関係に当てはまるようなイメージで。
―― 先ほどの“竹原節”のお話にも通じますが<お魚はいいね 水の中では涙を気づかれずにすむだろうお魚はかなしいね 水の中では涙に気づいてもらえないだろう>と、ひとつの物事をふたつの視点から描くような書き方も竹原さんらしいですね。
はい、これもやっぱり落ち着くんですよね。いろんな視点から書こうとか、そこまで深く考えているわけではないんです。ただ、すごく感覚的な話で申し訳ないんですけど、フレーズの意味をひっくり返して並べることで、均等にするというか、プラマイゼロにするというか。でも単にプラマイゼロになるんじゃなく、そこに余韻が生まれるような。あと自分の変な几帳面さ、神経質さも恥ずかしながら自覚していて。なんか「1行目をこう書いたら、2行目はこう書けば、平等だな」みたいな、変なこだわりがあるんですよね。
―― 歌の“人称”はどのように決められていますか? この「たった二種類の金魚鉢」は<わたし>と<あなた>で、4曲目「なにもしないがしたい」は<ぼく>と<君>、5曲目「あっかんべ、だぜ故郷」は<俺>、6曲目「南十字星(はいむるぶし)」は漢字の<私>と、曲によって異なりますね。
歌詞のふかふか加減で選んでいますね。強かったり、殺伐としていたり、自分自身が投影されているようなやつが主人公だと<俺>になるし。ちょっと自分から離したいときには<ぼく>になるし。さらに離したいときには<わたし>になってくる
自分の場合、サビにもタイトルにもなり得る強いワンフレーズを、日々ずっと考えているんですよ。で、力を持ったフレーズが浮かんだら、それをサビに持ってくる。そして「じゃあ何をもってこのワンフレーズにたどり着いたのでしょうか」というシチュエーションを考えていくことで、1曲分の歌詞ができるんです。だから「何をもって」の部分を考えていくうちに、<俺>なのか<ぼく>なのか<わたし>なのか、何がふさわしいか決まってくる感じなんですね。
主人公はその核となるワンフレーズ次第ですし、主人公が誰かわかるのは、結構あとのほうです。書き上げてみて「まんま俺じゃんか」ってなることもあれば、「まったくの他人の話だな」ってなることもある。頭から自己投影をしようとか、自分自身を主人公にしようと決めつけて書く曲は、実は少なかったりします。今回も「ギラギラなやつをまだ持ってる」は、まんま自分の歌として<俺が竹原ピストル>とか書きましたけど、他の曲はどんな主人公にでもなり得る可能性がありましたね。
―― 5曲目の「あっかんべ、だぜ故郷」は、ワンフレーズごとに「。(句点)」がついていますね。他の収録曲でも「。」が多く打たれている歌詞があるのですが、これは感覚的につけるのでしょうか。それとも意図的につけるのでしょうか。
本当だ。こうやって改めて歌詞を読んでみると、結構「。」を打っていますね。でも考えてみたことなかったなぁ。決して無意識でやっているものではないけれど…。自分が感覚的にしっくりくるからこうしたいと思うことと、何かしらの効果を持たせようとしていることって、時にイコールなのかもしれないです。…いや、やっぱり効果を狙っているのかな。
たとえば11曲目の「きーぷ、うぉーきんぐ!!」とか、タイトルがひらがなじゃないですか。この曲の主人公って、うじうじグタグタ考えながら酒を呑んでいる青年なんですね。こいつを主人公にしたタイトルを考えたときに、カタカナはなんか違う感じがするし、ましてや英語ではない。言葉は悪いけど、すごくバカっぽくするために「きーぷ、うぉーきんぐ!!」ってひらがなにしているわけなんです。しかも「きーぷ」のあとに「、」を打つことで余計にバカっぽいじゃないですか。そう考えると、効果を狙っていますよね。同じように「。」も何らかの効果を狙って、その時々でつけていることが多いような気がします。なんか今、久しぶりに歌詞をまじまじと見ました(笑)。