自分自身のためだけには もう 選べなくなってきたこと 嬉しく思うのさまたひとつ歳を重ねて またひとつ意味を宿して
楽しくありたいと願うと 「誰かのため」が増える 人間冥利
何回だって笑いたい 生きていて良かったって
歓ぶ顔が見たいと 自分のために思う 人間冥利
何があっても 何がなくても あなたがいないともっと歌詞を見る
―― これまで素敵な歌詞エッセイを何度も執筆いただき、誠にありがとうございます。書くことや自分の想いを言葉にすることは、幼い頃からわりと得意でしたか?
いや、そんなことはありませんでした。むしろ読書感想文とか作文とか好きじゃなかった(笑)。でも読むのは好きでしたね。とくに漫画。小学校の頃、歴史を漫画で学べる本とかあったじゃないですか。ああいうもの含め、いろんな漫画を読むのが好きでした。あと、言葉の記憶が何か鮮明にあるわけではないけれど、ノスタルジーというか、郷愁というか、懐かしみというか、そういう時間は好きだったかもしれないです。
―― どこかもの寂しさのようなものを感じられていたのでしょうか。
そうですね。たとえば、放課後3時半すぎぐらいの帰り道。小雨がパラついているんだけど、傘は持っていなくて…、みたいなときのなんとも言えない憂鬱感。今振り返ると、子どもながらにあのザワッとした感じが嫌いじゃなかったのかもなって。
―― 大人になってからも、天気や空気の匂いによってその感覚がふと蘇ってきたりしますよね。
そうそう。あとね、これも子どもの頃、真冬に親に忘年会に連れていかれて。大きめの個室で鍋をやっているんですけど、どんどん湿気て暑くなってきて、外に出たんですよ。で、寒い風を浴びながら、背中越しに楽しそうな声が聞こえているあの感じ。大人になってから、「ああいう瞬間、ねーかなー」ってめっちゃ思う(笑)。もしかしたら、子どもの頃から自分の根本にある好きな感覚なのかもしれないです。だからそういう感覚がまた落ちてないか探しているし、年々それが好きになっている気がしますね。
―― では、いちばん最初に音楽に心を動かされたような記憶というといかがですか?
自分でCDが欲しいと思ったとか、バンドに興味を持ったとか、そういう点だとGLAYさんの音楽ですね。ただ、思い出してみると、合唱曲でも切ない曲がすごく好きだったんです。たとえば…「赤いやねの家」って知ってますか?
―― いえ、聴いたことないです…!
<電車のまどから 見える赤いやねは>~♪って始まって。昔住んでいた家を電車の窓から覗いて、今は他のひとが住んでいるのかなぁと想いを馳せるような歌詞なんですね。そういうセンチメンタルを感じるコード進行とかメロディーとか歌詞とかが好きでした。それはかなりルーツとして今に繋がっている気がしますね。
―― 柳沢さんが歌詞を最初に書いたのはいつ頃ですか?
中1ぐらいかなぁ…。小学校6年生の頃に初めてバンドを結成したんですよ。そして中学に上がって、オリジナル曲を作ってみようと。まぁ…「頑張ろう」みたいなことを書いていたのかなぁ。
―― 応援歌が多かったのでしょうか。
いや、「自分が頑張ろう」ですね。当時の歌詞はあくまで自分が主体だったんです。誰かに向けてというよりも、自分がこう思うってことを書くことが多かった。あと、そのとき自分が想いを寄せている相手に対して書いてみたり(笑)。
―― 自分が主体で書いていた歌詞と、SUPER BEAVERの楽曲として書く歌詞はだいぶ変わりそうですね。歌うのは渋谷龍太さんですし。
最初は正直あんまりよく考えてなかったんです。でも途中からそれをすごく意識するようになりましたね。とくにここ数年。話し言葉で考えるとわかりやすいんですけど、同じことを言うにしても、「こんな言葉遣いしないよな、ぶーやん(渋谷)は」とか。僕とぶーやん(渋谷)は性格も違うので、「こういう性格のやつだったら、物語のここでこういう行動はしないよな」とか。あと、女性アーティストの方に楽曲提供する機会が何度かあったのも大きくて。
―― たしかに、SCANDALさんや井上苑子さんに似合う言葉と、渋谷さんに似合う言葉は異なりますよね。
そうなんですよ。言いたいことの本質としては同じだとしても、それを伝える術としての、シチュエーションや言葉遣いは、そのひとに似合うものを考えるというか。歌うひとの顔を意識して歌詞を書くようになりましたね。
―― 渋谷さんの歌声って、たとえば「人生」とか「人間」とか、そういう大きな言葉も背負えるというか。こぼれてしまわない不思議な大きさがある気がします。
これは本人が言っていたんですけど、「自分はシリアスな声」なんだと。その温度感って逆に、くだけたテーマや言葉を迂闊に発すると似合わないんですよ。それはいい意味だと、「人生」とか「人間」とかを歌ったとき、かなり真摯に本気に聴こえる。その特性はすごくありますね。ビーバーが歌の題材にしているものや歌詞の質感と合っている声だと思います。だから僕が曲を書いていても、実際にぶーやん(渋谷)が歌うことでやっと言葉が動き出すような感覚がありますね。