自由に書いていい楽曲こそ、全英語詞であることが多い。

―― 収録曲「Clan」と「Into the Mirror」は全英語詞の楽曲ですね。英語の歌詞だからこそできることというと?

たとえば「Clan」の<Watch me, I’m not who I used to be, used to be>とか、ああいった言葉の回し方、音の跳ね方は、日本語ではなかなか表現できないなと思います。英語ってすごく音を跳ばせるんですよ。勢いがあって、跳び箱の跳び台みたいな役割になることが多い。

母音も消せるので、自分のメロディー次第でかなり変幻自在に動かせるのが、便利なところです。あと、短い音のなかに、小さい言葉を入れても意味が成立するので、言葉数が少なくても世界観を大きく広げられる。日本語とはだいぶ役割分担が違うイメージですね。

―― 「Clan」は日本語に訳す前から、描かれている世界の雰囲気、感情の強さや鋭さが伝わってきました。それは英語の音自体が持つ力も大きいんですね。

そうなんです。濁音も日本語よりずっと多いから。たとえば<goes>とか、「s」がつくだけで「ズ」の音でかなり強いアクセントになったり。英語は日本語でいう「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」の音も多いので、低い重みも出しやすいですね。とくに「Clan」のようなアグレッシブな曲には、ガンガン使っていきます。

そういうアクセントを日本語でつけたい場合、私は「か行」と「さ行」を強くしていて。逆に、「Always You」のように丸みを帯びた音遣いにしたいときは、濁音の言葉を自然と避けていますね。

―― miletさんの歌詞は、英語と日本語の混合タイプであっても、そのバランスというか、切り替わりの滑らかさが心地よいです。作詞の際に何か気をつけることはありますか?

こればっかりは頭で考えても仕方ないかもしれません。自分で口に出しながら作詞していくのがいちばん大事で。いかにシームレスに日本語と英語を繋げるか。いかに言葉の意味が矛盾しないか。お互いの音のタッチを活かし合うことに重きを置いています。

角ばった音でパキッと決めたいときには、日本語で魅せたり。逆に、平たんに聴いてもらいたいときには、滑らかさや丸みを帯びた英語のほうがよかったり。歌い心地、聴き心地がいいポイントが必ずあるので、そこを自分の感覚でうまく掴んでいく感じですね。

―― タイアップが関係ないとしたら、miletさんはどんな曲を書きたくなることが多いのでしょうか。

自由に書いていい楽曲こそ、全英語詞であることが多い気がします。いろいろ曲を作っていくなか、みんなに届けたい歌が増えた一方で、「全員に分かってもらえなくてもいいもん!」って思っている自分の面もあって(笑)。そういったプライベートなことも、自分の道しるべというか、思い出のように音楽で残したいんです。自分のためだけに曲を作れるようになった、リラックスして作れるようになったのは、最近の大きな変化ですね。

―― 「Into the Mirror」は、どのように生まれた楽曲ですか?

今年の7月20日に、『milet 3rd anniversary live “INTO THE MIRROR”』って名前の3周年記念アニバーサリーライブがありまして。「せっかくだし、同じタイトルの曲でも作っちゃおうか! しかもライブでお披露目したら盛り上がりそうじゃない?」という気持ちで作り始めたんです。

そして、ライブタイトルの「Into the Mirror」は、音楽という鏡に、なりたい自分の姿をみんなが映していけますようにという願いを込めたポジティブな意味で。逆に曲のほうは、それこそ全英語詞で、私は自分の内側を映しているだけ。誰かに見せるためじゃなくて、自分が見たいから。本当にインナーに向かって歌っている。

1曲のなかに、自分の冷静な部分と、ちょっと血の気のある部分を同時に封じ込めました。これも一種のプライベートな曲ですね。

―― ということは、歌詞の<you>は自分自身なんですね。

そうです! 鏡に映る自分を<you>と呼んでいるんです。好きな自分も憎い自分も、何があっても表裏一体であってしまうのが、悲しいというか、宿命で。だけど、その姿はどんどん変えていける可能性もあることを自分に言い聞かせているところもあって。鏡に映るそのままの自分も好きだし、愛してはいると思う。そんな曖昧な部分を縫っている曲だと思います。

―― プライベートなことを含め、活動のなかで、書きたいことや価値観などは変わってきましたか?

核になる部分はあまり変わらないんですけど、それを表現する方法がいろいろ身についてきたかもしれません。たとえば、「愛」を表現するとき、昔だったら親の愛、友だちの愛、恋人の愛、そういうものしか知りませんでした。でも今は、そばにいなくても応援してくださるファンの方たちの愛だったり、遠くにいてなかなか会えないひとたちの愛だったり、自分がよりいろんな「愛」を受け取って、いろんな「愛」を知るようになった。だからこそ、「誰に届けたいか」で言葉選びをだいぶ変えるようになったなと思います。

―― miletさんにとって、歌詞とはどういう存在のものですか?

あるときは手紙であり、あるときは気持ちを封印する御札みたいなもの。とくに自分の内側を歌うものに関しては、「もうこの感情はこの歌詞で封印する。だから安心して歌われてください」っていう。

―― 成仏のような。

そうです!今回でいうと「Into the Mirror」みたいな歌詞って、作っているときは楽しいけど、結構引っ張ってくるものも多くて。「自分は表現するために、何を言いたいんだろう」とか。「あのときの記憶を掘り起こさないと」とか。かなり労力が必要で。だからこそ、「でもそれはここで完結だから、あなたはここで落ち着きなさい」みたいな役割があって(笑)。ちゃんと言葉にできたっていう、感情の完結場所みたいな存在でもありますね。

―― それはきっと日記ともまた違いますね。

日記じゃないなぁ。同じ「好きだよ」って気持ちでも、歌詞ひとつ、メロディーひとつで、違う「好きだよ」になっていくじゃないですか。だから1ミリでも違う「好きだよ」があった自分を、保存しておけるデーターベースみたいな役割でもあると思うし。「自分がこんな感情になれました」って生きた記録でもありますね。

―― 歌詞を書くことで気づくこともたくさんありそうですね。

あります! 「なんだ、大したことなかったじゃん!」とか(笑)。逆に、「こんなに記憶を掘り起こすほど、実はあのことを根に持っていたのかぁ」とか。歌詞にすることで、嫌だったものがスッキリすることもあれば、もっと生々しく上書きされることもある。でも、どっちでもいいなと思うんですよね。美化したいものはすればいいし、嫌なまま置いときたいものは置いといていいし。私にとって歌詞はそういうものですね。

―― ありがとうございます! では最後に、これから挑戦してみたい歌詞を教えてください。

自分で言葉を作りたいという気持ちがあります。もちろん言葉の意味も好きなんですけど、私は言葉の音がすごく好きで。子音と母音の組み合わせだったり、跳ねる音のアクセントの入れ方だったり、かなり考えて作詞をしているんですね。だから、自分が本当に好きな音の響きだけを繋げて、そこに自分で意味を乗せてみたいというか。実在しない言葉だけど、それを歌詞として歌うことに挑戦してみたい。

―― 言葉の実験ですね。

ある意味、言語を作るというか。でも…、暴力的なものとか、ひとをネガティブにさせるような言葉は使わないのが私のルールでもあって。たとえ自分のプライベートを歌った、「聴きたかったら聴いてね」ってスタンスの曲でも、やっぱり聴き手がいる以上、その音楽が作用する可能性を歌い手として考えていかないと。

私は自分の曲を聴いてくれるひとに、もっと前を向いてもらいたいし、生きてもらいたい気持ちがあるので。言葉の可能性はよく考えて、今の時代だからこそ、より慎重な言葉選びをしていきたいなと思いますね。


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