プレイバックでTERUの声を聴いたとき、泣けて泣けて。

―― ニューシングルのタイトル曲「Only One,Only You」は、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が制作のきっかけである楽曲ですね。この歌からもやはりひとつの「覚悟」を感じます。

今、戦場にいる兵士たちは、自分の行動による副作用をどれぐらい理解して、上官の命令に従っているのだろうか。そういう疑問を提示したいというひとつの覚悟からスタートした曲ですね。上官は当たり前に、「行ってこい」「撃ってこい」「奪ってこい」と言う。そこに「なんで?」という言葉が入り込む余地がないまま、引き金を引かなければならない。だけど、してしまったことを背負って生きるのは本人なわけだから。戦争が終わったあとの現実をどれだけ想像しながら動いているのか。それが「Only One,Only You」の裏テーマとしてありました。

何100年経っても、人は学ばない。この令和において、まだ戦後のメンタルを考えずに戦うことがどうも疑問で。だからこそ、兵隊さんひとりひとりに伝えたかったんですよね。あなたしか、目の前の敵を生かすことはできない。正しいことをしてほしい。上官の命令に従って、目の前の敵を殺す損得だけ考えてもいいけれど、どうしたって両者にもたらすものは不幸しかないことに気づいているはずなのに。

―― ひとりの兵隊をひとりの人間として見つめて、向き合って、話しかけるような感覚だったんですね。

そうですね。第二次世界大戦だって、八百屋さんがいきなり赤紙をもらって、戦場に連れていかれて、包丁からマシンガンを持たされるようなものだったじゃないですか。そこが今も大して変わらない。だけど家に帰れば彼らも僕と同じように、ただ誰かの夫であり、誰かの子どもである。戦争用の兵士として作られたわけではない。訓練している最中ですらね。それがいきなり実戦に置かれたとき、そこまで人間の心は強いものなのだろうかということも考えながら歌詞を書きました。

でも答えは知っています。多分、彼らは耐えられない。戦地に出向いたひとたちに待っている未来は、彼らが10代の頃に想像していた人生よりもはるかに暗くて…重い傷。その傷は一生、彼らを逃さないんじゃないかな。離してはくれないですよね。

―― 彼らを待ち受けるそういう未来を想像しながら、この歌詞を書くのは、TAKUROさんご自身もかなりお辛い部分があったのではないでしょうか。

書いているときは気を張っていたんですけどねぇ…。歌入れが終わって、プレイバックでTERUの声を聴いたとき、泣けて泣けて。あんなに悲しい涙は人生でもなかなかないですね。でもひとつ、TERUの歌声が希望に満ちていた。最後の最後、人間を信じるに値する何かみたいなものを感じることができた。それでまだこうやって頑張れているところがあります。

これは先ほどお話した、「誰かを傷つけるかもしれない覚悟」とはまた別に、「自分の気持ちを抉ってでも書かないといけない覚悟」がありました。これまでの体験としても、想いって本気じゃないと届かないとわかっているので、こっちも本気で書くんだけど。まぁ…しんどい。しんどかった。それでもやっぱり、僕の歌詞の出発点がルポタージュやドキュメントであるのだから、自分ができることはこういうことなんだろうなって。それに今は、その辛さを一緒に慰め合えるメンバーもスタッフもファンもいるので、俺は恵まれているとも思いますね。

―― 歌詞はどのフレーズがいちばん最初に生まれたのですか?

冒頭はわりと何度も直したんですよ。でも<自由とは何かと問われて すぐに答えれる自分でいろ>というフレーズは、常々思っていることで。そして自分のなかで、ある種の答えが出たので、最初に書けたんだと思います。

―― その「答え」をお伺いしてもいいですか?

僕が導き出した答えはね、たとえば今、「自由とは何ですか?」って僕が訊いて、そして「私にとっては…」ってやり取りをする。この会話そのものが自由だと思うんですよ。

―― なるほど。自由について話せること自体が、自由。

そう。70~80年前だったら、「息子を戦争に送りたいですか?」と問われて俺が、「送りたくない」って言ったら捕まっていた。だから訊きたいことも訊けない。自分の本心も言えない。それは自由の出発点からすでに終わっているじゃないですか。前作のアルバム『FREEDOM ONLY』は、また違った自由に関する考察が詰まった作品だったんですね。その体験のなかで、いちばんの自由とは、いつでもどこでも誰とでも「自由」について話せることなんだとわかったんです。

だけど、自分のことすら欺かなければいけない事態をまた繰り返しかけている。たとえばコロナ禍で、自由に行動できないとか。マスク外す外さないとか。何かしら誰かの目を気にして生きていかなければならない体験を経て、改めて「自由に話せることの価値」について考えたところもありますね。

―― また、<全ての願いが叶うわけじゃないなら あの子の願いを先に叶えてあげて欲しいと父(かれ)は叫んだ>というフレーズも心を揺さぶられました。

photo_02です。

こういうことを書くようになったのは多分、自分が父親になってからでしょうね。自分の願いより優先するものができたとき、違うフェーズに入った気がしました。最初、息子が生まれたときに思ったもんな。「この子が100歳になるときには、俺は絶対にこの世にいないんだ」って。それは圧倒的なリアリティーとして。「この子との時間もそうだけど、自分はよりちゃんと生きていかなきゃいけない」と感じたとき、横の線しかなかった歌の、縦の線がグッと太くなった。そうやって自分の人生がクリアになるとき、歌うべき事柄が見つかるんじゃないかな。

―― ご自身が残した世界のあとを、お子さんが生きていくんですもんね。

だから言葉というひとつの発明はいいですよね。1000年後とまでは言わないけれど、100年後の遠い未来にも、俺のメッセージを送ることができるわけで。誰かの古い倉庫から、GLAYのCDが出てきてさ。未来にもうCDプレイヤーがないとしても、文字は残っているだろうし。100年前にTAKUROというひとりの男が、こういうことを考えていたと後世に伝えられる。

実際に俺は歌ネットを見て、とっくに亡くなったひとたちの歌詞に改めて出会って、何度も感動しているんですよ。文字には限界があるし、たやすく嘘もつく。だけど今の自分に必要な生きる糧もたくさん歌詞からもらっているので。自分自身いろんな言葉の顔を楽しみたいし、未来の誰かも励ませられるような存在でありたいなと思いますね。

―― 先ほどのフレーズは、曲だけを聴いていると<かれ>なのですが、歌詞を文字で読んだときに初めて<かれ>が<父>であるとわかるところもグッときます。

そう、俺が歌の好きなところはこういうところです。歌詞を読むことで、より想像しやすくなる。意味を文字の表記で変えることができる。そういうのがGLAYには結構あって。前もバラエティー番組かなんかで取り上げられたんですよね。尾崎豊でいう、「生活」と書いて「くらし」と読むみたいな(笑)。俺が尾崎の影響を受けすぎているんですよ。これが言葉遊びとしてとっても好きで。歌詞を二段階で楽しめるおもしろさがありますよね。

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