「すぐ帰る」が遺言 アンチノミー アンチノミー 心のバグだ
人として憤れ 感情を踏みにじる全てへ
機械仕掛けの涙 それに震えるこの心は誰のものもっと歌詞を見る
―― 音楽に最初に心を動かされた記憶というと、どんなものが浮かびますか?
小学生の頃、姉が聴いていたTMN(TM NETWORK)をかっこいいなと思ったのが最初だと思います。それから自分でTMNのCDを買って集めて、小室哲哉に憧れてお年玉でキーボードを買ったのが小6でした。
―― 感情や思っていることを言語化することは、子どもの頃から得意だったのでしょうか。
話下手の子どもでした。それは今も変わっていません。でもそんな卑屈でもなく、特に暗いというわけでもなく、少し引っ込み思案な普通の子どもだったと思います。
小6からオリジナル曲を作ったりはしてましたが、純粋に音楽が楽しくて作っていただけでした。高校生くらいになって、ビートロック的なバンドをやり始めてから多少のメッセージ性を曲に込めるようになったと思います。
―― 人生でいちばん最初に書いた歌詞は覚えていますか?
覚えてないですけど「大人はくそ」みたいな歌詞を書いていた気がします。
―― amazarashiの由来であり、音楽コンセプトでもある、「日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨に例え、僕らは雨曝だが“それでも”…」と希望を求めていく“アンチニヒリズム”の軸は、どのように形成されたものなのでしょうか。
amazarashi結成当時は人生に絶望していたので、それをそのまま歌っていた感じです。それでも当時は色んな曲調をやっていました。ただのラブソングも明るい前向きな曲も。
その中で多くの人に褒められたのが「光、再考」という曲で、そういう自分をさらけ出したものが自分に向いてるのかなって徐々に導かれた感覚はあります。自分の負の部分が武器になる、と気付いた頃からですかね。
―― ひろむさんの歌声は、「命」「生きる」「死ぬ」といった言葉(テーマ)を、聴き手の心の奥まで響かせる説得力・重みを帯びているように感じます。改めてご自身の歌声を客観的に言語化するとしたら、どんな特性を持っていると思いますか?
多分、一般的に変な声なんですよ。でも変だから人の耳に引っ掛かりやすいんだと思います。これはデビュー当時にディレクターに言われたことで、なんとなく納得してます。アマチュア時代から、歌が上手い人や声が綺麗な人は山ほどいましたけど、多少いびつなもののほうが存在感を示せるんだと思います。
―― ご自身の歌詞がちゃんと聴き手に届いている実感があったタイミングというといかがでしょうか。
やっぱりデビューライブでしょうか。渋谷WWWでライブしたとき沢山の人が観に来てくれて、やっていたことは間違いじゃないんだなと思いました。
―― ひろむさんの歌詞には、生きていくなかで感じる絶望、大切なものを奪おうとするものに対する怒りや抵抗が、辛辣・攻撃的な表現で綴られています。時には、その言葉選びに迷われることもあるのでしょうか。
言葉の辛辣さで迷うことはありませんが、詩として面白い表現ができているか? と迷うことは多いです。ほとんど全ての曲が迷いを経てできた曲たちです。自分がわくわくできて、これを歌いたいと思うような歌詞を目指して書いています。
―― 個人として生きていくなかで、徐々に死生観が変わってくるところもあると思います。過去にご自身が書いた曲を今歌ってみたとき、少し感じ方・捉え方が異なることはありますか?
根本的な部分は変わってないです。昔の曲を歌っていて懐かしいなと思うことはよくありますし、昔の自分やるじゃんって思うこともあります。
最近ライブで「爆弾の作り方」とか「あんたへ」とか昔の曲を歌ったんですけど、当時との距離感は感じるものの、ああそうだよなって昔の自分に説得されている感覚がありました。
―― タイアップが関係ない場合、どんなときに曲を作りたくなったり、歌詞を書きたくなったりしますか?
いい作品に触れたときに曲を作りたくなります。負けてられないと思ったときにモチベーションが上がります。
―― 年齢や経験を重ねるにつれて、価値観や書きたいもの、作詞法など歌詞面で変化を感じるところはありますか?
昔は怒りが原動力だったけど、最近それは少なくなりました。昔から、世の中に思い知らせて幸せを勝ち取るっていう道筋は見えていたのですが、それを果たしてようやく音楽を音楽として楽しめる環境を勝ち取ったんだと感じています。
作詞はより込み入った比喩表現に挑戦したい気持ちが増えた気がします。でもそれは伝わりにくくなったりもするので、まだそのバランスに試行錯誤したりして、それが楽しいっていう最近です。