―― 2曲目「Pianista」はHISASHIさんの作詞作曲で、先ほどTAKUROさんが「歌詞が大好き」とおっしゃっていた曲ですね。
俺にとってメンバーが書いた曲を弾くことって、文化祭でバンドのリーダーから、「この曲をやるからコピーしておいて」って言われる感覚に近いんですよ。知らない曲だし、俺の好みでもないけれど、バンマスがそう言うから…ってやってみたら、すげぇ楽しいし、スキルアップに繋がるし、新しい世界が開く。だけどこの「Pianista」は歌詞を読んだときから、死生観、無常観みたいなものを強烈に感じて、珍しくずいぶん本音を言ったなって。
―― 具体的にはどのようなHISASHIさんの本音を感じたのでしょうか。
フレーズで言うと、<生きる事と生かされる意味問い正す暇もなく>なんて非常によくわかる。そんなことを真正面から考えられるほど余裕もないけれど、どんどん老いていくわけだから。俺なんかは子どもをもった瞬間から、「この子が100歳になる頃には俺は世の中にいないんだ」って明確に意識し、生まれてくれた喜びと同時に自分の死のカウントが始まったんですよ。それはきっと同級生であるHISASHIも少なからず感じていることで。
俺らが17歳だったら、GLAYが憧れる永続性・永遠性を無邪気に信じられたんだろうけれど、今は永遠でないことを十二分に理解している。それでも歌わずにいられない。HISASHIのなかの少年性が、そういう複雑な感情を書かせている気がするんですよね。彼は他の曲だともうちょっと作家っぽいんですよ。テクニックで書けるひとだから。だからなおさら本音を感じるのかな。
―― 歌のなかぐらいは永遠を信じたい気持ちというか。
そう。だって絶対に<希望の彼方 限界は無い>なんて思ってないよ、あいつ(笑)。でも信じたい気持ちが出てきたのかなって。世界情勢を含めた昨今の感じから、「ミュージシャンはやっぱり綺麗事を歌うべきだ」って思ったのかもしれないし。俺もそう思うんだよ。大人になったから、現実なんかよく知ってる。だけどエンターテインメントくらいは神話を歌ってほしいんですよね。
―― そして3曲目「刻は波のように」はTERUさんの作詞作曲ですね。
これはもう歌詞の1行目からすべて場所がわかる(笑)。地元・函館の風景ですね。実際に曲中の波の音も、函館のスタジオ近所の海の音だし。出てくるひとはTERUの母ちゃんだし。よく知っているので。レコーディング中はメンバー全員の頭のなかに、TERUの母ちゃんがポワンと浮かんでいたんじゃないかな。
―― EPのなかに、メンバーそれぞれの人生がドキュメンタリーのように刻まれているんですね。
そうそう、今回のEPはとくにシンガーソングライター集みたいな作品になった気がしますね。この曲は仮歌詞のとき、もうちょっと主人公が迷いのなかにいる印象だったんですよ。だけど世に出すというときに、語尾を少し変えて、“それでも踏ん張って前を向いていこう”というような方向になった。だからHISASHIと同じように、TERUも何かしら迷いとか、ある種の弱さみたいなものを出す時期なのかなって。
あと、たいていのJ-POPで出てくるフレーズって、<逢いに行くよ>じゃないですか。でもTERUは<逢いに来るよ>って書いている。それは明確に場所が特定されるわけで、おもしろい表現だなぁって。それと、これは本人とも話したんだけど、<引いては返す波>って…同じじゃない? 寄せては返すじゃない? って(笑)。もうレコーディングしたあとだったので、TERUは「うー…」って唸っていましたけど、まぁ意味は通じるから。そんなちょっと不思議な言葉遣いもTERUらしい歌詞だなと思います。
―― では、TAKUROさんが作詞を手掛けた楽曲で、とくにお気に入りのフレーズを教えてください。
やっぱり「Buddy」は歌詞が好きですね。ライブでもやっているんだけど、来てくれた同世代の友だちで<銀行からの返事は NO !>に涙が止まらなかったというひとが3人いた。昨日もお寿司屋さんに行ったら、「自分の歌なんじゃないかと思った。本当に資金繰りが大変だったんだよ」って言ってくれて。自分としては「これを入れるのはどうなんだろう?」と思いつつ書いたフレーズだけど、ここが刺さるんだ!って驚きでした。
個人的に、子どもたちに対しても心から思っているのは<信じる人がいるならいい悔いなく生きよう>かな。これから成功も失敗もたくさん経験して、悪意に満ちたこの世界で傷つくことも、裏切られることもあるだろうけど、誰かひとりでも心から信じられるひとがいるのなら、それで十分だと思うんだよね。あと亀田誠治さんには<人生はせわしないから>も褒められた。
―― <人生はせわしないから>というフレーズは、HISASHIさんが綴っていた<生きる事と生かされる意味問い正す暇もなく>にも通ずるところがありますね。
うん。コロナ禍って、大変な時期ではあったけど、生きてきたなかで初めて自分と会話をするようなタイミングでもあったんじゃないかな。世の中ごと全人類が止まる異常事態によって、よい副作用もあった。そのなかで俺は「誰かひとりでもBuddyがいればやっていけそうだ」って気持ちにもたどり着いたし。あと改めて、自分の心の安堵を取り戻したり、自分自身を正確に把握するためには、曲や歌詞を書くのがいちばんだなとも思いました。
―― ありがとうございます!では最後に、今回のEPのリリースを経て、これから新たに挑戦してみたい歌詞を教えてください。
自分たちが熱心なリスナーだった80年代、90年代のJ-POPやJ-ROCKを今のGLAYの演奏力で再構築したくて、ものすごくポップな曲ばかり書いている最中ですね。前回取材してもらった「Only One,Only You」を含め、自分との会話のなかでどんどん難しい曲が出てきたここ10年だったから、30周年ではサビでドッカーン!みたいなシンプルなやつをやりたいなって。歌詞も、片想いでうじうじ悩んでいる主人公のラブソングとか。そんな半径1~2メートルの出来事、人々の暮らしみたいなものを書きたいなと思っています。
というのも、最近のJ-POPってものすごく国内向けに駆け足で走っているのを感じるんですよ。ちょっと前まではあれほど洋楽に憧れて、歌詞も音も洋楽化しようとしていたけど。いろんなひとたちが成功したり失敗したりした結果、今を生きるミュージシャンたちは日本のファンに特化して、「こんな歌詞、絶対に英語に訳せない」みたいな作品を生み出している。きっと“らしさ”とか“コンプレックス”みたいなものをよく理解しているんでしょうね。
それが日本のひとたちに理解されて、誰かにとって大切な曲になって、さらにその熱量が言葉を越えて、「なんかいいよね」って世界中に広まっている。そうやってようやく先輩たちが蒔いてきた種がどんどん花開いているなかで、GLAYももう1回、J-POPやJ-ROCKというものに向き合いたいなという気持ちですね。今ってもう、いつ誰が作ったとか、あんまり関係ないようなおもしろい時代だし。まさか松原みきの「真夜中のドア」がこんな感じでヒットするなんて予想もできないじゃないですか。
―― 今は何がヒットのきっかけになるのでしょうかね。
そればっかりは本当にわからないよね。でも、少しの誰かの情熱が推した結果、「そうだよね!」ってなるんだと思う。きっと小さな火種なんだよ。どこかの国のJ-POP好きが、「この曲いいよ!」って発信したものが思いのほかどんどん広がっていったり。だからこそ俺たちも、音が跳ねて命が宿るそんなレコーディングを丁寧にやって、今度はそれをライブで演奏して届けて、GLAYの本質を大事にしながら30周年を迎えたいなと思いますね。