LIVE REPORT

いきものがかり ライヴレポート

いきものがかり ライヴレポート

【いきものがかり ライヴレポート】『Yakult ミルミル Presents いきものがかりの みなさん、 こんにつあー!! THE LIVE 2021!!!』2021年6月11日 at 横浜アリーナ

2021年06月11日@横浜アリーナ

撮影:岸田哲平/TEPPEI KISHIDA 取材:帆苅智之

2021.06.15

旅立つ者が未来に想いを馳せ、どんなに意気揚々としていたとしても、送り出す側にとって、別れはやはり寂しいもの。吉岡聖恵(Vo)は終始、必死に涙をこらえ、努めて笑顔でいるようにしていたようであったが、とりわけMCで思い出話を語る度にこみ上げてくるものがあった様子で、そのいじらしい姿は観ているこちらにも胸に迫るものがあった。《サヨナラは悲しい言葉じゃない/それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL》(M9「YELL」)は頭では理解できても、飲み込みまでには時間はかかる。山下穂尊(Gu)のグループ脱退が発表されたのが6月2日。このツアー最終日の10日前という“電撃的”と言っていい発表であったので、気持ちの整理がつかないままで当日を迎えたファンも多かったことだろう。その辺は現在のコロナ禍、さらには今夏オリパラが開催されることで、おいそれと追加ライヴができないことも関係したと思われるが、昔のプロレス興行なら派手に引退ツアーを敢行するような状況ではあって、その意味でも(言っても栓なきことではあるけれども)本公演は全国各地のファンにとってとても残念なものとなってしまったことも否めない。

しかしながら──別れは突然にやってきたものの、それがすぐに済んでしまわぬよう、この日の光景をファンの脳裏に焼きつけようと、いきものがかりの3人は彼らにできる最大限のパフォーマンスを繰り広げた。セットリストも、山下のファイナルとしてよく練られたものであったように思う。オープニングナンバーは、今年3月にリリースされた最新アルバム『WHO?』にも収録された「からくり」。これは吉岡の加入前、いきものがかりがまだ水野良樹(Gu)と山下のふたりだった頃の楽曲で、ということは、彼らの中では最も古いレパートリーのひとつということになる。それが3人体制でのラストアルバムにようやく収録されたというのは今となっては何とも不思議な縁も感じるが、ファンの人気も高い楽曲なので、これが1曲目というのはベストチョイスだったと言えるだろう。

6曲目「夏・コイ」もナイスな選曲だった。インディーズでのアルバム、さらにはメジャーデビューアルバム『桜咲く街物語』にも収録されている初期のナンバーであり、吉岡、水野、山下が3人ともヴォーカルを務めているのはファンならばよくご存知のことだろう。これもまた、この日に披露されるに相応しいナンバーであったと言える。ただ、「からくり」「夏・コイ」は今回のツアーでずっと演奏されていて、他の会場でもセットリストの同じ位置に置かれていたので、この日だけという特別感は若干薄くはあった。その意味で、“山下穂尊スペシャルディ”のハイライトはやはりアンコールにあったことは間違いない。本人も歌い終えたあとのMCで“噛みしめながら演奏していた”と語ったE2「心の花を咲かせよう」。吉岡の主メロを山下がハーモニーで支えるサビ──《日常の日々こそ奇跡 僕達が紡いでく奇跡/探すのは「特別」ではなく日常という名の目の前の奇跡》《終わりという始まり 始まりという名の終わり/僕達はまだ歩いてく 僕達がまだ歩いてく》という箇所は、まさにいきものがかりの軌跡、彼らの“これまでとこれから”を体現したような見事な楽曲であることを印象づけた。アウトロでの山下のハープも彼の情熱が感じられるようでとても良かった。

アマチュア時代、吉岡が“いきものがかりをやりたくない”という時期(山下曰く、それが“第一の放牧”だったとか)、山下が海に連れて行ったり、カラオケに連れて行ったりして何とか彼女をほだし、グループに戻ってくるように説得したという思い出話のあと、水野が“やり残した曲はあるのでやってもいいですか?”と言って演奏されたのはE4「地球」。高2の終わり、水野とふたりだった頃に作った曲で、路上でも演奏し、吉岡が加入してからもライヴハウスでよくやっていたナンバーであって、最後に演奏するのはこの曲がいいのでは...と3人で決めたという。アコギ2本と歌声だけで披露。これもまた《この場所から離れてくことが 今は少しだけ恐いんだ/この限られた時間の中で それぞれに何かを見つけたら》などの歌詞は、確かに山下の脱退、そして新生いきものがかりのスタートに相応しいように思えた。

ここで終わっても十二分に大団円ではあっただろうが、客席からは惜別の拍手が鳴り止まない。オーディエンスの熱が再びメンバーをステージへと上げる格好となった。“ファイナルだしねぇ...確かにあの曲はやってないか”と山下。観客にしてみると、いきものがかりが世に出たメジャーデビュー曲をぜひ聴きたいという想いがあったのかもしれない(前日には同曲を3人だけで演奏した)。“出会いと別れを繰り返していろんな景色を見てきたんですけど、(中略)吉岡さえいなかった時の、初めて練習した日の光景から全て一緒に見ている人が離れていくということはすごく寂しいです”とは、水野の本音であっただろう。“素晴らしい光景を本当に多くに人に見せてもらいまして、3人で始めて本当に幸せでした。ありがとうございました”とリーダーらしく締め括ったが、さすがに胸に去来するものがあったのだろう。ここまで一切涙を見せることがなかった水野も落涙を禁じ得なかった。タイトルコールを指名された山下がみんなで言おうと提案し、“せーので3人でやろう”となったのも山下の気遣いだし、とてもいきものがかりらしい光景であったように思う。演奏されたのはW1「SAKURA」。セットリストになかった曲なので、真のアンコールであった。それは、山下穂尊のグループからの卒業と、新生いきものがかりの門出への、メンバー、横浜アリーナに集まった観客、配信を見守るファン全員からの祝福であった。

撮影:岸田哲平/TEPPEI KISHIDA
取材:帆苅智之

いきものがかり

イキモノガカリ:小・中・高校と同じ学校に通っていた水野良樹と山下穂尊が1999年2月1日に結成。ユニット名は、ふたりの共通点が小学校1年生の時に一緒に金魚に餌をあげる“生き物係”をしていたことによる。結成後は地元の厚木・海老名や小田急線沿線でカバー曲を中心に路上ライヴ活動を始める。99年11月3日、同級生の吉岡くんの紹介で、その1歳下の妹・吉岡聖恵がいきものがかりの路上ライヴにいきなり飛び入り参加。小さな頃から歌うことに興味を抱いていた吉岡は、そのままの勢いで加入し、いきものがかりは3人となった。吉岡という強力なヴォーカルを得たあと、地元の厚木・海老名を中心に精力的に活動し、ライヴハウスやホールでのワンマンをソールドアウトするようになっていく。そして、06年3月に「SAKURA」でメジャーデビューを果たす。

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