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父親の影響で、ジミ・ヘンドリックスや山口冨士夫など、泥臭い昔のロックを聴くようになった。中学の時好きだったのは、BUMP OF CHICKEN、高校ではチバユウスケさん。好きなアーティストが聴いていた音楽を探っていったことで、自分の音楽の幅が少しずつ広がっていった。 |
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中学で軽音楽部に入部して、エレキギターを始めた。初めて人前で、それも全校生徒の前で歌ったのが中学2年の時。すごく引っ込み思案だったから、人前で何かをすることはとても大きなことだったけど、歌ってみたら“歌うってこんなに気持ちがいいことだったんだ”って、初めて自分が解放された気がした。 |
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学校では“大人しい子”っていうくくりで見られていた。常にまわりの目を気にしていた。そんな時、駅前で見かけたストリートライブ。まわりを気にせずに歌っている姿がカッコよく見えた。それで自分もやってみたいと思った。オーディション「Treasure Hunt2012」に応募したのも、“今の状況を変えたい”と思ったから。“目立ちたい”とか“有名になりたい”とかそういう願望は今でもないし、単純にギターを弾いて歌うことが大好きで、続けていたいと思っただけ。 |
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映像で改めて自分の泣いているところ、歌っているところ、人と話しているところを見た。今までは“もっと明るくなりたい”って思っていたけど、“そういうことじゃないな”って思えた。“今の自分でいられたらいい”って映像を見ながら素直にそう思えた。 |
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絶対に嘘だけは書きたくない。その時その場所で思ったことだけを書いていきたい。だから、歌詞を書こうと思って書くことはないし、手書きで歌詞を書いていく。直接、人には言えないことも、歌詞になら自由に書ける。今は、詞の中でだけ、本当の自分を表現出来ると思う。 |
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中学のころは、毎日学校に行くのが嫌だった。とくに中学3年の時は、教室の中にいること、クラスメイトと話すこと、何に対しても、頑張って無理して毎日を過ごしていた。そんな頑張っている自分がすごく嫌だった。全部、自分の中で必死に整理しながら、過ごしていた。“変わりたいけど変われない”そんな思いを常に抱いていた。 |
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毎日、両親に一日の出来事を吐き出すことで何とか頑張っていた。そんな中学3年のある日、学校ですごく嫌なことがあって、家に帰った時、たまたま両親がいなかった。吐き出せないでいる思いを衝動的に殴り書きして、ギターを弾きながら声に出したことで、初めてのオリジナル曲「だからさ」が生まれた。“曲を書いたことで、こんなに吐き出せるものなのか”って不思議な安心感を覚えた。 |
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デビュー曲「ゆれるユレル」は、一番つらかった時期、中学3年のころのことを書いた。これから本格的に音楽活動を始める上で、一番嫌なものが心の中に残ったまま、進んでいくのが嫌だと思ったから、その想いとは“さよなら”したかった。クラスの中でどういう思いで座っていたのか、クラスの子と話す時に何を思いながら話していたのか、頑張っていた部分はどんなところだったか。そんな時、最初に出てきた言葉が“変わりたいけど 変われない”だった。 |
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心の中に塊のようにあったものを言葉にして出来た歌が「ゆれるユレル」。歌った時、弱かった自分から一歩前に抜け出せた気がした。考え過ぎていた以前の自分に重なる人はいっぱいいると思うし、変わりたいけど変われないっていう人も多くいる。だけど、"良いことも必ずくる。今はゆっくりでいいから、自分らしくいてほしい"っていう思いを込めて、"動き出すよ きっと"って最後に書いた。"自分だけじゃないんだよ"そう言いたい。 |
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今は、音楽と繋がっていること自体が楽しい。何より歌うことが一番楽しい。音楽活動を始めて大人と接する中で、相手がどう思うんだろうということを考え過ぎていた自分から、自分自身のことも考えることができるようになった。自分の雰囲気も変わったのか、クラスの子たちもみんな応援してくれるようになって、学校でもちょっとずつ自分を出せるようになってきた。 |
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