シンガー・ソング・ライターとして数々の名曲を世に送り出すことに留まらず、これまで誰も成し得なかった実験的な“歌劇”『夜会』により、新たな表現の場所を獲得した中島みゆき。この人は創作することにとことん貪欲である。でも実際にお会いしてみると、シャイな印象の人なのだ。でもそれは、常に人間を観察しているため、表面的にそう見えるだけかもしれない。
観察といえば、かつて青函連絡船が廃止になった時、単に彼女が北海道出身というだけで感想を訊ねたことがあった。「女・子供は助かる」と言った。女・子供は席取るのに桟橋から走らなければいけなかったらしい。それが無くなるだけでも「助かる」んだと…。僕の突然の脱線した質問に対して、すぐ市井の人達の姿を浮かべて即答するあたり、やはりこの人は“見えている”んだなと思った。
そう。彼女の歌の主人公は、群衆の中の名も無き人間の場合が多い。普通なら人混みに紛れてしまいそうな、そんな人達にこそ彼女は手をさし伸べる。「地上の星」の“草原のペガサス”や“街角のヴィーナス”は、そうして生まれたのだろう。
“ほかの曲も歌わせろよーっ”っていうのも少しあった
彼女デビュー曲は「アザミ嬢のララバイ」。デビューは誰でも初々しいものだが、いきなり表現者として老獪というか、只者ではない雰囲気が漂っていた。でもこの曲は、本来デビュー曲となるはずだったコンテスト入賞曲とは違うものの提出を求められ、ストックのなかから選んだものだったそうだ。こんな名曲がストックだったなんて驚きだ。
その次が「時代」である。1975年の11月。「第6回世界歌謡祭」でグランプリを獲得する。テレビで初めてこの曲を歌う中島みゆきの姿を観た時は、「このギターを抱えたお姉さん、堂々としているなぁ」と思ったものだった。曲のテンポもそうだし、歌い出しの“今はこ〜んなぁ〜に”は助走もなくいきなりドラマチックでありつつ、でも怯むことなく歌い切っていた。
当時の話を振り返ってもらったことがあった。彼女は「時代」でいきなり脚光を浴びたわけなのだが、「賞を取ったらみんな、“この曲だけ歌って欲しい”ってことになり、自分としてみたら“ほかの曲も歌わせろよーっ”っていうのは少しあった」そうだ。この時期は、ライヴ・ハウスでほかの自作曲もふくめ歌ったりしていたので、もっと別の自分も伝えたかったのだろう。
でも確かに、四六時中“まわるまわるよ 時代はまわる”とばかり歌っていたら、ただでさえグランプリで急に多忙になった時期だし、本当に目がまわってしまいそうだ。
「時代」は“まわる”。「時代は」“めぐる”。
今となってはスタンダード・ナンバーの「時代」だが、この曲が書かれたのは、どんな“時代”だったのだろうか。普遍的なテーマを描いた作品であるのは承知で、そこに注目してみたい。中島みゆきがこの歌を書いたのは75年の始め頃だ。
世相で言うなら、この時、ベトナム戦争が終結するも先行き分からぬ宙ぶらりんな時代だった。この年は連合赤軍の事件も起こっている。彼女の言う“まわる”というのは、そんな世の中のことを描いているのかもしれない。つまり空転する、空虚に近い“まわる”。
ワン・コーラス目では、そう歌っている。先ほども引用した“まわるまわるよ 時代はまわる”と歌っているのだ。でもツー・コーラス目では“めぐるめぐるよ”に変わっている。この違いはなんなのだろうか。
ふたつの言葉を較べた場合、“まわる”にはただただそこでに回転しているといった軽い意味合いも含まれるが、“めぐる”にすると、“繰り返す”といったニュアンスも出てくる。より重たい、というか、特に時代そのものが繰り返すとなれば、あれだけの悲劇を経験しておきながら、人は過ちを“繰り返す”、みたいな、そんなニュアンスにもなる。
その後の中島みゆきの作品には輪廻転生をテーマにしたものが多くなるので、それを踏まえて「時代」を聴いてみた場合、“めぐるめぐるよ”がそんなふうにも響かないこともない。ただ、再び歩きだす勇気についてもハッキリ歌われているので、そこまでハッキリとは言えない。
自伝的な歌、という見方はどうだろうか。以前よく言われたのは、父が倒れた際に作った歌が「時代」であって、歌詞の“今日は倒れた”はそのことを指している、というもの。ただ、この説を本人は否定している。そもそも、若くして高度な比喩に習熟していた彼女が、そんな直接過ぎる表現をするはずもないのだ。
「私に何ができるかというと、早さより遅さ」
雑誌『ダ・ヴィンチ』2007年10月号の中島みゆき大特集は、僕もお手伝いさせて頂いたが、彼女と糸井重里の対談が今読み直しても面白い。彼女は自らの歌作りについて、トレンドを追う情報収集のようなことは自分にはできないと前置し、こう続けた。
「私に何ができるのかというと早さより遅さ」であり、「先を急ぐ人たちは、たいてい何かを落としてしまう」ので、自分は「笊(ざる)を持って、それを拾っていこうかな」と、そう述べている。
ザルを出してきたのは彼女ならではのユーモアだろうが、この発言を踏まえて再び「時代」を聴いてみると、また新たなニュアンスも伝わって興味深い。
思えば「時代」は、若き日の彼女の作品にも関わらず、いわゆる若者らしさ、「新しい時代を掴むんだ」みたいな歌ではない。少し下がった場所から世の中というものを達観しているところがある。「なにかに追われ余裕がないと視野が狭くなる」そんな人にそっと助言してくれているような歌でもある。それが中島流の、先を行く人の落とし物の“拾い方”なのかもしれない。
観察といえば、かつて青函連絡船が廃止になった時、単に彼女が北海道出身というだけで感想を訊ねたことがあった。「女・子供は助かる」と言った。女・子供は席取るのに桟橋から走らなければいけなかったらしい。それが無くなるだけでも「助かる」んだと…。僕の突然の脱線した質問に対して、すぐ市井の人達の姿を浮かべて即答するあたり、やはりこの人は“見えている”んだなと思った。
そう。彼女の歌の主人公は、群衆の中の名も無き人間の場合が多い。普通なら人混みに紛れてしまいそうな、そんな人達にこそ彼女は手をさし伸べる。「地上の星」の“草原のペガサス”や“街角のヴィーナス”は、そうして生まれたのだろう。
“ほかの曲も歌わせろよーっ”っていうのも少しあった
彼女デビュー曲は「アザミ嬢のララバイ」。デビューは誰でも初々しいものだが、いきなり表現者として老獪というか、只者ではない雰囲気が漂っていた。でもこの曲は、本来デビュー曲となるはずだったコンテスト入賞曲とは違うものの提出を求められ、ストックのなかから選んだものだったそうだ。こんな名曲がストックだったなんて驚きだ。
その次が「時代」である。1975年の11月。「第6回世界歌謡祭」でグランプリを獲得する。テレビで初めてこの曲を歌う中島みゆきの姿を観た時は、「このギターを抱えたお姉さん、堂々としているなぁ」と思ったものだった。曲のテンポもそうだし、歌い出しの“今はこ〜んなぁ〜に”は助走もなくいきなりドラマチックでありつつ、でも怯むことなく歌い切っていた。
当時の話を振り返ってもらったことがあった。彼女は「時代」でいきなり脚光を浴びたわけなのだが、「賞を取ったらみんな、“この曲だけ歌って欲しい”ってことになり、自分としてみたら“ほかの曲も歌わせろよーっ”っていうのは少しあった」そうだ。この時期は、ライヴ・ハウスでほかの自作曲もふくめ歌ったりしていたので、もっと別の自分も伝えたかったのだろう。
でも確かに、四六時中“まわるまわるよ 時代はまわる”とばかり歌っていたら、ただでさえグランプリで急に多忙になった時期だし、本当に目がまわってしまいそうだ。
「時代」は“まわる”。「時代は」“めぐる”。
今となってはスタンダード・ナンバーの「時代」だが、この曲が書かれたのは、どんな“時代”だったのだろうか。普遍的なテーマを描いた作品であるのは承知で、そこに注目してみたい。中島みゆきがこの歌を書いたのは75年の始め頃だ。
世相で言うなら、この時、ベトナム戦争が終結するも先行き分からぬ宙ぶらりんな時代だった。この年は連合赤軍の事件も起こっている。彼女の言う“まわる”というのは、そんな世の中のことを描いているのかもしれない。つまり空転する、空虚に近い“まわる”。
ワン・コーラス目では、そう歌っている。先ほども引用した“まわるまわるよ 時代はまわる”と歌っているのだ。でもツー・コーラス目では“めぐるめぐるよ”に変わっている。この違いはなんなのだろうか。
ふたつの言葉を較べた場合、“まわる”にはただただそこでに回転しているといった軽い意味合いも含まれるが、“めぐる”にすると、“繰り返す”といったニュアンスも出てくる。より重たい、というか、特に時代そのものが繰り返すとなれば、あれだけの悲劇を経験しておきながら、人は過ちを“繰り返す”、みたいな、そんなニュアンスにもなる。
その後の中島みゆきの作品には輪廻転生をテーマにしたものが多くなるので、それを踏まえて「時代」を聴いてみた場合、“めぐるめぐるよ”がそんなふうにも響かないこともない。ただ、再び歩きだす勇気についてもハッキリ歌われているので、そこまでハッキリとは言えない。
自伝的な歌、という見方はどうだろうか。以前よく言われたのは、父が倒れた際に作った歌が「時代」であって、歌詞の“今日は倒れた”はそのことを指している、というもの。ただ、この説を本人は否定している。そもそも、若くして高度な比喩に習熟していた彼女が、そんな直接過ぎる表現をするはずもないのだ。
「私に何ができるかというと、早さより遅さ」
雑誌『ダ・ヴィンチ』2007年10月号の中島みゆき大特集は、僕もお手伝いさせて頂いたが、彼女と糸井重里の対談が今読み直しても面白い。彼女は自らの歌作りについて、トレンドを追う情報収集のようなことは自分にはできないと前置し、こう続けた。
「私に何ができるのかというと早さより遅さ」であり、「先を急ぐ人たちは、たいてい何かを落としてしまう」ので、自分は「笊(ざる)を持って、それを拾っていこうかな」と、そう述べている。
ザルを出してきたのは彼女ならではのユーモアだろうが、この発言を踏まえて再び「時代」を聴いてみると、また新たなニュアンスも伝わって興味深い。
思えば「時代」は、若き日の彼女の作品にも関わらず、いわゆる若者らしさ、「新しい時代を掴むんだ」みたいな歌ではない。少し下がった場所から世の中というものを達観しているところがある。「なにかに追われ余裕がないと視野が狭くなる」そんな人にそっと助言してくれているような歌でもある。それが中島流の、先を行く人の落とし物の“拾い方”なのかもしれない。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
1957年東京は目黒、柿ノ木坂に生まれる。音楽評論家。
1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論
家として30年のキャリアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、
Mr.Childrenなどのものがあり、また、J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、
自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レポート僕の「ワルツ・フォー
・デビイ」が弾けるまで』を発表。
1957年東京は目黒、柿ノ木坂に生まれる。音楽評論家。
1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論
家として30年のキャリアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、
Mr.Childrenなどのものがあり、また、J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、
自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レポート僕の「ワルツ・フォー
・デビイ」が弾けるまで』を発表。