惜しくも2009年に亡くなってしまったが、1970年にRCサクセションでデビュー以来、周囲に流されず、自分流を貫き活動した忌野清志郎(いまわの きよしろう)。時に社会に対する過激な言動でも知られたが、実際に会ってみると、一切偉そうにしない、ピュアで優しい人だった。そんな彼はファンのみならず、同じ時代を生きた他のシンガーやミュージシャンから、今も尊敬され続けている。彼の歌声は、今もセブン・イレブンのCM(曲は「デイドリーム・ビリーバー」)で毎日のように流れているので、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。その歌声は、誰にも似てない。しかも彼の声には、力強さだけではなく、心の影の部分に忍び込むかのような、そんな繊細さを備えている。それが最大限に発揮されたのが、RCサクセションのあの名曲、「スローバラード」ではなかろうか。
ポンコツの車から生まれたJ-POPの歴史に残る名曲
歌詞をごらん頂けば分かるとおり、この歌は二重の構造になっている。まず、私たちは忌野清志郎の歌うこの曲を聴いている。当然のことである。しかも同時に、歌の主人公達が車の中で聴いているカーラジオから流れる「スローバラード」を、間接的に“聴いた気分”にもなっている。歌の舞台は市営グランドの駐車場。その時代の彼の行動半径から、どこのグランドのことなのかを特定することも可能だが、しかし、そのことにあまり意味はない。なぜなら、あなたが瞬間的に思い浮かべた駐車場こそが、紛れもない、この歌の“舞台”だからだ。
冒頭、いきなり“昨日は”と、過去形で歌い始められる。それゆえ“悪い予感のかけらもない”という、この印象的なこのフレーズが効いてくる。昨日の時点では確かにそうだった。しかしあくまで昨日の話。今日はいったいどうなっているのか…。この歌には結末はない。聴く者の、そんな想像を掻き立てる。以前、彼に取材したところ、実話に基づく歌なのだそうだ。当時、清志郎はよくガールフレンドと車でデートしていた。ただ、デビューしたての金のない時代。りっぱな車は買えない。中古のポンコツに乗っていた。案の定、あの日その車は山道で突然パンクし、動けなくなる。後ろをえいこら押しつつ、幸運にも道が斜面だったこともあり、なんとか市営グランドの駐車場まで辿り着く。でも、そこからガソリンスタンドまで、さらに車を押していく気力も体力も残っていなかった。しょうがないのでカーラジオでもつけて、やがて毛布にくるまり二人は眠りに就く…。
寝ていた清志郎も不審者扱いされ、窓を叩く音で起こされる
実はその場所、車でデートするカップルの溜まり場として有名だった。ただ、当局はグランド使用者とは関係ない車が頻繁にたむろすることを認めず、よく警察官が巡回していたという。寝ていた清志郎も不審者扱いされ、窓を叩く音で起こされる。「ヒトがパンクして困っているというのに、オマワリはそういう風には取らなくてね…」。警官の対応を不満に思った彼は、後日、コトの顛末を怒りにまかせて歌にする。それを友達に聴かせる。
それを聞いた友人はこうアドバイスする。「歌い出しのところとかイイし、ちゃんとまとめてみたら?」。警察官との一件は削除され、今、我々が知ることが出来る構成の、ロマンチックなラヴ・バラードとして書き直す。この時、もし友人がアドバイスをしなかったら、まったく違うテイストの歌になっていたのだ。例えばナツメロでいえば、曽根史朗の「若いお巡りさん」のアンサー・ソングみたいな歌だったのかもしれない。もしくは、ピンク・レディーの「ペッパー警部」を“男目線”から書いたような歌に仕上がっていた可能性だってあったのだ。
改めてこの歌を聴いてみよう。彼女の寝言を聞いた、とか、よく似た夢をみた、とか、ふたりは車でデートするくらいの深い仲なのに、プラトニックな要素が程よく混ざっている。それがこの歌を、より味わい深いものにしている。二人を包む夜霧の存在は、ミステリアスですらある。
「歌はロマンチックだけど、実際はコミカルな状況だったのさ」
“昨日は”と、過去形で歌い始められたこの歌だが、一夜明けると、いったいどんな状況だったのだろう。気になるところである。「歌はロマンチックだけど、実際はコミカルな状況だったのさ」。清志郎は、そう言って笑った。実は目覚めると、朝一番でガソリンスタンドまで車をえいこら押していかなければならなかった。ならばロマンチックとはほど遠い。その光景が目に浮かぶ。でも、まさに日常の中から、彼は歌を紡いでいたのである。忌野清志郎には他にもたくさん名曲がある。機会があれば、ぜひ紹介したいものだ。
なお、今回この文章を書くにあたっては、かつて僕が『鳩よ!』という雑誌で彼に話を訊いた時の内容を踏まえて書かせていただいた。「雨上がりの夜空に」の話などもとても貴重なものだったので、機会があったら紹介したいものだ。
ポンコツの車から生まれたJ-POPの歴史に残る名曲
歌詞をごらん頂けば分かるとおり、この歌は二重の構造になっている。まず、私たちは忌野清志郎の歌うこの曲を聴いている。当然のことである。しかも同時に、歌の主人公達が車の中で聴いているカーラジオから流れる「スローバラード」を、間接的に“聴いた気分”にもなっている。歌の舞台は市営グランドの駐車場。その時代の彼の行動半径から、どこのグランドのことなのかを特定することも可能だが、しかし、そのことにあまり意味はない。なぜなら、あなたが瞬間的に思い浮かべた駐車場こそが、紛れもない、この歌の“舞台”だからだ。
冒頭、いきなり“昨日は”と、過去形で歌い始められる。それゆえ“悪い予感のかけらもない”という、この印象的なこのフレーズが効いてくる。昨日の時点では確かにそうだった。しかしあくまで昨日の話。今日はいったいどうなっているのか…。この歌には結末はない。聴く者の、そんな想像を掻き立てる。以前、彼に取材したところ、実話に基づく歌なのだそうだ。当時、清志郎はよくガールフレンドと車でデートしていた。ただ、デビューしたての金のない時代。りっぱな車は買えない。中古のポンコツに乗っていた。案の定、あの日その車は山道で突然パンクし、動けなくなる。後ろをえいこら押しつつ、幸運にも道が斜面だったこともあり、なんとか市営グランドの駐車場まで辿り着く。でも、そこからガソリンスタンドまで、さらに車を押していく気力も体力も残っていなかった。しょうがないのでカーラジオでもつけて、やがて毛布にくるまり二人は眠りに就く…。
寝ていた清志郎も不審者扱いされ、窓を叩く音で起こされる
実はその場所、車でデートするカップルの溜まり場として有名だった。ただ、当局はグランド使用者とは関係ない車が頻繁にたむろすることを認めず、よく警察官が巡回していたという。寝ていた清志郎も不審者扱いされ、窓を叩く音で起こされる。「ヒトがパンクして困っているというのに、オマワリはそういう風には取らなくてね…」。警官の対応を不満に思った彼は、後日、コトの顛末を怒りにまかせて歌にする。それを友達に聴かせる。
それを聞いた友人はこうアドバイスする。「歌い出しのところとかイイし、ちゃんとまとめてみたら?」。警察官との一件は削除され、今、我々が知ることが出来る構成の、ロマンチックなラヴ・バラードとして書き直す。この時、もし友人がアドバイスをしなかったら、まったく違うテイストの歌になっていたのだ。例えばナツメロでいえば、曽根史朗の「若いお巡りさん」のアンサー・ソングみたいな歌だったのかもしれない。もしくは、ピンク・レディーの「ペッパー警部」を“男目線”から書いたような歌に仕上がっていた可能性だってあったのだ。
改めてこの歌を聴いてみよう。彼女の寝言を聞いた、とか、よく似た夢をみた、とか、ふたりは車でデートするくらいの深い仲なのに、プラトニックな要素が程よく混ざっている。それがこの歌を、より味わい深いものにしている。二人を包む夜霧の存在は、ミステリアスですらある。
「歌はロマンチックだけど、実際はコミカルな状況だったのさ」
“昨日は”と、過去形で歌い始められたこの歌だが、一夜明けると、いったいどんな状況だったのだろう。気になるところである。「歌はロマンチックだけど、実際はコミカルな状況だったのさ」。清志郎は、そう言って笑った。実は目覚めると、朝一番でガソリンスタンドまで車をえいこら押していかなければならなかった。ならばロマンチックとはほど遠い。その光景が目に浮かぶ。でも、まさに日常の中から、彼は歌を紡いでいたのである。忌野清志郎には他にもたくさん名曲がある。機会があれば、ぜひ紹介したいものだ。
なお、今回この文章を書くにあたっては、かつて僕が『鳩よ!』という雑誌で彼に話を訊いた時の内容を踏まえて書かせていただいた。「雨上がりの夜空に」の話などもとても貴重なものだったので、機会があったら紹介したいものだ。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
1957年東京は目黒、柿ノ木坂に生まれる。音楽評論家。
1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論
家として30年のキャリアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、
Mr.Childrenなどのものがあり、また、J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、
自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レポート僕の「ワルツ・フォー
・デビイ」が弾けるまで』を発表。
1957年東京は目黒、柿ノ木坂に生まれる。音楽評論家。
1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論
家として30年のキャリアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、
Mr.Childrenなどのものがあり、また、J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、
自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レポート僕の「ワルツ・フォー
・デビイ」が弾けるまで』を発表。