第9回 サザンオールスターズ「涙のキッス」
photo_01です。 1992年7月18日発売
 2013年に復活を遂げたサザンオールスターズ。ステージ上の彼らには、学生時代にキャンパスで出会った頃の初々しさが、不思議なくらい残っていた。音楽に対する純粋な気持ち…。それがプロとしての実績を上回るくらい強いからこそ、そんな佇まいとなるのだろう。桑田佳祐のソング・ライティングの特色を最初に書いておこう。その特徴は、通常のJ-POPアーティストがいわゆる「歌謡曲」と呼ばれるものを断絶することで自らのなかに新たな音楽性を芽生えさせたのと違い、桑田の場合はすべてが脈々と流れているということだ。今回選んだのは、90年代の前半、サザンが新たなファンを獲得するキッカケとなった「涙のキッス」だ。『ずっとあなたが好きだった』という、マザコン男“冬彦さん現象”を巻き起こすほど話題となったドラマの主題歌である。当時隆盛を誇ったトレンディー・ドラマへの楽曲提供は、サザンにとってこの作品が初めてだった。ただ、同じ時期にアップテンポの「シュラバ★ラ★バンバ」もリリースされ、この2曲を同時に聴いてもらうことが桑田の意図だったようだ。

初のミリオン・セラーを記録した曲

 ドラマの内容を把握した上で書かれたものである。既にドラマでサザンが使われた例としては『ふぞろいの林檎たち』の主題歌になった「いとしのエリー」があったが、あれは既存曲が採用されたものだった。今回は書き下ろしである。そしてこの曲は、サザンにとって、初のミリオン・セラーを記録した曲だった。
シナリオだけでなく、出演した俳優達の顔も思い浮かべての楽曲作りだったことが当時の桑田の取材記事から伺える。特に“真面でおこった時ほど素顔愛しくて”という名フレーズは、このドラマに主演した賀来千香子の演技を彷彿させるものでもある。
歌の全体のテーマは、男女の別れ際の未練。それを男の心情として描く。とかく男という生き物は、彼女が誰かほかのヒトのモノになってしまいそうだと知ると、突然、自分勝手な“所有欲”のようなものを再燃させたりする。この歌の“涙のキッス もう一度”というのは、そのあたりの心境を描いている、とも受け取れるだろう。
甘酸っぱいボーイ・ミーツ・ガールのラブ・ソングと比較すれば、相当、酸いも甘いもかみ分けた大人の歌である。そもそも「涙のキッス」の“涙”と“キッス”という、このふたつのコトバを隣接させるだけでもアンビバレンスを生む。「引き戻したい」という意思と「逃げ去りたいという」という意思が綱引きをしているようなイメージが伝わる。

 そして書かずに居られないのが、見事しか言えない桑田の歌いっぷりだろう。歌に対する集中力が違う。ぜひこのことを書きたい。歌詞をみてもらえば分かるのだが、1番のAメロに“逢って”“黙って”、さらに2番に“笑った”“そっと”という言葉がある。この小さな「っ」が揃った位置にあるのは、決して偶然ではない。
ここが絶妙なアクセントになっている。カラオケで歌っても、やたら気持ちいいのがこの部分でもある。“今すぐ逢って”という歌詞は、“いますぐあーって”と歌うことも出来る。そちらのほうがオーソドックスだろう。でもそうせずに、“いますぐあっ て”と、促音をさらに強調し、区切って歌っている。
なぜそうしようと思ったのかというと、きっと天性の閃き、としか言えないんだろう。この部分はカラオケで歌った時も実に快感だ。そうすることで歌に見事な力感が生まれている。桑田の喉が半紙を滑る毛筆であるなら、見事な「はね」を生んでいる。

もはやこの曲は“みなさんの歌”になっている

 いまもサザンのライヴでは「涙のキッス」が歌われる。2013年のコンサートでも演奏されて、大いに会場を沸かせた。時に桑田は、この楽曲を、“客観的”に歌ってみせたりもする。それはおそらく、「もはやこの曲は“みなさんの歌”になっているんだ」という意識からなのだろう。これより古い楽曲では「チャコの海岸物語」なんかもそういう傾向を示すことが多い。
ほかにも沢山、サザンにはそういう曲がある。でも、“みなさんの歌”になっているレパートリーが沢山あるバンドだからこそ、「国民的」と形容されるのだ。ここ最近の楽曲を聴くにつけ、桑田のソング・ライティングはまた新たな段階へと向かっている気がする。楽しみに新曲を待ちたい。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

1957年東京は目黒、柿ノ木坂に生まれる。音楽評論家。
1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論
家として30年のキャリアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、
Mr.Childrenなどのものがあり、また、J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、
自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レポート僕の「ワルツ・フォー
・デビイ」が弾けるまで』を発表。