第108回 藤井風「何なんw」
photo_01です。 2019年11月18日発売
 さて今月は、話題沸騰、人気急上昇、みるからに高身長の藤井風の作品をとりあげることにした。このヒト、興味深い作品がたくさんあるので、1曲に絞らずに、3曲ほど取り上げたい。

まずはやはり「何なんw」

 この作品のMVは、実に記憶に残るものだった。野性味と柔らかみをあわせ持つ好男子が、外国人のダンサーさん達に萎縮することなく名前のとおり“風”を切って街角を練り歩く姿は、嫉妬するほどカッコ良かった。僕はふと、松田優作とイメージが重なった。それはおそらく、“誰の真似でもない美意識”という点で、両者に共通したものを感じたからだろう。

「何なんw」は、ニクいほど日本語が耳に弾む作品だ。広い意味でリズム・アンド・ブルースと呼べる曲調だが、このジャンルを日本語で歌う場合、ともかく重要なのはノリを醸しだすこと。それを藤井風は、地元・岡山の方言を取り入れ編み出していた。

だからってドメスティックな“イナたさ”で勝負したわけじゃなく、むしろ洗練された境地へと誘う。サビの決め言葉の“何なん”は、日々のなかで意識せず使ってたものだろうが、英語でいえば“a-ha”とか、何気ない相槌の言葉にも似た響きへと昇華させていた。

もうひとつ。この曲といえば、冒頭部分も好きだ。相手の[歯]に[あおさ粉](青のりのこと)が付着していることを、指摘しようか悩むシーンから始まるのである。この、何気ないユーモラスな情景を、[口にしない方がいい真実]という一般論へと拡げてくあたりも上手だ。

リラックスして作ったから名曲になった例だろう。歌を作る際、歌いだしは誰でも悩む部分だ。もしソングライターとしてカッチカチの気分だったら、けして[あおさ粉]は出てこなかった。冒頭がこんなだからこそ、歌全体のノリの良さも担保されていったのかもしれない。

曲のアレンジのことも少しだけ書いておく。イントロで、ちらりとクラシック音楽のフレーズがサンプリングされている。まさに藤井風という男のバックグラウンドにある、幅広い音楽性を彷彿させる。

「きらり」のなかのキラー・フレーズ

 さて次は「きらり」。この歌といえば、注目されるのは[さらり][きらり][ほろり][ゆらり]という、韻をふんだ言葉の活用だろう。どちらかというと淡い響きのこれらに、ぎゅっと意味を詰め込むことに成功している。

響きは似ているが、考えてみたら[さらり]と[きらり]、[ほろり]と[ゆらり]では、ぜんぜん意味が違う。でも、歌を聴き終わると、誰もが気づくのだ。感情豊に過ごすためには、どれも必要だということに(この四つには、多少の優先順位があるにしても…)。

ここからは、「きらり」が誇るキラー・フレーズのことを。それは[何のために戦おうとも]に続けて、[動機は愛がいい]と書かれている部分だ。

「愛」という言葉自体は、歌のなかに頻繁に登場する。こういう書き方はなんだけど、とりあえず歌っておけば、どこからも文句がこないのが「愛」。無味無臭だけど力強くもあり、汎用性バツグンの魔法の言葉。

でも、「きらり」においては[何のために戦おうとも]という前振りがあって、しかも、愛は愛でも“動機は愛”とくるゆえに、深いニュアンスをまとう。さらにこのフレーズをそのまま読むと、何のためであろうと、もし戦うとしたら動機(前提という言葉に置き換えてもいい)は「愛」であることが好ましい、ということだろう。

でも、逆説的な表現とも受け取れる。そもそも“動機”が“愛”なのに、果たして“戦い”なんか起こるんだろうか? 異教徒同士がおのおのの愛を掲げたら別だろうけど、この歌はそこにまで踏み込んではいないはず。つまり[動機は愛がいい]の真の意味は、「愛を掲げ、戦うことをやめにしよう」であると解釈するのはどうだろうか。

大人っぽい歌も多い藤井風の“大人っぽさ”とは

 最後は「罪の香り」を例に、彼の歌の“大人っぽさ”について書いていく。その前に、そもそも“大人っぽさ”とはどういうものだろうか。

一言で表現するなら、見るものすべてに可能性を感じてた時期を過ぎ、人生が“二周目以降”の“心持ち”の状態だ。実にまどろっこしい言い方になったが、要は経験を活かせるが経験が邪魔をする年代を指すのである。

そんな主人公でラブ・ソングを書いたなら、さて、どうなるだろう。まず表われる症状として、愛のゆくえを先読みし、打算が顔を出したり、臆病になったりすることだ。

「罪の香り」は、冒頭から濃厚だ。[何も触らないで]と[何も求めちゃいない]という、このふたつの並びは、性愛に関わる表現と受け取れる。その次に出てくる[いつも落ちるほうがラク]も意味シンである。

この場合の“落ちる”は、“恋に落ちる”ことだと解釈するのが一般的だろうが、そのほうが楽なことを知っているのは、大人ならではの経験値だ(ちなみに、落ちたら這い上がるのがタイヘンなことも大人は知っているのである)。

そのあとの[ハートがわかってるの]も実にいい。[頭じゃわかってる]と書きそうなことを、敢えて“ハート”と下にズラした効果は大きい。

いい言葉が、このあともじゃんじゃん出てくる。[理性がショボいのよ]。語り手である歌の主人公が、より感情的になってきてるからこその直接的な表現でもあるが、“理性”と“ショポい”といい組み合わせには、センスを感じる。でもショボいくらいならいいが、僕はふと、「罪の香り」の登場人物たちに、くれぐれも理性は大切に、と、そう声を掛けたくなった。

そしてそして、まだまだ、どんどん、やっちゃってくれるのが「罪の香り」である。歌詞の後半で心地よいフックとなるのが、[おっと]という言葉である。[おっと]という感嘆は、そこで自己啓発が果たされたからこそ洩れた咄嗟のひとことだ(または、本人すでにその自覚があり、驚いたフリであったならば“ノリ・ツッコミ”的な行為でもありそう)。

で、やっとここで、歌のタイトルの“罪の香り”という言葉が登場する。でも、登場の仕方が傑作。[抜き足差し足忍び足]。使い方を違えると、周囲から浮いてしまいそうな古風な表現を、見事に嵌め込んでみせる。このあたりのセンスは、初期の稲葉浩志にも通じるものがありそうだ。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

今年の夏は感染対策を万全にした上で夏フェスなども開催されるようだし、ワクチン接種も各自治体独自のやり方により予想以上に加速する勢いだ。安心はできないが光は見え始めている。ところで発表してるヒトもこれから発表するヒトも、世のソング・ライター達はコロナ禍のなか、例えば「かけがえのないもの」をテーマに、多くの作品をこしらえたはずだ。おそらく秋以降、J-POPシーンは新たな様相を呈していくのだろうが、いち早くそれが顕著になる歌詞の世界に、引き続き注目したいものである。