第109回 三木聖子「まちぶせ」
photo_01です。 1976年6月25日発売
 最近、若い方たちの間で70年代や80年代の日本のポップスへの関心が高まっている。

これらの楽曲とJ-POPとの違いを書くならば、J-POPが(たとえバンドの作品であろうと)個人が詞も曲も書くことが多いのに較べ、往年のポップスは、詞と曲と編曲を、それぞれの専門家が分担するのが普通だった点である。

個人で書くとなると、自分に嘘をつけない、という心理が働く。作者が自分で歌うとなれば尚更だ。しかし作家が曲提供するなら、ボーカリストに「役柄を与える意識」で書ける。この違いは非常に大きい。

例えばこんな一例が

 庄野真代が歌い、1978年にヒットした「飛んでイスタンブール」という作品がある(作詞・ちあき哲也、作曲・筒美京平、編曲・船山基紀)。もしJ-POP的な観点だとしたら、作者がイスタンブールの街と、なんらかの関わりがない限り出てこない世界観だ。

しかしこの曲は、若い女性の海外旅行が普通になり始めた世相と、そもそも楽曲がもっていたエキゾチックさか相まって、こんな仕上がりになったわけだ。

この歌など典型的だが、若い方たちが往年のポップスに触れた場合、場面設定の自由さ、歌のストーリーのメリハリなどが、魅力的なのではなかろうか。

恋愛の歌にしてもそうだろう。プロの作家は、ドラマチックな恋模様を用意する。まるでそれが、短編小説の優れたプロットであるかのように…。

上白石萌音の『あの歌-1-』と『あの歌-2-』は格好の教材だ

 そんなことをつらつらと考えていたら、格好のアルバムがリリースされた。上白石萌音の『あの歌-1-』と『あの歌-2-』である。彼女は今、最も注目される女優さんだが、歌もホンモノだ。

R&Bがルーツです、みたいに、特定のスタイルで歌うタイプではない。それぞれの楽曲を、無理に自分色に染めるではなく、曲を活かしつつ、でも歌い終われば彼女の世界観がそこにちゃんと出現するような、実に稀な歌唱表現力の持ち主である。

筆者が個人的にボーカリスト・上白石萌音を認識したのは、『オフコース・クラシックス』という2019年のアルバムだった。彼女は「さよなら」を歌っていた。

へたに手を出すと、玉砕しかねない難曲である。でもお見事だった。曲を活かしつつ、でも歌い終われば彼女の世界観がそこに出現する…、みたいなことを先程書いたけど、そんな名唱を披露していた。

『あの歌-1-』と『あの歌-2-』には、彼女が思い入れのある曲や、リクエストされた70年代~80年代のポップスが選ばれている。女性の持ち歌も、男性の持ち歌も、分け隔てなく歌っている。

松田聖子のファンに人気が高い「制服」など、ニクい選曲も随所にみられる。意識的か無意識か、聖子ちゃんのあの特徴ある声質の、からっと爽やかな成分も、ちゃんと受け継ぎつつ歌っている。

そんななかからこの曲、「まちぶせ」を

 そんななか、この1曲をぜひ、ということで選んだのが、『あの歌-2-』収録の「まちぶせ」だ。ユーミンが1976年に女性シンガー・三木聖子に提供した作品である。シンガー・ソング・ライター、というより、作家の意識で提供した作品である。

今回の上白石のカバーは、けっこうアレンジが攻めているが、彼女の歌は歌のセンチメンタリズムを正しく伝えてくれている。

「まちぶせ」という作品の優れた点は、(ちょっと大げさに言うなら)恋の駆け引きをサスペンス調で描いていることだろう。

歌の登場人物は「あなた」、「あの娘」、「わたし」であり、この三者の関係は、当初、「あなた」と「あの娘」が相思相愛であり、「わたし」は蚊帳の外であった。しかし、「わたし」も「あなた」が好きだった。「あの娘」という存在を知りつつ、さり気なく恋のモーションをかける。

それが功を奏したかどうか不明だが、「あの娘」が「あなた」に振られたという噂を聞く。俄然、「わたし」は形勢有利である。しかし…。

ガツガツしないのだ。ぼやぼやしていると他のヒトのモノになっちゃうよ、みたいなアピールをして、相手を揺さぶる。さらに周到に、[偶然をよそおい]、「あなた」を帰り道で待ったりもする。

まちぶせた”主人公の結末を推測してみた

 これではストーカーなのでは? という指摘も多い。そもそもタイトルも「まちぶせ」だし…。

でも、四六時中つきまとい行為を繰り返しているわけじゃない。歌の登場人物が学生の設定なら、帰り道とは学校と最寄り駅を結ぶ通学路といったところだろう。相手の部活など、最低限の情報さえあれば、「あなた」が通過する時間帯も特定可能だ。

そして「わたし」と「あなた」の間には、運命の悪戯があるんだわ、といった体(てい)で、待つ、というより、相手の前に現われさえすればミッション成立だ。ここまでは、断然「わたし」のペースである。「あなた」が術中にはまるのも時間の問題かもしれない。そう。明らかに「わたし」のほうが、一枚上手…。

結末が気になる。でも、まったく描かれていない。[もうすぐ][あなたをふりむかせる]ことが出来たのかどうか不明のまま「まちぶせ」は終わっていく。

心に残るのは、まさに[あなたをふりむかせる]という、この言葉から湧き出る芳醇なセンチメンタリズムである。全身が、じゅわ~んとした気分に襲われる。

しかし、「わたし」の恋の大作戦は、徒労に終わった可能性も充分考えられる。特に最後の最後に[あなたをふりむかせる]が今一度リフレインしてくるところが効いている。

結末まで書かないのがプロの作家の凄いところ

 この執拗なまでの叫びは、つまりそのことが果たされなかった現実に対する恨み節の可能性も秘めている。

途中まではクールな策略家だった「わたし」は、もしかしたら挫折したかもしれない。となると、ふと同情してしまうのだ。

…といった「まちぶせ」独自の恋愛憚を、 上白石萌音は感情過多にならず、聴き手が感情移入するスペースもちゃんとこしらえつつ、上手に仕上げている。天晴れ天晴れなのだった。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

いまこれを書いているのは梅雨の真っ盛りであり、土石流や洪水のニュースもあり心配だが、個人的にやっていることのひとつ(ごくごく庶民的なこと)としては、新製品の部屋干し用柔軟剤を買ってくることだったりする。先日ゲットしたのは、なんと部屋干しなのに「お日様のにおい」に仕上がる、というヤツ(笑)。そんなバカなと思いつつも、年に一度のこのイベントを楽しもうとしている。