先日も日比谷の野外音楽堂でライヴを観たが、エレファントカシマシはますます充実したバンド活動を行っている。いぶし銀、という言葉を持ち出すほどの年齢ではないけれど、これまでの歴史がちゃんと血となり肉となってきたのが彼らの今の佇まいだろう。
そもそもバンドというのは、ちょっと不器用な人間の集まりのほうが長続きする。もちろん、これはメンバー間の人間関係が良好であるという前提があっての話だが…。なぜそうかというと、みんなが達者だと、それぞれ別々に発展していくことも可能であり、いつしかメンバー間に距離が生まれるからだ。となれば、固定したメンバーでやる意味が薄らぐのである。
中心人物はボーガルの宮本浩次(みやもと ひろじ)だ。このヒト、時々、騒動を起こす。つい2、3年前も、ラジオのゲストに出た際、パーソナリティの女性と喧嘩になった、なんてことがことがあった。だからって宮本が、普段から粗暴なヤツなのかというと、決してそんなことはない。踏ん張って、骨身を削りながら作品と相対する、純で真面目な男である。たまにその想いが、伝わり切らずに空回りずくことがあるだけだ。ステージの宮本のトレード・マークは純白のシャツ。それは彼の心そのものなのだ。
もともと歌うことの素地があった宮本
意外なことに、という失礼だが、彼は子供の頃、児童合唱団に所属していた。しかもそれだけでなく、10歳の時、「はじめての僕デス」という歌でデビューを果たし、この曲は10万枚のヒットを記録する。つまりちょっとした“ちびっこスター”だったのだ。
幼少の頃に正式に歌を習っていた痕跡は、ロックを歌う現在の彼からも感じ取ることが出来る。妙なビブラートに頼らない歌い方は、歌うことの素地がある人ならではだ。
それはエレファントカシマシにとって最大のヒット曲「今宵の月のように」を聴いてもわかる。歌い出しから吐き捨てるようなバンカラな雰囲気だが、宮本の歌は音程が確かで、決して誤魔化しのないものだ。ロック、特にパンクっぽいバンドのボーカリストは、情念そのものでパフォーマンスすることもあるが、宮本は違うのだ。
ドラマの主題歌として書き下ろされたものである。ということは、依頼してきたプロデューサーなりの意向を汲み取らなければいけない。この歌が生まれた当時、僕は「自分を曲げてまで、宮本がそんなことするのかなぁ」とも思ったが、彼は慎重に相手の意向を探りつつ、見事、この作品を書き上げたのだった。
実は、最初に渡した曲は“内容にそぐわない”と却下され、ここでキレずに彼は、「ではこの曲ならどうだろう?」というものを新たに作り、そのプロデューサーの前で弾き語りで歌ってみせたのだった。そこで好感触を得るや、バンドのもとへと持ち帰った。
なんてことない普通のことのようで、こういう段階を経て作品を煮詰めていったのは賢明だった。これならプロデューサーに対しても、バンドの仲間に対しても、ベストなやり方だからだ。おそらくボツになった最初のものは、既にバンドで仕上げてあったのだと僕は推測する。そう。同じ落胆を、二度と仲間に味あわせたくなかったのだろう。
それは男の過去も照らし、同時に未来も照らす
「今宵の月のように」は、辺りの景色が浮かぶ歌である。宮本といえば、散歩も趣味のひとつ。そんな彼ならではの街の見え方や季節の感じ方が、この歌の魅力を支えている。散歩なのだから徒歩だ。なにか乗り物を利用してたら、きっと生まれなかった歌なのだ。
頭上には、綺麗な月が輝いている。それは男の過去も照らし、同時に未来も照らす。この「今宵の月のように」は夏の歌。夏の月は比較的低い位置に現われるので、もしかしたら主人公の行き先を暗示するかのように、頭上というより前方に輝いていたのかもしれない。
“思い出のかけら”とか“愛を探しに”とか、オーソドックスな表現が多い歌なのだが、歌詞の面で特筆したいのは、破裂音の上手な使い方だろう。いきなりサビから始まる冒頭の“♪くだらねぇ”の“く”からして、さっきバンカラと書いたが、実に気っぷのいい耳障りである。途中の“ポケットに手を”の“ポ”も、これと同様だ。
ただ、主人公の心情を描く部分はそんな感じだが、夕暮れの街の色彩がグラデーションを醸しつつ夜へと溶けていくあたりを描くAメロの部分は、丁寧に細やかに歌われていて、バンカラで気っぷのいい部分と程よいメリハリとなっている。
そもそもバンドというのは、ちょっと不器用な人間の集まりのほうが長続きする。もちろん、これはメンバー間の人間関係が良好であるという前提があっての話だが…。なぜそうかというと、みんなが達者だと、それぞれ別々に発展していくことも可能であり、いつしかメンバー間に距離が生まれるからだ。となれば、固定したメンバーでやる意味が薄らぐのである。
中心人物はボーガルの宮本浩次(みやもと ひろじ)だ。このヒト、時々、騒動を起こす。つい2、3年前も、ラジオのゲストに出た際、パーソナリティの女性と喧嘩になった、なんてことがことがあった。だからって宮本が、普段から粗暴なヤツなのかというと、決してそんなことはない。踏ん張って、骨身を削りながら作品と相対する、純で真面目な男である。たまにその想いが、伝わり切らずに空回りずくことがあるだけだ。ステージの宮本のトレード・マークは純白のシャツ。それは彼の心そのものなのだ。
もともと歌うことの素地があった宮本
意外なことに、という失礼だが、彼は子供の頃、児童合唱団に所属していた。しかもそれだけでなく、10歳の時、「はじめての僕デス」という歌でデビューを果たし、この曲は10万枚のヒットを記録する。つまりちょっとした“ちびっこスター”だったのだ。
幼少の頃に正式に歌を習っていた痕跡は、ロックを歌う現在の彼からも感じ取ることが出来る。妙なビブラートに頼らない歌い方は、歌うことの素地がある人ならではだ。
それはエレファントカシマシにとって最大のヒット曲「今宵の月のように」を聴いてもわかる。歌い出しから吐き捨てるようなバンカラな雰囲気だが、宮本の歌は音程が確かで、決して誤魔化しのないものだ。ロック、特にパンクっぽいバンドのボーカリストは、情念そのものでパフォーマンスすることもあるが、宮本は違うのだ。
ドラマの主題歌として書き下ろされたものである。ということは、依頼してきたプロデューサーなりの意向を汲み取らなければいけない。この歌が生まれた当時、僕は「自分を曲げてまで、宮本がそんなことするのかなぁ」とも思ったが、彼は慎重に相手の意向を探りつつ、見事、この作品を書き上げたのだった。
実は、最初に渡した曲は“内容にそぐわない”と却下され、ここでキレずに彼は、「ではこの曲ならどうだろう?」というものを新たに作り、そのプロデューサーの前で弾き語りで歌ってみせたのだった。そこで好感触を得るや、バンドのもとへと持ち帰った。
なんてことない普通のことのようで、こういう段階を経て作品を煮詰めていったのは賢明だった。これならプロデューサーに対しても、バンドの仲間に対しても、ベストなやり方だからだ。おそらくボツになった最初のものは、既にバンドで仕上げてあったのだと僕は推測する。そう。同じ落胆を、二度と仲間に味あわせたくなかったのだろう。
それは男の過去も照らし、同時に未来も照らす
「今宵の月のように」は、辺りの景色が浮かぶ歌である。宮本といえば、散歩も趣味のひとつ。そんな彼ならではの街の見え方や季節の感じ方が、この歌の魅力を支えている。散歩なのだから徒歩だ。なにか乗り物を利用してたら、きっと生まれなかった歌なのだ。
頭上には、綺麗な月が輝いている。それは男の過去も照らし、同時に未来も照らす。この「今宵の月のように」は夏の歌。夏の月は比較的低い位置に現われるので、もしかしたら主人公の行き先を暗示するかのように、頭上というより前方に輝いていたのかもしれない。
“思い出のかけら”とか“愛を探しに”とか、オーソドックスな表現が多い歌なのだが、歌詞の面で特筆したいのは、破裂音の上手な使い方だろう。いきなりサビから始まる冒頭の“♪くだらねぇ”の“く”からして、さっきバンカラと書いたが、実に気っぷのいい耳障りである。途中の“ポケットに手を”の“ポ”も、これと同様だ。
ただ、主人公の心情を描く部分はそんな感じだが、夕暮れの街の色彩がグラデーションを醸しつつ夜へと溶けていくあたりを描くAメロの部分は、丁寧に細やかに歌われていて、バンカラで気っぷのいい部分と程よいメリハリとなっている。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
1957年東京は目黒、柿ノ木坂に生まれる。音楽評論家。
1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論
家として30年のキャリアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、
Mr.Childrenなどのものがあり、また、J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、
自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レポート僕の「ワルツ・フォー
・デビイ」が弾けるまで』を発表。
1957年東京は目黒、柿ノ木坂に生まれる。音楽評論家。
1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論
家として30年のキャリアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、
Mr.Childrenなどのものがあり、また、J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、
自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レポート僕の「ワルツ・フォー
・デビイ」が弾けるまで』を発表。