第120回 DISH//「猫」
photo_01です。 2017年8月16日発売
 いまごろ昨年の『NHK紅白歌合戦』の話もなんなんですが、そう、もう6月ですけど、もっとじっくり聴きたかったのが、DISH//がパフォーマンスした「猫」だったのです。あいみょんが作った、いかにも彼女らしい物語性に秀でたポップ・ソング。

紅白はやたら大勢のアーティストが出てくるので、じっくり楽曲を披露する余裕は与えられず、(いま録画してあった同番組を見直したら)彼らの出演は2分11秒ほどだった。まぁもともとテレビというのはそういうものだし、この曲をフルで聴く方法はいくらでもある。でも、僕があえてこだわるのは、紅白だったら様々な層に届くからなのだった。歌の終盤の斬新な展開を、ぜひそれらの人達にも味わって欲しかった。

曲のタイトルについて

 この歌が「猫」というタイトルなのは、ふいに主人公のもとを去っていった相手の行動が、あの動物に準えられるからである。[猫になったんだよな 君は]の“なった”は、“そういう行動をとった”という意味だ。そして猫なので、[いつかフラッと現れてくれ]という希望も残される。ふいに居なくなった猫が、忘れたころに戻ってきた、みたいな話は、世の中にごまんと存在する。猫は人間の感覚からすると、実に気まぐれな性格であることが知られている。

相手が去った時間帯が秀逸

 相手が主人公のもとを去った時間帯に注目しよう。それは[夕焼けが燃えて]る頃、つまり夕方なのである。いっけん何気ないことのようだが、実は猫というのは、明け方と夕方に、もっとも活発になる。相手が夕方に去っていったというのは、理に適っているといえる。これ、作者のあいみょんが意識してたかどうかは不明だが…。

もちろん、そんな解釈をしなくても、実に映像が浮かぶシーンだ。いや、浮かぶどころか、この辺りの風景描写は、“目に沁みる”くらい鮮烈である。

ところで、なぜ相手は自分のもとを去っていったのだろうか? 非があるのは自分かも…。そう思わせるフレーズも登場する。[矛盾ばっかで無茶苦茶]と、そう自己分析しているからだ。

ただ、若いころなら誰もがそう感じるんだと思うのだ。“矛盾ばっか”というのは、自分の内側がそうだというより、世の中がそんなふうに成り立っていることに気づいてしまっただけの場合が多い。“無茶苦茶”もしかり。ただ、それを受け止めきれなかった状態なのだろう。

最後に「猫」は、心象から具象となる

 それにしても、歌の後半の主人公の喪失感にはハンパないものがある。でも作者のあいみょんは、そのあたりを前傾姿勢でドドドドっと攻めたてるだけじゃなく、柔らかな言葉遊びも盛り込んでいる。[面白いくらいにつまらない]などはそうだろう。

ここで、この歌のキラーフレーズについて触れておこう。[君がもし捨て猫だったら]である。去ってしまった夕焼けのあの日から、けっこう時が流れたかもしれないことを匂わせもする。

歌詞上も、あくまで“もし”という仮定の話ではあるのだが、この時点で相手が[捨て猫]であるなら、相手は主人公のもとを去ったあと、いったんは誰かと、別の生活を営んだということだ。じゃなければノラちゃんのままであり、“捨て”られることもない。「猫」を恋愛にまつわる歌として繙くと、なにやら背景に三角関係みたいなヨジレも匂わなくもない。

そして歌のシメである。お見事なオチが。大きめの座布団を三枚ほど進呈したくなる。もちろん、この歌を最後まで聴いた人なら、みなさん気づいたであろう秀逸な歌詞を紹介したい。

[猫になってでも現われてほしい]

 この歌に、ここまで実際の猫は登場してこなかった。先述したとおり、相手の行動パターンを猫に準えられただけだった。しかしここで、心象のなかのものだったそれが、(あくまでここでも仮定ではあるが)[猫になってでも]と具象として描かれている。

行間を読むならば、主人公のもとに、もはやこの相手とは再び会うことがままならない決定的な知らせでも届いたのかもしれない。だからこそ、たとえ化身であったとしても、せめて、せめてもの救いとして相手に会いたいと願ったわけだ。「猫」。聞きどころ満載の歌だ。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

桑田さんが中心になってレコーディングされた「時代遅れのRock'n'Roll Band」。佐野元春さんや世良公則さん、Charさん、野口五郎さんによる“同級生”の絆と、このキャリアの人達でないと醸しだされないロックの神髄たる奥行きあるグルーヴに感服した。不穏な世の中に対し、一番大切なものは何かを訴えかける歌詞も秀逸。趣向をこらしたMVも、じっくり拝見したいと思う。