実に長い間“音楽評論家”という職業を続けているのだが、 まったく取材させていただいたことのないアーティストは大勢いる。
そもそも僕の立場は、依頼があって初めてアーティストと面会する。それがなければ、ご縁のない状態が続いていく。
THE ALFEEも、そのなかのひと組である(正確に書くと、坂崎さんだけは、グループとは別の話題でインタビューしたことがあるが…)。
でも「祝・50周年」ということもあり、今回は、僕の方から手を挙げさせていただき、彼らの歌詞の世界を訪ねることにした。ではさっそく、全国民が知っているこの曲を。
そもそも僕の立場は、依頼があって初めてアーティストと面会する。それがなければ、ご縁のない状態が続いていく。
THE ALFEEも、そのなかのひと組である(正確に書くと、坂崎さんだけは、グループとは別の話題でインタビューしたことがあるが…)。
でも「祝・50周年」ということもあり、今回は、僕の方から手を挙げさせていただき、彼らの歌詞の世界を訪ねることにした。ではさっそく、全国民が知っているこの曲を。
1984年1月21日発売
歌の中に描かれる、ふたつの“ディスタンス”
高見沢俊彦と高椅研が作詞した「星空のディスタンス」は、歌の世界観から曲の構成、スリリングかつドラマチックな楽曲アレンジに至るまで、ポップ・ロックのお手本みたいな作品である。
今回、歌ネットを検索し、改めて歌詞を読んでみたら、いろいろ書きたいことが溢れてきた。
まずは最初のほうに出てくる、[たとえ500マイル 離れても]である。
この「500マイル」という表現は、60年代にピーター・ポール&マリーがヒットさせた、フォーク・ソングの同名曲が由来と思われる(忌野清志郎も日本語詞をつけて歌っていた)。
この場合、きっちりその距離(日本列島に置き換えるなら、おおよそ東京から広島まで)が問題なのではなく、“おいそれとは訪ねていけない遠いところ”ということの例えなのだろう。つまり、現在の二人の状況だ。
そしてこれが、最初に示される本作品のなかの“ディスタンス”(=隔たり)ということになる。
歌を聴き進むと、[カシオペアを見上げ 夢を語る]という描写に出会う。楽曲タイトルの「星空のディスタンス」とも、直接関係ある部分だろう。
そう。かつての二人は、同じ場所で星空を見上げていたのである。その際、物理的な距離は1メートルもなかったはずだ。肩が触れあっていたかもしれない。
なのになぜ、この歌は「星空のディスタンス」と名付けられたのか?
前述の通り、今現在、二人は別々の場所にいる。しかし、もし星空を見上げたあの日を思い出し、実際にそうしたなら、精神的な距離は、1メートル以内に戻るのかもしれない。
この歌のなかの“第二のディスタンス”が、この部分に示されていると言える。
つまり、置かれている状況のなかの物理的な距離と、気の持ちようによって変化する精神的な距離との違いだ。ふたつを巧みに絡み合わせて書かれているのが、この歌の魅力である。
もうひとつ、「星空のディスタンス」といえば、ぜひ書きたいのが“脚韻”のこと。
説明するまでもないかもだが、[星空の下のディスタンス]→[愛のレジスタンス]の部分だ。
この順番だからいい。発端が[ディスタンス]。解決策を匂わすのが[レジスタンス]。もし逆の順番だったら盛り下がってしまっただろう。
で、[愛のレジスタンス]ってどういうことなんだろうと考えた。これ、けっこう難題だった。
言葉の意味は、ふつうに考えたら抵抗・反抗ということ。でも、“愛の抵抗・反抗”と直訳しても、なんじゃらほい?である。
ちなみにこれらは、歌詞の構成上は、主人公の恋慕が爆発する、前段階の役割を担っている。
実際の爆発は、[Baby, come back!]のところで起こっているからだ。
そもそも形勢としては、けして主人公が有利じゃないのがこの歌であり、なので恋慕という言葉も使ってみた。そう。相手が再び自分の胸のなかに帰るかどうかは、不透明極まりない。
だからこそ[愛のレジスタンス]という、切実な、形振り構わない表現が、必要だったのである。
2017年12月20日発売
さてもう1曲。改めて大感動したこの作品を
今回、再入門する意識でTHE ALFEEの作品を聴いてみたのだが、個人的にグサッと刺さったのは、「人間だから悲しいんだ」であった。作詞は高見沢俊彦。彼らのシングルとしては、久しぶりに坂崎幸之助がリード・ボーカルをとった作品である。
人間の根源、本質と向き合う、とことんマジな歌である。これは、70年代初頭の音楽シーンの空気感といえる。それを実際に体験してきた三人だからこそ醸し出すことが出来たのだろう。しかも本作が、2017年という、比較的最近のリリースであることは賞賛に値する。
人生・自由・愛…。既に過去の歌の中に無数に存在するであろう言葉たち…。それらを磨き直し、改めて歌っている。磨いて顕れた言葉の地金の部分を、真正面から提出するかのような情熱を感じさせる。
歌詞の構成としては、[人間だから]のその先を、さまざまに活用していく手法が光る。人間は、だから、悲しく、寂しく、悔やんだりもする。
実は、この歌が届けたいのは“希望”なのだと思う。でもこの二文字を、薄っぺらい“励ましソング”のように乱用することはしない。しないどころか、一度もこの言葉は使わずそれを伝えようとしている。
ふと想ったが、THE ALFEEの「人間だから悲しいんだ」は、彼らが敬愛する吉田拓郎と関係あるのではなかろうか。かつて拓郎は、「人間なんて」と歌っていた。印象的だったのは[人間なんてラララ ラララララ]という歌詞だ。
その[ラララ ラララララ]を、具体的に言葉に置き換えたのが「人間だから悲しいんだ」ではなかろうか。そんなことを考えた。お後が宜しいようで…。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
お陰様で拙著『いわゆる「サザン」について』(水鈴社/文藝春秋)は、絶好調な滑り出しとなりました。出版取次の大手、トーハンさんのウィークリー・ランキングも堂々の4位。僕もいろいろ本を出してきましたが、ここのチャートにはなかなかランクイン出来ないです。嬉しい感想も、いろいろ届いていますけど、圧倒的に多いのは、「この本を読んでたら、サザンが聴きたくなった!」というもの。これは筆者として、一番の願いでもありました。まだの皆様は、ぜひぜひお手にとってくださいませ。
お陰様で拙著『いわゆる「サザン」について』(水鈴社/文藝春秋)は、絶好調な滑り出しとなりました。出版取次の大手、トーハンさんのウィークリー・ランキングも堂々の4位。僕もいろいろ本を出してきましたが、ここのチャートにはなかなかランクイン出来ないです。嬉しい感想も、いろいろ届いていますけど、圧倒的に多いのは、「この本を読んでたら、サザンが聴きたくなった!」というもの。これは筆者として、一番の願いでもありました。まだの皆様は、ぜひぜひお手にとってくださいませ。