第23回 一青窈「ハナミズキ」
photo_01です。 2004年2月11日発売
 時代が歌を生み出し、歌が時代を動かすことがあるのは今も昔も変わらない。例えば今回取り上げた一青窈の代表作、「ハナミズキ」に込められた想い。ある事件がきっかけで生まれたというのは有名なエピソードだ。2001年9月11日のアメリカにおける同時多発テロである。しかし、その事実を伝え、記録に残すことがこの歌の役割ではない。彼女が詞を書くにあたり、契機となったのは事実だが、未来に向け、平和への願いを歌というカプセルに積め込んだのがこの作品だ。

歌の背景にある歴史的なエピソードのことから

 独りよがりはいけないので、今回、「ハナミズキ」という歌を皆さんがどう受け止めているかをネット上で調べてみた。すると、多くの人がこの歌を真剣に受け止め、さまざまな感想を述べていることが分かった。いい加減に聞き流している人は居なかった。きっとそれは、ここに並ぶ言葉が、すべて研ぎ澄まされた真摯なものだからだろう。
彼女はこの歌の詞作において、溢れ出た言葉をまず掃き出してたら必要なものだけを残したそうだ。それはあたかも様々なテクニックを駆使していったん書き上げた絵画を、しかし最後は余計なものを総てそぎ落とし、線画だけにしたような感覚だろうか。
彼女は時にエッセイも発表するが、この歌に関して記述したものもある。なかでも興味深いのは、『明日の言付け』(河出書房新社)に書かれていることだ。彼女は、まずみなさんもどこかで目にしたであろうこの木にまつわるエピソードを紹介する。明治45年。当時の東京市長であった尾崎行雄は、アメリカ大統領に日米親善のため桜の木を贈り、その返礼として三年後に贈られてきたのがハナミズキだった。
実は一青窈は、ツアー中に尾崎の孫から一枚の色紙をもらったという。すでにこの歌が世に出てからのことだろうが、そこに尾崎の言葉として、「人生の本舞台は常に将来に在り」とあったそうだ。それはそのまま「ハナミズキ」に込めた想いにも通じる。
彼女はさらに、この歌に込めた想いとして、「意地悪な心の芽を摘んで、やわらかな気持ちが連鎖してほしいもの」と書いている。これは「歌に出来ること」を信じて、でも過信しすぎない彼女ならではの表現だと想う。曲調、細やかな彼女の歌唱…。歌詞以外にも、この歌が流れた時の場の空気そのものが、我々を“やわらかな気持ち”へと誘う。

「百年続きますように」と歌えた理由。

 ここからはこのコラムらしく、歌詞を細かく見ていくことにしよう。冒頭の“空を押し上げ”て“手を伸ばす君”とは、ハナミズキそのものを連想させる。そしてこの樹木の花(実は我々がそう思っているのは正確には萼(がく)の部分なのだそうだ)は、垂れたりせず、てっぺんを向いているので、まさに空を押し上げるイメージだ。
そしてもっとも印象的なフレーズである“百年続きますように”は、日米の友好関係のことかもしれないし、日米に限らず、すべての国同士のことにも当てはまる(この歌が同時多発テロを契機に書かれたことを思い出せば尚更である)。
しかし男女関係、または親子関係がテーマの歌と捉えるなら、両者の愛情よ永遠に、という願いだろう。いずれにしろ、その根底にあるのは彼女の言葉通り、“やわらかな気持ち”の連鎖を願う、ということではなかろうか。誰も自分の百年後は分からない。でもその連鎖を信じるなら、それまで不確だったことも確かに思えてくる。
個人的に心に響くのは、“一緒に渡るには”“船は沈んじゃう”のところ。これは人間の欲望を地球という星が受け止めるにしても、「そろそろキャパ・オーバーですよ」という警告とも受け取れ、“お先にゆきなさい”からは、無私の愛が感じられる。さて、季節はこの歌を聴くにも歌うにも良い季節。こうして旬の歌を紹介できた幸せを、今、確かに感じている。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

そもそも文章を書くことと歌が大好きだったので、これらふたつの合わせ技で音楽評論家な
る職業に就いて早ウン十年。でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続け
るのです。さて近況としては、遂にというか、本格的にネットワーク・オーディオの世界に
足を踏み込んでみました。ここ何年か、音質に関してはMP3の利便性が持てはやされ、もち
ろんその利点は今もあるのですが、ガツンと高音質で音楽を楽しむことにも、再び注目が集
まってます。いわゆるハイレゾっていうヤツですが、試しにダウンロードしてみたところ、
もう何回繰り返し聴いたか分からないロックの名盤が、あら不思議。これまでが“B席”だっ
たなら、“S席”で鳴るのです。当分、そんな再発見が続きそうです。