とある雑誌の取材で、いきものがかりの三人に作詞・作曲に関して訊ねたことがあったのだが、その際の水野良樹の発言は、とても印象に残るものだった。彼は歌が届く場所というのは無限に存在することにロマンを感じている様子だったし、実際、届けるべき場所も「ちゃんと見えているんだな」と思った。それをより具体的な言葉にするなら、広く“大衆に届けたい”という願いだろう。“自らの世界観を構築したい”みたいな人は珍しくないが、こうしたスタンスを語ってくれる若きソング・ライターには久しぶりに会ったし、だから余計、彼のことが印象に残ったわけだ。あれはまだ、「帰りたくなったよ」や「ありがとう」を世に問う少し前のことだったが、のちにこれらの作品に接した時、あの時彼に感じた予感が、確信へと変わったものだった。
誰の心にもあるはずの、でも、忘れがちなもの…。
いきものがかりの数ある名曲のなかから、今回は「ありがとう」を取り上げよう。NHK朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の主題歌だ。毎朝、お茶の間に流れるということは、様々な人が様々な朝を迎えるにあたり耳障りではいけない。それでいて、作品としての存在感もちゃんと示さないといけないあたりが難しい。
この歌は、どのあたりが歓迎されたのだろうか。まず、サビから始まる分かりやすい構成が万人に届きやすかった。さらに、聴く者を素直な気持ちにさせてくれる伸びやかさと穏やかさを伴っていた。加えてこの歌は、“ありがとう”という何の変哲も無い一言を軸にしつつ、誰の心にもあるはずの、でも、忘れがちなものを思い起こさせてくれたのだ。僕個人が歌からもらったメッセージを書くなら、「言葉で伝えること」と「心で通じあうこと」は、常に同じくらいの比重であるべき、ということだった。
書き下ろし作品なので、ドラマのあらすじなどを踏まえて書いたものなのだろう。いや、踏まえてどころか、作者の水野は、与えられた“お題”を楽しみつつ、ソング・ライターとしての腕試しをしたのではと思いたくなる部分もある。例えば1番の“♪いつもの街へ出かける”のあたりは、ドラマの放送される時間帯に通学や通勤のため家へ出る人達が多いことにどんぴしゃりである。そして2番。“♪描かれた未来を 書き足していくんだ”というあたりも注目だ。このドラマは描くことを生業にする漫画家夫婦の物語である。この部分が、そのあたりを彷彿させなくもない(深読みしすぎかな?)。
普通、あまりドラマ本体を意識しすぎるとわざとらしくなるし、単なるあらすじの説明に陥ることだってあるのだが、水野の手に掛かると、むしろそのことで歌がより耳障りよく一般化するというか、これぞソング・ライターとしての腕の良さなのではと感心する次第である。
曲の出来映えもそうだが、ボーカルの吉岡聖恵の歌唱も非常に大きい。マイクによく乗る彼女の声に小細工など不要。歌の冒頭の“ありがとう”の一言。この何の変哲も無い一言がぴかぴかに磨き直され、心に染み込みやすい状態で我々に届けられる。もしこの歌を節回しやフェイクばりばりのボーカリストが担当していたとしたらどうだろう?いくら心のこもった“ありがとう”だったとしても、きっとノー・サンキューだっただろう。
“ありがとう”の一人歩きについて
いきものがかりの「ありがとう」は、歌全体の価値とは別に、“ありがとう”と歌われる、サビの部分が独立したものとして価値を持ち始めている。みなさんもテレビなどで、感謝の気持ちを出演者が現すような場面で、いきなりこの歌のこの部分が流され、感動を誘うような演出に遭遇したことがあると思う。放送業界において、こうした曲の流し方を正式になんと言うのかは知らないのだけど、ここでは仮に“歌の一部分のジングル化”とでも呼ばせて頂こう。他にもこうした例では、一番ポピュラーなものとしてオフコースの「さよなら」の表題部分が別れの場面などに流れる、というのがある。
アーティストにとって、こうした現象(?)はどういう心持のすることなのだろうか。もちろん苦労して作った作品だし、曲全体を聴いてもらってこそ、なのは当然だろう。しかもこの「ありがとう」の場合、ラストに向かって想いが高まっていくあたりが最も感動的なのだ。“♪伝えたくて”〜“あなたを見つめるけど”だった繰り返しが、最後に“♪伝えたくて”〜“あなたに 伝えたくて”と繰り返され強調され、そして遂に“あなたに 伝えるから”という決意でもって終わっていく。
実は歌のなかで繰り返される印象的な“ありがとう”は歌の主人公が声に発したものではなく、胸の中の想いなのである。とはいえ、この部分が一人歩きすることは悪いことではない。この歌を、みんな忘れないからだ。聴いてみたければフルで聴けばいいわけだ。
外国などをみても、歌の一部分が有名だということが、のちのちその楽曲がスタンダード化するキッカケになった例は少なくない。というわけで若いソング・ライターの皆様。日常で何気なく使う言葉をサビに採用、というのにトライしてみるのは如何でしょうか? というわけで、最後までこの文章を読んでくれて……、ありがとう!
誰の心にもあるはずの、でも、忘れがちなもの…。
いきものがかりの数ある名曲のなかから、今回は「ありがとう」を取り上げよう。NHK朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の主題歌だ。毎朝、お茶の間に流れるということは、様々な人が様々な朝を迎えるにあたり耳障りではいけない。それでいて、作品としての存在感もちゃんと示さないといけないあたりが難しい。
この歌は、どのあたりが歓迎されたのだろうか。まず、サビから始まる分かりやすい構成が万人に届きやすかった。さらに、聴く者を素直な気持ちにさせてくれる伸びやかさと穏やかさを伴っていた。加えてこの歌は、“ありがとう”という何の変哲も無い一言を軸にしつつ、誰の心にもあるはずの、でも、忘れがちなものを思い起こさせてくれたのだ。僕個人が歌からもらったメッセージを書くなら、「言葉で伝えること」と「心で通じあうこと」は、常に同じくらいの比重であるべき、ということだった。
書き下ろし作品なので、ドラマのあらすじなどを踏まえて書いたものなのだろう。いや、踏まえてどころか、作者の水野は、与えられた“お題”を楽しみつつ、ソング・ライターとしての腕試しをしたのではと思いたくなる部分もある。例えば1番の“♪いつもの街へ出かける”のあたりは、ドラマの放送される時間帯に通学や通勤のため家へ出る人達が多いことにどんぴしゃりである。そして2番。“♪描かれた未来を 書き足していくんだ”というあたりも注目だ。このドラマは描くことを生業にする漫画家夫婦の物語である。この部分が、そのあたりを彷彿させなくもない(深読みしすぎかな?)。
普通、あまりドラマ本体を意識しすぎるとわざとらしくなるし、単なるあらすじの説明に陥ることだってあるのだが、水野の手に掛かると、むしろそのことで歌がより耳障りよく一般化するというか、これぞソング・ライターとしての腕の良さなのではと感心する次第である。
曲の出来映えもそうだが、ボーカルの吉岡聖恵の歌唱も非常に大きい。マイクによく乗る彼女の声に小細工など不要。歌の冒頭の“ありがとう”の一言。この何の変哲も無い一言がぴかぴかに磨き直され、心に染み込みやすい状態で我々に届けられる。もしこの歌を節回しやフェイクばりばりのボーカリストが担当していたとしたらどうだろう?いくら心のこもった“ありがとう”だったとしても、きっとノー・サンキューだっただろう。
“ありがとう”の一人歩きについて
いきものがかりの「ありがとう」は、歌全体の価値とは別に、“ありがとう”と歌われる、サビの部分が独立したものとして価値を持ち始めている。みなさんもテレビなどで、感謝の気持ちを出演者が現すような場面で、いきなりこの歌のこの部分が流され、感動を誘うような演出に遭遇したことがあると思う。放送業界において、こうした曲の流し方を正式になんと言うのかは知らないのだけど、ここでは仮に“歌の一部分のジングル化”とでも呼ばせて頂こう。他にもこうした例では、一番ポピュラーなものとしてオフコースの「さよなら」の表題部分が別れの場面などに流れる、というのがある。
アーティストにとって、こうした現象(?)はどういう心持のすることなのだろうか。もちろん苦労して作った作品だし、曲全体を聴いてもらってこそ、なのは当然だろう。しかもこの「ありがとう」の場合、ラストに向かって想いが高まっていくあたりが最も感動的なのだ。“♪伝えたくて”〜“あなたを見つめるけど”だった繰り返しが、最後に“♪伝えたくて”〜“あなたに 伝えたくて”と繰り返され強調され、そして遂に“あなたに 伝えるから”という決意でもって終わっていく。
実は歌のなかで繰り返される印象的な“ありがとう”は歌の主人公が声に発したものではなく、胸の中の想いなのである。とはいえ、この部分が一人歩きすることは悪いことではない。この歌を、みんな忘れないからだ。聴いてみたければフルで聴けばいいわけだ。
外国などをみても、歌の一部分が有名だということが、のちのちその楽曲がスタンダード化するキッカケになった例は少なくない。というわけで若いソング・ライターの皆様。日常で何気なく使う言葉をサビに採用、というのにトライしてみるのは如何でしょうか? というわけで、最後までこの文章を読んでくれて……、ありがとう!
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。
でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。今年の夏、特に8
月は、籠もって資料をあれこれ見る日々が多かったです。で、近況と言いますと、とある取
材で、普段僕なんかが立ち入らない、超高級カラオケ・ル−ムに行ってきました。分厚い絨
毯、重厚な調度品、モニタ−も大きくて、革張りのソファに腰を掛けたら、ぐぐっと沈み込
んで体勢を立ち直すのに一苦労。場違いなとこ来たなぁと思ったのですが、部屋の隅にはタ
ンバリンが。それ見たら、「やはりここはカラオケなんだ…」と安心しました。
文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。
でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。今年の夏、特に8
月は、籠もって資料をあれこれ見る日々が多かったです。で、近況と言いますと、とある取
材で、普段僕なんかが立ち入らない、超高級カラオケ・ル−ムに行ってきました。分厚い絨
毯、重厚な調度品、モニタ−も大きくて、革張りのソファに腰を掛けたら、ぐぐっと沈み込
んで体勢を立ち直すのに一苦労。場違いなとこ来たなぁと思ったのですが、部屋の隅にはタ
ンバリンが。それ見たら、「やはりここはカラオケなんだ…」と安心しました。