今でこそ慣れ親しんだし愛しさへと変ったけど、初めて「ゲスの極み乙女。」というグループ名に接した時、私のなかに巻き起こったのはズバリ「違和感」だった。実はあるメディアから作品レビューを頼まれ、その中の一作が彼らだったのである。“ゲス”、だなんて、きっと世の中を混沌へと導こうとする危ない人達に違いない…。でも、おそるおそる聴いてみると、「こういう人達を待っていた!」と、そう思えるほど一発で気に入った。
四人四様の音楽性を持ち寄ったような、自由で闊達な音の雰囲気。それぞれみんな、音楽と真剣に向き合わなきゃ出せない芯のしっかりした演奏なのも頼もしかった。男性二人、女性二人という、メンバー編成も新鮮で、しかも全員、キャラが立っている。もう、知れば知るほど好きになった。
ボーカルの川谷絵音の曲作りは、意表を突く構成(プログレと評される所以はそこにある)が斬新であり、でも人なつっこい面を併せ持っていた(これも肝心)。どういう発想すると生まれるんだろうという歌詞の世界観、というか言語感覚は、他の誰にも似ていない。以下、このコラムらしく、そのあたりに注目して書かせて頂くことにしよう。
“ほうれい線”が堂々と歌われた日
それは「jajaumasan」という愉快な作品を聴いていた時のこと。僕の耳は、普段、J-POPに接していても出くわさない言葉と正面衝突した。「ほうれい線」! 美容に敏感な人達には、決して歓迎される言葉じゃない「ほうれい線」(笑)。でも、そんな単語が軽やかに織り込まれていた。その直後、ラッキーなことに川谷本人に会うことが出来た。さっそく訊いてみた。答はこうだった。 まず、歌詞というのは意味というより、音感を大切に言葉を拾っている、ということ。そしてこの「ほうれい線」だけど、スマホをスクロールしつつツイッターをなんとなく眺めてたら、目に飛び込んできた言葉だったのだそう。そういう“作詞術”もあるんだなぁと感心した。
もうひとつ「jajaumasan」で特徴的なのは、男性である川谷が、女ごころの側から詞を描いているところ。これは彼の作品のひとつの特徴でもある。そして、その決定打ともいえるのが「私以外私じゃないの」だ。コカコーラのCM曲ということで、より多くの人達の耳に触れ、人気拡大のキッカケとなったことは、改めて言うまでもないだろう。この歌の魅力を、さらに詳しく探っていくことにしよう。
中島みゆきの世界観にも、どこか通じるような…。
この歌を知らない人のために、まずシチュエーションを。主人公の女性は鏡台に向かい、自問自答する。さらに、どこからともなくやってくる、もうひとりの自分の声を聞く。推測される時間帯は、今日も様々なことがあったであろう一日の終わり…。ここでまず注目すべきはタイトルにもある“私以外”という言葉だ。普通に考えるなら、本来の自分ではない、社会のなかで仮面を被った“偽りの自分”のことを指すのだろう。
“私にしか守れないもの”とか“誰も替われないわ”という言葉も出てくる。これはある種の覚悟というか、そこから導き出された結論が即ち、曲のタイトルにもなってる“私以外は私じゃない”ということ。ちなみに歌詞の最後の行は“息を吸い込んだ”である。この言葉をもって唐突に終わる。どういう効果が狙われているかというと、つまり明日もわたしはリッパに“生きていく”、ということに違いない。途中、ウエッティな表現もある歌だけど、最終的にはポジティヴな印象を聴く者に与える。なお、ゲスの極み乙女。の場合は特に、歌詞だけでは語れない部分が実に多い。この“息を吸い込んだ”のあと、幾何学的とも思える四人のテクニカルな演奏が続き、それもすべて聴き終えた後の“余韻”こそが、この歌の本当の答えとなる。
実は今回、普通なら繋がらないところに、僕の想いは通奏低音を介し、繋がっていったのでそれを最後に…。もう、ホント、普段なら繋がらない、絶対。だって中島みゆき。彼女の作品に「クレンジング クリーム」というのがあり、「私以外私じゃないの」の歌詞を眺めていたら、ふと想い出したのだ。中島さんのほうは、クレンジングクリームを一塗りするたびに自分の中の多面な性質(イヤな部分も)が浮かび上がってくる、という内容。曲調はまったく違う(当たり前ですけど…)。川谷は明らかに理系のヒトで中島さんは明らかに文系のヒトであるのも違う。でも「私以外私じゃないの」の主人公の女性も鏡台の前でクレンジングクリーム塗ってたかもしれないのだ。さらに、私以外は私ではないんだという覚悟の大切さを伝えるという意味では、共通しているような…。
四人四様の音楽性を持ち寄ったような、自由で闊達な音の雰囲気。それぞれみんな、音楽と真剣に向き合わなきゃ出せない芯のしっかりした演奏なのも頼もしかった。男性二人、女性二人という、メンバー編成も新鮮で、しかも全員、キャラが立っている。もう、知れば知るほど好きになった。
ボーカルの川谷絵音の曲作りは、意表を突く構成(プログレと評される所以はそこにある)が斬新であり、でも人なつっこい面を併せ持っていた(これも肝心)。どういう発想すると生まれるんだろうという歌詞の世界観、というか言語感覚は、他の誰にも似ていない。以下、このコラムらしく、そのあたりに注目して書かせて頂くことにしよう。
“ほうれい線”が堂々と歌われた日
それは「jajaumasan」という愉快な作品を聴いていた時のこと。僕の耳は、普段、J-POPに接していても出くわさない言葉と正面衝突した。「ほうれい線」! 美容に敏感な人達には、決して歓迎される言葉じゃない「ほうれい線」(笑)。でも、そんな単語が軽やかに織り込まれていた。その直後、ラッキーなことに川谷本人に会うことが出来た。さっそく訊いてみた。答はこうだった。 まず、歌詞というのは意味というより、音感を大切に言葉を拾っている、ということ。そしてこの「ほうれい線」だけど、スマホをスクロールしつつツイッターをなんとなく眺めてたら、目に飛び込んできた言葉だったのだそう。そういう“作詞術”もあるんだなぁと感心した。
もうひとつ「jajaumasan」で特徴的なのは、男性である川谷が、女ごころの側から詞を描いているところ。これは彼の作品のひとつの特徴でもある。そして、その決定打ともいえるのが「私以外私じゃないの」だ。コカコーラのCM曲ということで、より多くの人達の耳に触れ、人気拡大のキッカケとなったことは、改めて言うまでもないだろう。この歌の魅力を、さらに詳しく探っていくことにしよう。
中島みゆきの世界観にも、どこか通じるような…。
この歌を知らない人のために、まずシチュエーションを。主人公の女性は鏡台に向かい、自問自答する。さらに、どこからともなくやってくる、もうひとりの自分の声を聞く。推測される時間帯は、今日も様々なことがあったであろう一日の終わり…。ここでまず注目すべきはタイトルにもある“私以外”という言葉だ。普通に考えるなら、本来の自分ではない、社会のなかで仮面を被った“偽りの自分”のことを指すのだろう。
“私にしか守れないもの”とか“誰も替われないわ”という言葉も出てくる。これはある種の覚悟というか、そこから導き出された結論が即ち、曲のタイトルにもなってる“私以外は私じゃない”ということ。ちなみに歌詞の最後の行は“息を吸い込んだ”である。この言葉をもって唐突に終わる。どういう効果が狙われているかというと、つまり明日もわたしはリッパに“生きていく”、ということに違いない。途中、ウエッティな表現もある歌だけど、最終的にはポジティヴな印象を聴く者に与える。なお、ゲスの極み乙女。の場合は特に、歌詞だけでは語れない部分が実に多い。この“息を吸い込んだ”のあと、幾何学的とも思える四人のテクニカルな演奏が続き、それもすべて聴き終えた後の“余韻”こそが、この歌の本当の答えとなる。
実は今回、普通なら繋がらないところに、僕の想いは通奏低音を介し、繋がっていったのでそれを最後に…。もう、ホント、普段なら繋がらない、絶対。だって中島みゆき。彼女の作品に「クレンジング クリーム」というのがあり、「私以外私じゃないの」の歌詞を眺めていたら、ふと想い出したのだ。中島さんのほうは、クレンジングクリームを一塗りするたびに自分の中の多面な性質(イヤな部分も)が浮かび上がってくる、という内容。曲調はまったく違う(当たり前ですけど…)。川谷は明らかに理系のヒトで中島さんは明らかに文系のヒトであるのも違う。でも「私以外私じゃないの」の主人公の女性も鏡台の前でクレンジングクリーム塗ってたかもしれないのだ。さらに、私以外は私ではないんだという覚悟の大切さを伝えるという意味では、共通しているような…。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。
でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。
少しは涼しくなれると思い、いつもより短めのインタ−バルで散髪に行ってきました。
でもなんでこんな表現なんでしょ。「理髪」、「整髪」って言葉もありますが…。
切れば床に散らばるから「散髪」なんですかね。「夏なんで短く…」と注文。
店のヒトが「バリカンは?」と訊ねます。「そこまではいい」。もし頼んでたら小学生以来でした。
文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。
でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。
少しは涼しくなれると思い、いつもより短めのインタ−バルで散髪に行ってきました。
でもなんでこんな表現なんでしょ。「理髪」、「整髪」って言葉もありますが…。
切れば床に散らばるから「散髪」なんですかね。「夏なんで短く…」と注文。
店のヒトが「バリカンは?」と訊ねます。「そこまではいい」。もし頼んでたら小学生以来でした。