矢沢永吉はなぜ自分のことをヤザワと呼ぶのかに関しては、すでに様々な言及があるけれど、決してそれはナルシスティックなことからではなく、アーティストとしての自分を客観視することが彼には可能だからなのだろう。そう。プロデューサー目線の自分がヤザワの外にもうひとり居るのだ。
僕は数回ご本人にインタビューしたことあるけど、取材はいつもキチッとしたものだった。キチッと、とは、やる意図が明快ということ。みんなに聴いて欲しい作品が出来た。ならば届けたい。そのためのプロモーションであるという、そのことが毎回、明快だった。
その際、僕が“会っている”のは、どちらかというとヤザワの外にいるプロデューサーとしての彼なのである。でも、そのインタビュー中、目の前でご本人が自分を「ヤザワはね」と、そう呼んだ瞬間にはそれまでにない電流が走るような感動を覚えた。その時の声。そして手の仕草…。いや手、というか、指先の仕草。彼の目線の先には、ステージに立っている「矢沢永吉」の姿が思い描かれていた。「ヤザワはね…」。その瞬間、僕は一緒にその姿を“見た”気がした。ロックンロールを、そしてバラードを、見事にキメるその姿を…。
キャロルの話はまた後日。今回は、ソロ・デビュー作を。
後日、と、書きつつ、ちょっとだけ…。今では想像も出来ないことだけど、かつて日本には、そう、1970年前後には、「ロックは日本語で歌うものなのか、または英米に習い、英語で歌うものなのか?」という論争があった。それぞれの主張がぶつかり、雑誌では討論会。しかしそんなもんは吹き飛ばしたのがキャロルというバンドだった。そこには日本語と英語が垣根なく同居し、そして矢沢永吉の歌い方は英語っぽく聞こえた。でも冷静に考えてみて、日本語を英語っぽく歌うなんてことは不可能だろう(なにしろそれは日本語なのだから)。ここに彼のオリジナリティがあった。こうした画期的なスタイルにより、論争にも終止符を打ったわけだ。
しかしバンドは解散し、ソロ・デビューと相成る。曲は「アイ・ラヴ・ユー、OK 」。その後、「時間よ止まれ」などのヒットが生まれるのだが、まずはやはりこの楽曲である。十代の頃からあたためていた作品だというが、今、我々が知っているのは、彼とはなにかと深い繋がりのあるノーバディの相沢行夫による歌詞がついてからのものだ。
詞のコラムなので、まずは言葉にこだわって書かせて頂くが、この歌の最大の特色は単に「アイ・ラヴ・ユー」ではなく、そこに“OK”が付け加えられていること。そして、この“OK”が重要なのだ。歌の“射程”を至近距離にする効果もある。
至近距離とはそう、すぐ横にいる、最愛のひとへ届ける、ということ。自分の心の中にある愛情が、どれだけ大きく、どれだけ純度の高いものであるのかを伝える。しばしばヤザワはステージのアンコールでこの作品を歌いもしたけど、そのことで、われわれ観客はとても身近に彼を最後に感じつつ家路へ着いたわけだ。
ここでさらに肝心なのは、“OK?”と訊ねつつも、決してそのことで、改めて“認証を得よう”という歌ではないことだ。非常にダサくなるけど、もし曲タイトルを日本語に訳させて頂くなら、“オレはオマエを愛してる いいよな?”、みたいな感じ。そしてこの“いいよな?”のニュアンスはつまり…。
君が想像しているよりも、もしかしたらこの愛は、より深く強いものかもしれないけど、“いいよな?”、なのだと思うのだ。相手にちょっとした覚悟を促す。そのための“OK”。くーっ!! 文章を書いていても、ずっとこの歌が、頭に鳴り続けているんですけど。
彼はちょっとニヤッとして、僕にこう言った
実は以前、曲をどのように作るかに関して、ご本人に伺ったことがあった。それはこんなことだった。まずは誰でも、聴く側としての音楽との出会いを果たす。そう。好きな歌が出来る。洋楽でも邦楽でもいい。そして自分で歌いたいとも思う。いや頭より先に、口ずさんでいたかもしれない。やがてギターへの興味も湧く。ギターでも、特に彼はエレキの響きに魅了される。そしてギターを手にしたら、コードを覚える。いくつか覚えれば、曲が弾ける。
その日もつまりはそんなことで、ギターを手にして、ビートルズの好きな歌かなんかを歌っていたのだという。すると、ただ原曲をそのままやるよりも、“もしかしたらこっちのほうが気持ちいいかも”と、気づけば元のメロディを逸脱していたのだという。“いいじゃない、こっちのほうが”。勢いも出てきて、やがてそれは、原曲からは見事に脱皮した別の生き物になる。このあたりのこと、つまり彼がどのように音楽に興味を持ち、自ら曲を作り始めるのかに関しては、あの有名な『成りあがり』という自伝のなかにも出てくる。
話を戻す。“もしかしたらこっちのほうが気持ちいいかも”、ということで、別のメロディが彼のもとへ降りてくる。それを残すかさっさと忘れてしまうかは自分次第。でも彼は残すことにする。「その時出来たのが、なんて曲か分かる?」。インタビュー中に、ふと彼は僕にそう聞き返してきた。
でも、分からないじゃないですか。普通だったら分からない。だから僕は、「ちょっと分かりませんね」と素直に答えたのだ。するとちょっとニヤッとして、彼はこういったのだった。
僕は数回ご本人にインタビューしたことあるけど、取材はいつもキチッとしたものだった。キチッと、とは、やる意図が明快ということ。みんなに聴いて欲しい作品が出来た。ならば届けたい。そのためのプロモーションであるという、そのことが毎回、明快だった。
その際、僕が“会っている”のは、どちらかというとヤザワの外にいるプロデューサーとしての彼なのである。でも、そのインタビュー中、目の前でご本人が自分を「ヤザワはね」と、そう呼んだ瞬間にはそれまでにない電流が走るような感動を覚えた。その時の声。そして手の仕草…。いや手、というか、指先の仕草。彼の目線の先には、ステージに立っている「矢沢永吉」の姿が思い描かれていた。「ヤザワはね…」。その瞬間、僕は一緒にその姿を“見た”気がした。ロックンロールを、そしてバラードを、見事にキメるその姿を…。
キャロルの話はまた後日。今回は、ソロ・デビュー作を。
後日、と、書きつつ、ちょっとだけ…。今では想像も出来ないことだけど、かつて日本には、そう、1970年前後には、「ロックは日本語で歌うものなのか、または英米に習い、英語で歌うものなのか?」という論争があった。それぞれの主張がぶつかり、雑誌では討論会。しかしそんなもんは吹き飛ばしたのがキャロルというバンドだった。そこには日本語と英語が垣根なく同居し、そして矢沢永吉の歌い方は英語っぽく聞こえた。でも冷静に考えてみて、日本語を英語っぽく歌うなんてことは不可能だろう(なにしろそれは日本語なのだから)。ここに彼のオリジナリティがあった。こうした画期的なスタイルにより、論争にも終止符を打ったわけだ。
しかしバンドは解散し、ソロ・デビューと相成る。曲は「アイ・ラヴ・ユー、OK 」。その後、「時間よ止まれ」などのヒットが生まれるのだが、まずはやはりこの楽曲である。十代の頃からあたためていた作品だというが、今、我々が知っているのは、彼とはなにかと深い繋がりのあるノーバディの相沢行夫による歌詞がついてからのものだ。
詞のコラムなので、まずは言葉にこだわって書かせて頂くが、この歌の最大の特色は単に「アイ・ラヴ・ユー」ではなく、そこに“OK”が付け加えられていること。そして、この“OK”が重要なのだ。歌の“射程”を至近距離にする効果もある。
至近距離とはそう、すぐ横にいる、最愛のひとへ届ける、ということ。自分の心の中にある愛情が、どれだけ大きく、どれだけ純度の高いものであるのかを伝える。しばしばヤザワはステージのアンコールでこの作品を歌いもしたけど、そのことで、われわれ観客はとても身近に彼を最後に感じつつ家路へ着いたわけだ。
ここでさらに肝心なのは、“OK?”と訊ねつつも、決してそのことで、改めて“認証を得よう”という歌ではないことだ。非常にダサくなるけど、もし曲タイトルを日本語に訳させて頂くなら、“オレはオマエを愛してる いいよな?”、みたいな感じ。そしてこの“いいよな?”のニュアンスはつまり…。
君が想像しているよりも、もしかしたらこの愛は、より深く強いものかもしれないけど、“いいよな?”、なのだと思うのだ。相手にちょっとした覚悟を促す。そのための“OK”。くーっ!! 文章を書いていても、ずっとこの歌が、頭に鳴り続けているんですけど。
彼はちょっとニヤッとして、僕にこう言った
実は以前、曲をどのように作るかに関して、ご本人に伺ったことがあった。それはこんなことだった。まずは誰でも、聴く側としての音楽との出会いを果たす。そう。好きな歌が出来る。洋楽でも邦楽でもいい。そして自分で歌いたいとも思う。いや頭より先に、口ずさんでいたかもしれない。やがてギターへの興味も湧く。ギターでも、特に彼はエレキの響きに魅了される。そしてギターを手にしたら、コードを覚える。いくつか覚えれば、曲が弾ける。
その日もつまりはそんなことで、ギターを手にして、ビートルズの好きな歌かなんかを歌っていたのだという。すると、ただ原曲をそのままやるよりも、“もしかしたらこっちのほうが気持ちいいかも”と、気づけば元のメロディを逸脱していたのだという。“いいじゃない、こっちのほうが”。勢いも出てきて、やがてそれは、原曲からは見事に脱皮した別の生き物になる。このあたりのこと、つまり彼がどのように音楽に興味を持ち、自ら曲を作り始めるのかに関しては、あの有名な『成りあがり』という自伝のなかにも出てくる。
話を戻す。“もしかしたらこっちのほうが気持ちいいかも”、ということで、別のメロディが彼のもとへ降りてくる。それを残すかさっさと忘れてしまうかは自分次第。でも彼は残すことにする。「その時出来たのが、なんて曲か分かる?」。インタビュー中に、ふと彼は僕にそう聞き返してきた。
でも、分からないじゃないですか。普通だったら分からない。だから僕は、「ちょっと分かりませんね」と素直に答えたのだ。するとちょっとニヤッとして、彼はこういったのだった。
「アイ・ラヴ・ユー、OK 」
確かその瞬間、掌を上に向けた仕草で、この言葉を放った記憶が有る。このあまりにもカッコいい展開に、もはや通常の脈拍を維持しつつの取材は困難になった記憶があったけど、無事取材は終了した。、その時の記事が、きっとどこかに残っている筈なのだが…。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。
でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。
今回は矢沢永吉さんということで、想い出すのはもうだいぶ前のことですが、武道館にライヴを
観に行った時のこと。素晴らしかったのはマイク・スタンドの“捌き方”。マイクというのは歌を
伝えるために必要だからあるわけですが、それすらも体の一部であるかのように一体化し、
ロック・エンタ−テインメントの重要な要素として捉える姿勢に、ただただ感激したのでした。
文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。
でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。
今回は矢沢永吉さんということで、想い出すのはもうだいぶ前のことですが、武道館にライヴを
観に行った時のこと。素晴らしかったのはマイク・スタンドの“捌き方”。マイクというのは歌を
伝えるために必要だからあるわけですが、それすらも体の一部であるかのように一体化し、
ロック・エンタ−テインメントの重要な要素として捉える姿勢に、ただただ感激したのでした。