この話を聞いて、「ズイブン変わったヒトだ」と一笑に付すのは簡単だけど、僕は非常に好感を持った。「現代人はモノを使いこなしているようで、モノに支配されている」と言ったのは、フランスの哲学者ボードリヤールだったけど、Coccoもきっと、同様の危惧を感じていたのかもしれない。もちろん、普通にお勤めしているヒトが携帯を持ってなかったら仕事にならないだろう。でも、彼女は「アーティスト」である。周囲に合わせるだけじゃない生活態度があってこそ、「表現の純度」が保たれてきたかもしれないのだ。
あの時と、「さほど変わってないのかな…」、とも思った。あの時とは、Coccoがデビューして、レコード会社でインタビューした時のこと。普通は新人なら「よろしくお願いしまーす」と始まるのだけど、彼女は椅子が並ぶ小さな会議室のテーブルの、椅子には座らず中腰で、テーブルに肘をつけたポーズで話し始めたのである。僕は思わず、それがこのヒトの流儀なのだと思い、同じように椅子は使わず中腰で、テーブルに肘をつけて話を聞き、質問を続けたのだった。なぜ彼女は椅子に座らなかったのだろう。椅子があっても、必ず座らなきゃいけないとは思わなかったのだろう。目線を低く保ったほうが、素直に話せるから、というのが理由だったかもしれない。でも取材は上手くいった。腰は少し疲れたけど。
人は“弱く”、でも“強く”、そして“儚い”
Coccoの数ある名作の中から、世間一般に広く愛されているであろう曲を取り上げる。それは「強く儚い者たち」。作詞は本人で作曲は柴草玲である。発売当時(1997年)はJALの“ハワイ島キャンペーン”のCMソングとしてもお茶の間に流れていた。そして今も、カラオケでこの作品を歌う人は多い。僕はあまり行かないけど、そんな僕でも何人かの人達が目の前で、この歌を選曲してる場面に遭遇したことがある。
なぜこの歌は好まれるのだろうか。カラオケで歌っていると、なんとなく「悟った気分になれる」のが、まずは魅力なのではなかろうか。思えば我々は、気がつくとこの世に生まれ、やがて生まれてきた意味を探ろうとする。親や先生に反発し、しかし自分もその年代になり、改めて親や先生の気持ちを知る。でも、いくつになっても、生まれてきた意味を、納得する形で説明してくれるヒトと出会うことはないのである。
そんな時、この歌の各コーラスのシメの歌詞、セリフのように呟かれる部分が、悩める我々に手を差し伸べる。1番では“人は弱い”“とても弱い”と歌っている(うんうん、確かに弱いところがあるゾと、納得する)。でも2番は、“人は強い”“とても強い”と、ここが逆になる(確かにこれも言えてる。逆境に強い人達を、自分は何人も見てきた、と、ここでも納得する)。そして最後。“人は強い”、さらにトドメの一言として、“そして儚い”と締めくくられる。
確かにそうだなぁと思う。人生は儚い。貧乏人も大金持ちも、やがて死ぬという、この事実においては平等なのだし、そうだそうだよ儚い儚いと思いつつ、この歌が終わった頃、なんか「悟った気分になれる」のだ。そしてその気分とは非常に心地良いものなのである。
“強い”“儚い”から、“狡い”“惨い”にまで届く歌
それだけではない。それだけならこれほどの人気曲にはならなかっただろう。次へ進もう。実はこの歌、“本当は怖いグルム童話”的雰囲気もする歌なのである。でも、「だからこそ、そこに惹かれてこの歌が好き!」、という人も多い。まずこの歌をパッと聴いてサッと耳に入ってくるキラキラした部分に注目だ。それは、JALのキャンペーン・ソングとしてお茶の間に流れたサビの部分だ。“飛魚のアーチ”とか“宝島が見える”とか、いかにも南国トロピカルな開放的なイメージを振りまいている。特に“飛魚のアーチ”というのは、本当に本当に眼前に水しぶきとともに画が浮かぶ。
でもしかし、歌全体を聴いてみると、そんな雰囲気のなかの“糖衣された毒”とでもいうか、ドキッとするような部分が隠されている。さきほども言った通り、夢のあるファンタジーだと思ったら現実感ビシビシの残酷な話だった的な二重構造だ。誘惑の手段として“甘いお菓子”という言葉が出てくるあたりなど、まさに…。
改めて歌詞をみてみよう。1番は嵐をくぐり抜け港へやっていたある人物のことが語られているパートだ。そして2番では、それまでの“語り役”が人格を持ち始め、辿り着いた人物を誘惑するエピソードとなっている。でも辿り着いた人物が、愛する人をもとの場所に残してきたことを、なぜか“語り役”は知ってるのだ。
そして“飛魚のアーチ”や“宝島が見える”というサビの部分。“だけど”と歌い継がれているから、その後のことと受取るのが順当で、となると“宝島”での充足は、そう長くは続かないんだよという警告に受け取れる。ただ、その充足にしても、“語り部”の誘惑もあってのことだから、なんか底意地悪いものを感じる。
そしてよく話題になるのが“お姫様”が“誰か”と“腰を振ってるわ”の部分だろう。“腰を振る”をストレートにセックスのことだと解釈するなら、島に残してきた“お姫様”が自分を裏切り不貞を働いたことを意味する。でも、この歌はもともとハワイのキャンペーン・ソングなのである。だったら単に、一緒にフラを踊っていただけかもしれない、とも受け取れなくもない。
「この歌は実話をもとにしたものですか?」という質問に、今もとっても魅力を感じるヒトがいるようけど、そこにだけ拘ると、せっかく歌が放つ様々なイメージが、“虚実の篩(ふるい)”に掛けられ、その網の上に残ったものだけしか目に届かないことにもなりがちである。「強く儚い者たち」は、そんな聴き方するとつまらない歌だろう。Coccoが自らのティーンの頃を自伝的に綴ったとおぼしき『ポロメリア』という小説を読むと、この歌で描かれていることを彷彿させるエピソードもないことはないけど、それを探り当てて指摘すれば、もれなく金貨が10枚貰えるというわけでもないのである。
もともと“宝島”なんて存在しなくて、それは人間の欲望が作り出した幻影で、追い求めてもキリがない、という歌にも取れるし、“この港”というのは場所のことではなく母性のこと、という解釈も可能だろう(そもそも女性と男性では、この歌から受取るメッセージも別々な気がする)。
僕のような、ぼちぼち人生のベテランぽい領域に入りつつある人間からしたら、“飛魚のアーチ”とは実は矢の如く過ぎ去る時間そのものであって、そこを潜れば人間は一瞬にして老いていく、みたいなことかなぁ、なんてことも思ったりする。文中、“語り部”と書いたが、実はこの物語は、すべて自分のなかの分裂した感情が生み出したもの…、という受け取り方をするヒトがいてもけしてそれは間違いではない。結局、人間は弱くて強くて儚くて、さらには狡くて惨いけど、それでも愛すべき生き物なのだということを、Coccoは歌いたかったのかもしれない。 いやこれも、単なるひとつの解釈なのだけど…。
文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。結局、夏フェスには石巻以外、行けませんでした。友人の中には毎週末必ず夏フェス参戦のヒトもいて、羨ましかったです。そのかわりと言ってはナンですが、この夏は、例年以上に取材だの執筆だと忙しい日々でした。そんな中、たいへん興味深く、感慨もひとしおだったのが、尾崎裕哉さんへの取材。ご存知の方も多いかと思いますが、今は亡き尾崎豊さんの息子さんです。その歌声がお父さん譲りというか、強くて逞しく、そして優しくて、さらにソングライティングにも現代的なアプローチが垣間見られて、大いに期待したいと思います。