第90回 小沢健二「愛し愛されて生きるのさ」
photo_01です。 1994年8月31日発売
 今月は、最新アルバム『So kakkoii 宇宙』も大好評な小沢健二。彼はサウンドの魔術師であると同時に歌詞の巨匠でもあり、なんで今まで取り上げてなかったんでしょうか。ではさっそく、J-POPの歴史に残る大傑作『LIFE』の中から、いくつかご紹介します。

見慣れた景色を新鮮なものとして描く心のルーペ

 『LIFE』の良さのひとつは、東京に暮らす人間が、見慣れた景色を輝ける特別なものとして描けているところにある。例えばこのアルバムのオープニングを飾る「愛し愛されて生きるのさ」なら、いきなり歌詞の1行目から素敵な描写が炸裂する。[とおり雨]が[コンクリートを染めてゆくのさ]。何気ないようで、伝わるイメージは実に豊かだ。

雨でコンクリートが染まるのは、完全に乾いて白っぽい状態だからだし、このところ、かんかん照りの気候が続いていた(?)という、近過去のことも思い浮かぶ。そのあと、歌は主人公と彼女のことへ移り、雨は自分たちの[心の中へも]染み込んでいくと歌う。

このあたりでふと、雨は別の何かにも掛けられた言葉であることが分かる。二人の間に生まれた愛。それがまさに、“白っぽく”なりかけていた心を癒した。

[「いとしのエリー」なんて]の“なんて”の意味

 「愛し愛されて生きるのさ」は、成長、ということにも触れている。ティーンエイジャーであった自分との決別の歌でもある(このアルバムを作ったとき、小沢健二は20代中頃だった)。とはいえシラケてはいない。夢は次々に更新されていき、この歌の主人公は、しっかり[未来の世界]を見据えていた。

発売当時に評判だったのは、歌詞にサザンの「いとしのエリー」が登場したこと。しかも[なんて聴いてた]という“なんて”という扱い。そもそも歌詞に他のアーティストの具体的な曲名を登場させること自体が画期的だった(ビートルズなどの有名曲は別にして)。

でも、あくまで“登場のさせ方”は、10年前の自分と仲間の心の在り処を示すためであり、今の自分は既に別の場所に居るんだということも伝えている。甘ったるいサザンへの賛美などではなく、実にクールだ。

歌詞から少し話が逸れるが、実は以前、桑田佳祐と小沢健二の対談というのを司会したことがあった(『ワッツイン』96年8月号)。両者は同じ神奈川出身。小沢はもちろん、サザンのことをリスペクトしていて、「いちょう並木のセレナーデ」は、原由子の『Miss YOKOHAMADULT』収録の同名曲へのオマージュであることが、この対談により判明した。

他にも様々なことが判明した。当時の小沢の発言によれば、「ドアをノックするのは誰だ?」が高速テンポの歌詞詰め込み系なのには理由があった。“これで「勝手にシンドバッド」を抜けないかなと思った”からだという(発言部分は記事より引用)。

抜く、というのは不遜な発言などではなく、おそらく、“シンドバッド”における言葉の“雨あられ”がもたらすカタルシスに近づきたい、ということだったろう。

日本のポップ~ロックに革命を起こした“シンドバッド”に対して,ライバル心を芽生えさせること自体が小沢の志の高さと言えた。ちなみに「ドアをノックするのは誰だ?」は、クリスマス・ソングでもある。今の季節にピッタリだ。

旅立つ人の“旅”と、それを見送る人の“旅”

 さて最後は「ぼくらが旅に出る理由」について。『LIFE』は傑作揃いだが、この曲が一番好き、というヒトも少なくない。

「ドアをノックするのは誰だ?」にもこの曲にも、東京タワーが登場する。さらに他の曲にも登場したと記憶するが、小沢の歌の中のタワーは、特別ロマンチックでもドラマチックでもない。普通なら逆だ。他のソング・ライターなら、歌の特別なお膳立てとして、いざというとき、このアイテムを活用するハズなのだ。

実は当時、小沢はタワーが見える部屋で暮らしていた。歌詞を綴る際、タワーは無意識に紛れ込んできたのだ。特別ロマンチックでもドラマチックでもなく、あくまで日常のヒトコマである理由は、そこにあったのである。

「僕らが旅に出る理由」は、旅立つ彼女を見送る歌だ。“君”は摩天楼からハガキを書いた…、ということは、旅先はニューヨークだろうか。しかしこの歌、恋人同士がしばし離れ離れになってるハズなのに、お互いの距離を感じさせない。

東京⇔ニューヨークではなく、もっと俯瞰…、いや、俯瞰どころか[遠くから届く宇宙の光]を感じ合うことで、おのずと距離は縮まっている。旅立つ人の“旅”を見送るだけじゃなく、見送る人も精神的な“旅”をしている。だから歌のタイトルは、“彼女が旅に出る理由”ではなくて、「ぼくらが旅に出る理由」なのだろう。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

あまり尊敬するヒトって思い浮かばないのだが、例外はバンクシーだ。現代の情報社会において、リアルもフェイクも突き抜けたところに存在するのは彼だけだ。表現活動の性格上、軽犯罪は犯さざるを得ないが、大きなところでは常に正義の味方だ。さらに素晴らしいのは、彼の作品は多くの人にとって“アートとしての良さが理解できる”ものだということ。関連映画はいくつかあるが、少し前の『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』というのが最高だ。