Q)今年、40周年を迎えましたが、イルカさんて、歌声も見た目の印象も、ほとんど変わらないですね。
ありがとうございます。

Q)昨年、40周年記念3部作の第1弾として、セレクトベストアルバム「森羅万象」を出されました。
40周年でどういうものを作ろうかって考えてて、普通に曲を並べるだけのベストなら、これまでも何枚か出しているので、何かテーマを絞った選曲で創りたいって思ったんですね。ちょうど、IUCN(国際自然保護連合)の親善大使をさせていただいているので、私はミュージシャンだから、「生物多様性」ってことを歌で伝えていきましょうって思ったんですよね。でも、親善大使になったからそういう歌を作るっていうのではなくて、振り返ってみると、私はずーっとそういう歌ばっかり作ってきたから親善大使になったのだから、逆に、そういう昔のものを振り返るってことにも意義があるんじゃないかって思ったんです。いろいろな生き物たちに心を育ててもらったという思いがありますし、それがメッセージとして歌になっているわけですから、それらを集めて、まず、40周年第1弾として「森羅万象」ってアルバムを作ったんです。たしかに、「イルカ40周年記念ベスト」ってした方がわかりやすいんだけど、なんかやっぱり工夫をこらしたいですよね。それが、お届けする時のマナーかなって思ってますね。

Q)今年、2月には、40周年記念3部作の第2弾のセレクトベストアルバム「ジャスミン&ローズ」を出されました。ジャスミンサイドとローズサイドという2枚組ですが、どういうコンセプトなんですか?
ジャスミンサイドは、元気になりたい時、ローズサイドは心が疲れた時にゆったり聴いてもらいたいという思いなんです。今、とても悩んでいたり、疲れていたり、そういうものを必要としている人が多いんじゃないかって感じているんです。「心身ともに疲れてたんですけど、今日、イルカさんのコンサートに来て元気になれました」って言ってもらえることも多くて、そう言われると、私もすごく元気をもらえるんです。ということは、やっぱり、音楽って人々の心に相当大きな力を持っているんですね。

Q)それが、「五感に効く音楽を…」って意味なんですね。
イルカの大きな柱になっているのは、「メッセージ」と「単なるミュージック」なんです。その2本柱って考えているので、第1弾の「森羅万象」ではメッセージを、今回のアルバムでは、本当に音楽の力だけでみなさんの心に入っていくって感じかな。それで、元気になっていただいたり、日常生活にお役に立てたらいいなっていう思いです。私自身も音楽に救われたことがたくさんありますからね。1曲聴いているうちに、気分が変わったりふっきれたりすることってあるじゃないですか。だから、そういう曲の並びにしたかったんです。選曲も、曲の並びも、ギリギリまで悩んで、ディレクターを困らせましたね(笑)。

Q)それで、最終的には納得のいく形になりましたか?
納得ですよ。私自身、今も車で毎日聴いてますよ。

Q)2枚、それぞれの色がはっきりしてますよね?
実際は「元気になれる方なのに、なんでこんな悲しい曲?」ってのもあるんだけど、涙を流すことも、また元気になるための方法のひとつでしょ。1枚のCDの中でも、心を揺らしたり、感情の起伏を作ることで、元気になったり、あとで、ふわ〜っとリラックスしたりできるように考えたんです。まるでセラピストのようにね(笑)。

Q)第3弾は、オリジナルアルバムになるのですね?
そうですね。早ければ、今年の秋ごろか、来年の春ですね。コンサートツアーのメニューの切り替わりとかにも影響してきますから、時期はまだ、これから相談です。

Q)第1弾、第2弾のベストの中で、とくに思い入れの深い楽曲はどれですか?
とくにコレっていうのはなくて、全てまんべんなくですね。どれも、全てその時に向き合って生まれてきた歌ばかりですから。私ね、結構、自分の歌が好きな人なんです(笑)。おかしいって言われるかもしれないけど、絶えず、自分の歌を聴いています(笑)。それでね、聴くたびに、聴く時の気分が変わるんです。「こういう人だったらどう聴くんだろう?」って毎回、違った人になって聴くんです。それが楽しいんです。

Q)客観的に聴いてるってことですかね?
う〜ん、どうなんですかね〜、よくわからないんですけど。ただ、レコーディングした後なんかは、ず〜っと聴いてますね。全く聴かない人とかもいらっしゃるみたいですけど、「どうしてかな?」って思いますよ。むしろ、そのくらい聴きたいかどうかっていうのも基準としてありますね。自信作が出来たかどうかっていうことになりますからね。「聴きたくない!」ってなったら、やめた方がいいかなって(笑)。自己満足かもしれませんけど。

 


Q)そもそも、最初にギターを弾き始めたのはいつ頃ですか?
ちょうど中学1年生のころですね。ビートルズがはやっていた時代でしたから、「ビートルズみたいなバンドがやりたい!」って思ったんです。でも、エレキギターではなくて、クラッシックギターのちっちゃいのを近所のお兄さんからもらって、まねごとみたいなことをやってたんです。

Q)ビートルズは、どんなきっかけで好きになったのですか?
当時、イギリスで爆発的ヒット!みたいな話が聞こえてきて、それで、聴いた時に、「これは、今までに聴いてきたものとは全てが違う。これは、まさに自分たちの世代を代表する、自分たちの音楽なんじゃないか!」って思ったのが第一印象でしたね。それに、私は、小さいころから声が低かったので、子供が歌うような高い歌は苦手で、逆に、ジョン・レノンのキーがピッタリだったんです(笑)。当時、それまでの男性ボーカルの人たちの声って、とっても低かったでしょ。でも、ビートルズはキーが高くて、私の声にピッタリだったんですね。ビートルズの曲を全部原曲キーで歌えるのが嬉しくて、学校から帰ると、毎日、ビートルズのアルバムの歌詞カードを見て歌ってました。そのうち、全部、覚えてしまいましたけど。

Q)オリジナル曲はいつ頃から書き始めたのですか?
ルーツを言えば、小学校に入る前から、歌を作って遊んでたって感じですかね。父がジャズマンだったので、家にはいつも外国の難しそうな音楽がいっぱい流れていて、それで、父はアレンジャーでもあったので、いらない譜面の切れ端みたいなのがいっぱい捨ててあったんですね。最初は、それに絵を描いたりして遊んでいたんですけど、そのうち、「この楽譜ってものはなんなんだろう?」て思ったり、「言葉を付けると歌になるんだよ」って言われたことなんかがきっかけになって、本当に遊びの一種ですけど、なんだか勝手に口ずさんで遊んでました。

Q)それはどんなことを歌われていたのですか?
犬とか風船の歌とか汽車とか…、本当に子供の遊びです。

Q)いわゆる楽曲という形で作り始めたのはいつ頃だったのですか?
それはね〜、やっぱり中学2年生のころかな。でも、その当時は、誰も教えてくれる人がいないから、ギターにコードがあるってことすら知らなかったんですよ。だって何もないんだから。楽譜なんてものも一切ないし。だから最初は、NHKのクラシックギター講座とか見てたんですよ。「アポヤンド」とかやってましたよ(笑)。でも、「これは私が求めてるのとはちょっと違うのかな…」って思ってましたね(笑)。「私、メロディーを弾くんじゃなくて、ジャンジャカジャンて弾いて歌いたいんだけど…」って思ってました。

Q) それじゃあ、コードはいつ発見されたのですか?
よくわからなかったんだけど、耳で聴いたものに近づくように、なんとなく押さえてみて発見しましたね。それでも、なかなかちゃんと押さえることができなかったりして、「やっぱり無理かなぁ」って何度も挫折しそうになったんですけど、でも、「誰も弾けていないのなら無理かもしれないけど、横町のお兄さんが弾いてるんなら私も弾ける!」って思っていましたね(笑)。コードってものをちゃんと理解したのは、高校1年生の時ですね。友達が「こういう風に押さえればいいのよ」って教えてくれて、コードを一つ覚える度に、それで1曲つくっていましたね。コードを覚えるたびに、いくらでも曲ができましたから。それが楽しくてしょうがなくてね、CとGに加えて、Am(エーマイナー)なんてコードを知った時には、「これはもう無限に曲ができるんじゃないか!」って思いましたね(笑)。

Q) その頃から、オリジナル曲を歌うようになったんですね?
そうですね、作った歌を聴いてもらったのは、高校生になってからですね。当時、器楽クラブに入ってて、みんなで演奏やなんかはやってたんだけど、自分の作った歌を人に聴かせたことはなかったんです。ある時、放課後、友達が聴かせてって言うから、「え〜、でもそんな聴かせるようなものじゃないし、恥ずかしいし…」って思ってたから、おそるおそる歌ったんだけど、「いい歌だね」って言ってくれて嬉しかったですね。そのうち、何人かが集まって聴いてくれるようになって、「また新しい歌ができたら聴かせてね」って言われるようになっていったんです。そんな風になると嬉しくて、がんばってまた作っちゃおうかなって気になるんですよね。

Q) その器楽クラブでは、どんな曲をやってたんですか?
器楽の演奏ですから、ポールモーリアの「恋は水色」とか、映画音楽の「さらばベルリンの日よ」とかですね。女子校で厳しかったけど、なんとかビートルズの曲とかもやりたいと思ってやったのが「フール・オン・ザ・ヒル」ですね。あとは、学園祭で、「漕げよマイケル」とか4〜5曲、ギターを弾きながら歌いましたね。

Q) 当時、作って歌っていた曲で覚えている歌はありますか?
本名が「としえ」っていうので、当時は「トン子」って呼ばれていたんですけど、ビートルズの「リンゴのテーマ」を真似て、「トン子のテーマ」って歌を作ったんです。みんなで手拍子もので歌える歌なんですけど、それも学園祭で歌って、みんなが「いい!」って言ってくれて、先生からも「あれはいい歌だね」なんてほめられて、とても嬉しかったですね。

Q) それで女子美に入られたわけですけど、そもそも歌手になるおつもりはなかったと聞きましたが?
そうですね。私は、プロの歌手になりたいと思ったことが一度もなく、プロの歌手になった人間なんですね。女子美に入ったのも、彫刻家か陶芸家になろうと思ってたからなんです。でも、フォークソング同好会のポスターを見て、道がガラリと変わってしまったんです。

Q) なぜ陶芸家だったんですか?
中学のころから、将来は「ものを創る仕事」をして暮らしていきたいって思っていたんで、もちろん、ずっと音楽は好きでしたが、ミュージシャンになるなんてことは、夢にも思っていなかったですね。ただ、アマチュアのバンドを組んで、プロよりうまいバンドをやりたいとは思ってましたね。それで、「私は陶芸家なんで〜」とか言いながらも、かっこいい曲をやって、「プロよりうまい!」って言わせたいとは思ってましたね(笑)。

Q) でも、陶芸家にはならなかった?
大学で陶芸のコースへ進むには、1年生のころから、放課後もそこに時間を費やさなくてはいけなくて、それだとクラブ活動は全くできないんです。陶芸のために大学に入ったので、クラブをあきらめて陶芸をやるべきだと思ったにも関わらず、フォークソング同好会を窓からのぞくと、「ああやればいいのになぁ〜」とか「私ならこうやるのになぁ〜」みたいな気持がムクムクと湧いてきてしまって、黙っていられなくなっちゃったんですね。それで、ついつい、フォークソング同好会のドアを開けて足を踏み入れてしまったんです。「申し訳ございません!やっぱり私、自分の本能のままに生きていきます…」って感じでしたね(笑)。

Q) シュリークスのメンバーであり、のちに、イルカさんのプロデューサーでご主人にもなる神部和夫さんとは、その頃知り合ったんですか?
夫が早稲田のフォークソングクラブの幹事長として、女子美のフォークソング同好会にコーチとしてやってきたのが出会いです。短大1年生で、結婚を決めちゃってましたから、「一緒にバンドで歌わないか?」と言われた時、「それなら、それもいいかな」って思ったんですね。まだ、18、19の女の子ですから、当時は何も考えてなかったんですけど、夫の方はまるで違って、私をソロにして、自分はいつかプロデューサーになるって考えてたんですね。

Q) すごいですね! 神部和夫さんは、その時点で、そんなことまで考えてらしたのですね!
そうなんですよ。ただ、いきなりソロにしても難しいだろうから、時期が来るまでいろんなことをじっくりやらなきゃならないって考えてたみたいですよ。それで、ソロにするまでの間どうするかってことで、シュリークスで自分が横についてて、場数を踏ませて訓練するみたいなことを考えてたみたいですよ。ずっとあとから聞いた話ですけど。

Q) それにしても、大学1年で結婚すると決めていらっしゃったとはすごいですね。
夫はね、自分がプロデューサーになるには、ずっと将来も一緒に生きていくんだから、やっぱり、それには結婚するのがいちばんいいって思ったらしいんですよ。すごいよね。だって、当時、夫は22歳くらいでしたから。でも、だいたい、夫が計画して青写真を描いたことは、振り返ってみると、ほとんどその通りになっているんですよ。だから、やっぱり素晴らしいプロデューサーだったと思いますね。

Q) それで歌を歌っていこうと思われたのですか?
いえいえ、そうでもなくて。夫からは「いつかはソロになるんだよ、それで僕がプロデュサーになるんだよ」と何度も聞いてはいたんだけど、「そんなこと言ったって、そんなこと出来るはずがないじゃな〜い」って思ってましたね。音楽は一番好きだけど、いわゆる芸能界にはフィットするタイプじゃないって思ってましたから。当時、「中3トリオ」とかアイドル全盛ですから、私なんかより若いし可愛い子たちしか受け入れられないって思ってましたからね。だから、余計に「私がデビューするなんて無茶な話でしょ」って思ってましたけど、でも、それが夫の夢ならそれでいいかなって思って、「じゃあ私をあげますよ、どうぞ!」なんて言っちゃったもんですからね…、あげちゃったんですよ(笑)。

Q) ご主人が、イルカさんの人生を決めたわけですね。
だから、夫に出会っていなかったら、私は歌っていなかったですね。自分から売り込むって気は100%なかったですから、コンテストやオーディションの経験も全くないんですよ。「なんで人に批判されたり、点数を付けられたりしなきゃならないんだ?」って思ってましたから。そういうのが一番イヤだったですね。臆病な性格だったんで(笑)。

Q) あの時代にプロデューサーっていう発想はすごいですね。
夫は、高校生の頃からクレイジーキャッツの大ファンで、クレイジーキャッツの映画を見に行くと、お客さんがとても幸せそうな顔をして笑っているのを見て、そういう風に人々の心をなごませたり、楽しませたりしたい、そういうものを作り出して、先頭を切って行くことがやりたいって思ったみたいです。いわゆる大衆芸能っていうものは、芸術作品とは違った意味ですごく大切な仕事だと思ったみたいですね。でも、それを、どこかの芸能事務所に入って修行するのではなく、学生で自分たちが歌っている中でやっていく方法、自分たちでチケットを売ったり、広告も自分たちでもらいに行ってコンサートをやるっていう、つまり、それまでの、いわゆる「興行」とは違ったシステムでやりたかったみたいです。

Q) とても革新的ですね。
そうなんですよ。それで、そうやっているうちに、自分たちの音楽、フォークが世の中の支持を得てきて、「なんだ、大人に頭下げなくてもやれるんじゃないか」ってことになっていったみたいですね。今、イベンターの社長やっている人たちって、みんなその世代で、改革者たちですよね。ユイ音楽工房の後藤由多加さんとか、ドリーミュージックの新田和長さんとかね。なんか、幕末の坂本竜馬のような感じはありましたね。とにかく、みんなかっこよかったですね。

Q) デビュー曲の「あの頃のぼくは」も、大ヒットした「なごり雪」「雨の物語」「海岸通」も、伊勢正三さんの曲ですが、どういう経緯で歌うことになったのですか?
そういうことも、夫をプロデューサーとして信頼してたから歌ったんです。最近よく、「どういう経緯でそうなったんですか?」ってことを聞かれるんですけど、全てまかせていましたから、どうしてそうなったのかなんて、全く知らないんですよ。

Q) じゃあ、「これを歌いなさい」って感じだったんですか?
そういう感じでもなかったんですけど、夫と私は、完全に仕事を分担していたんですよ。つまり、創作的なもの、アルバムは全部私にやらせてもらう、でも、シングルに関しては、夫が計画を立ててやるっていう役割分担です。それは、夫が出した条件でもあったんですよね、「シングルに関しては絶対に自分が思ったようにやりたい、イルカの路線を俺が作る」ってね。でもそれだけじゃ、言うこと聞かないだろうからって、アルバムに関しては好きにやって構わないってことになったんですね。だから、アルバムづくりには全く口を出さなくなりました。「歌詞をなおせ」とか、そういうことも一切言わなかったですから。

Q) ケンカにはなったりはしなかったのですか?
そうですね、役割分担をしてからはなかったですね。逆に、今度は夫が何を仕掛けてくるんだろう?って思っていましたから。でも、ものすごく厳しい人でしたから、それで相当鍛えられましたね。

Q)でも、その方法がうまくいったわけですね。
そうですね〜。でも、やっぱり幸せな時代でしたね。先に何もないから。手さぐりで何もわかんないんだけど、やったらやった分だけ、新しいものができるんですよ。それまでの大人たちが作ってきたものと全然違うもので、大人たちより儲けちゃったんですもん。そしたら、今度は逆に、大人たちが頭下げてきたりしてね(笑)。面白くてたまんなかったと思いますよ。いつも「やりたいことなんでもできるし、しあわせだ!」って夫は言ってましたね(笑)。でも、まさか自分たちが、あそこまで行くとは思っていなかったんじゃないかな。

 40周年記念アルバム 〜イルカ セレクトベスト2〜
「ジャスミン&ローズ」


2011年2月2日発売
¥3,500-(税込)
CRCP-20467/68  2枚組
NIPPON CROWN



Disc1(元氣を響かす Jasmine サイド)

01 光のとびら
02 ラバーボール(シングルver.)
03 明日にゃ間に合うな
04 心はプラス
05 雨の物語 (シングルver.)
06 海岸通
07 Follow Me (シングルver.)
08 17ページのエッセイ
09 サラダ日和
10 私なら
11 君の人生
12 バラの谷から─民草の歌〜挿入曲〜杖つき踊り
   (ルーマニアン・フォークダンス)
13 エニー・キイ・OK!!
14 ママのお皿
15 私のしあわせ
16 時の子守唄 (シングルver.)
17 まあるいいのち
18 梅花
19 いつか見る虹〜モルダウから〜


Disc2(安らぎ薫る Rose サイド)

01 風にのせて
02 なごり雪 (シングルver.)
03 春
04 サラダの国から来た娘
05 ぬけがら
06 あなたへの手紙
07 Lovin' Spoonful
08 眠らなくても会いたくて
09 女はつらいよ
10 たそがれホテル—ヘミングウェイ夫人の面影によせて—
11 夕焼けのフォトグラフ
12 小夜鳴き鳥
13 ダイヤモンド
14 想い出と言う名の妖精
15 ラピスの丘で〜Lapislazuli〜
16 鈴の音
17 真冬の天使
18 はんぶんこ
19 はるじょおん ひめじょおん−野生の花−


 40周年記念アルバム 〜イルカ セレクトベスト〜
「森羅万象 〜イルカ セレクトベスト〜」
 

2010年6月2日発売
¥2,800-(税込)
CRCP‐20450
NIPPON CROWN

01 まあるいいのち(プロローグ)
02 まあるいいのち
   〜2007合唱ヴァージョン アルバム・ミックス〜
03 2001年ぼくの部屋
04 私の庭から
05 あしたの君へ
06 夢みるパワー 2010
07 私のキッチンファーム
08 川崎のキツネさん 2010
   「ノエルの不思議な冒険」より台詞入り
09 ちいさな空 2010
10 夢想家(ドリーマー)2010
11 いつか冷たい雨が

12 冬の馬
13 水の惑星
14 Dalfina
15 宇宙のかけら
16 私の青空
17 まあるい地球は誰のもの
   (アルバム・ヴァージョン)
18 木(こ)の花の開く頃に
    〜富士河口湖町「町うた」
19 サンゴとジュゴンとヤンバルクイナ
20 まあるいいのち
   (エピローグ〜英語ヴァージョン〜)
21 ・・・そして今も 2010

本 名  : 神部 としえ(かんべ としえ) (旧姓:保坂)
生年月日 : 1950年12月3日
出身地  : 東京都中野区

東京生まれ。父親はジャズバンド「スターダスターズ」テナーサックス奏者でアレンジャーでもあった保坂俊雄氏。女子美術大学在学中からフォークグループを結成。後に夫でかつプロデューサーにもなる故神部和夫氏(1972年に結婚、2007年に他界)が率いるフォークグループ「シュリークス」を経て、1974年に「あの頃のぼくは」でクラウンレコードよりソロデビュー。翌1975年『なごり雪』が大ヒットしシンガーとしての地位を確立する。その後、「雨の物語」「海岸通」「FOLLOW ME」など、ヒット曲多数。1978年には、長男"冬馬"君を出産、2年間の休業ののち活動再開し、現在もコンサート活動を中心に毎年全国ツアーを続けている。音楽以外でも、絵本『ちいさな空』(全4巻)や『真冬の天使』やエッセイなども出版されており、それらの作品を通じて、「私達は、皆この地球という大きな生き物に住む、細胞同志である」というメッセージを、世代を超えて沢山の人々へ伝えている。2004年には、IUCN国際自然保護連合の初代親善大使に任命され、2010年4月からは、母校である女子美術大学、芸術学部、アートプロデュース表現領域の客員教授に就任。息子の神部冬馬氏もシンガーソングライターとして活動中。

<ラジオ・レギュラー番組>
  イルカのミュ−ジックハ−モニ−(ニッポン放送 毎週日曜朝7:00〜9:00)
イルカ オフィシャルサイト「イルカの公式ホームメイドページ」
イルカ レコード会社サイト / 日本クラウン
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