Q)アルバムの収録曲で、アルバムタイトルにもなっている「命結(ぬちゆい)」という登紀子さんが作られた沖縄の方言の響きの言葉は、震災前からあったとお聞きしましたが?
ちょうど、東日本大震災の前の日、3月10日の夜に思いついた言葉なんです。「人ってプランターの中の植物みたいに育つのか?」「人とのつながりっていうものが何もなくていいのか?」「人の命を、この世の中はどういう風に考えているのか?」っていうようなことを考えていたんですね。今の時代、バラバラに離れてゆく人の淋しさを、ひとつに結んでいけたらと思ったんです。

Q)「人と人との心のつながりの大切さ」ということですね…
たとえば、息子が出て行ったまま、どうしているかもわからない状況があったりするじゃないですか。せっかく家族として生まれているのに、家族としての営みが保てないみたいな。そういう世の中に対してね、何かすごくあったかな絆とか、形になるつながりではなくて、心のうちで納得できるような内側に感じられる命のつながり、それを取り戻せるような歌が作りたいと思ったし、そういうテーマでアルバムが作れないかって思ったんですよね。

Q)「命結(ぬちゆい)」という曲も、その時、すぐに作られたのですか?
アルバムタイトルにすることを決めてから、「命結(ぬちゆい)」という曲も作り始めたんです。その時点で、メロディが出来上がって、歌詞も「ひとりでも ひとりじゃない 命結に結ばれて」という部分だけは決まっていました。そこは、この歌の「意味」ですからね。でも、ひとつのストーリーとしては、まだ見えていなかったんです。それで、翌日、3月11日、事務所でアルバムのミーティングをしている時、まさに、この「命結(ぬちゆい)」という歌をスタッフに聴いてもらっている時に、あの大震災が起こったんです。

Q)最終的に、「命結(ぬちゆい)」の歌詞は、どのように出来上がっていったのですか?
「命結」っていうのは、ふわ〜としてあったかいイメージなんですよ。あったかくて、みんなを抱きしめて温めてあげられるような、そういう歌を目指していたんです。だけど、震災後の喪失感の中で、なかなか歌詞ができなくて、本当に「想いはここまで出てきているのに言葉にならない…」っていう状況の中で、震災6日後に、まず「今どこにいますか」が出来たんです。

Q)1曲目の「今どこにいますか」が先だったんですね。この歌は、震災後、YouTubeでも話題になり、小林武史さんも「心が震えた」と言われたそうですが、シンプルなメロディに乗せたシンプルな言葉で、語りかけるような歌声が、本当に心に響いてきます…
3月17日に、京都のホテルで作ったんですけど、噴き出すように出てくる自分の気持ちを、もう一気に歌にした感じですね。震災の衝撃を受けながら、それまで「ここまで出てきてるのに言葉にならない」というような、自分の中で悶々としていたものが、一気に噴き出して形になったっていう感じね。「自分が何かしなくちゃいけない」と思いつつも、「何をしたらいいんだろう?」って途方に暮れる感じがずっとあって、「心の中から噴き出してくるものを、今ちゃんと曲にしないと、明日に向かえない」って作りながら思っていました。

Q)被災地の人たちだけではなく、あらゆる人への問いかけにも聞こえます…
もちろん、きっかけは、震災後に家族を探して歩いている人たちのことを思って書いたんだけど、そういう被災した人だけじゃなくて、いろんな人に対して呼び掛けていると思いながら書いていましたね。たとえば、たったひとりでテレビで震災のニュースで見ている人も、違った意味で「今どこにいますか?」ってことがあると思うんです。こんな非常事態になると、「息子が今どうしているのかな?」とか、「あの人はどうしているのかな?」って、みんな思ったんじゃないかと思うんです。

Q)普通に生活をしている中で、「食べるものがあって、あたたかく眠れる場所があって、そして家族がいる…、それだけで幸せなんじゃない?」というような、人が生きるために最低限必要で、そして最も大切なことを、あらためて思い出させてくれたような気がしました…
そうですね。「それさえあれば、明日に向かえるでしょ」って、そういうことなんです。それと、「ちゃんと食べているのか?」とか、「ちゃんと寒くない所にいるのか?」とか、「手をつなげる誰かといるのかしら?」とかは、人が生きるということの原点ですからね。私も子供が3人、孫が6人いるんですけど、母親って、本当にバカみたいに気になることなんですよ、オロオロしちゃうくらい。でも、実際に言うと、「余計なお世話よ、お母さんの方がよっぽど心配よ!」って言われちゃうんですけどね(笑)。

Q)ごく普通のシンプルな言葉で構成されていますが、登紀子さんの歌声で、頭で理解するよりも先に、スーッと直接心に入ってくるようです…
この歌詞の中に、「誰かを胸に抱いていますか」って歌詞があるんですけど、「子供を亡くした被災者の人が聴いたら、グサッときちゃうんじゃないですか?」って言った人がいたんだけど、私は逆に、東北に行って思いましたけど、自分の子供を亡くした人は、やっぱり、お母さんを亡くした目の前にいる子供を抱きしめているわけですよ。そういう風に、誰かを抱きしめることで、自分が救われていくんですよね。

だから、そのあとの歌詞、「誰かと手をつないでますか」っていうのは、「あなたが、そこでひとりで途方に暮れているのなら、誰かの手を取ることから始めたらどう?」っていう意味なんです。「寒いのだったら、火をおこしたらどう?」「さびしいのなら、誰かを抱いたらどうですか?」っていうようなね。そして、「どうしても辛い時は、空を見ることを忘れないでね」って、そういうメッセージも入れたつもりです。

 


Q)福島の飯館村でも「今どこにいますか」を歌われたのですね…?
三陸の方とは違って、飯館は、家も何も全てを失ってしまった喪失感とは正反対なんですね。全部あるんですよ。きれいな空も、きれいな山もあるし、自分の家もあるし、誰も死んでいないし。なのに、全部失われているんですよ。これほど、辛いことはないなって思ったんです。三陸の方の被災地に行った時には、みんな抱き合って泣いちゃうんだけど、でも、その中でも、みんな「ゼロからやりなおすよ!」って、何か奮起できるものもあったりするんですよ。でも、飯館に行った時には、茫漠とした本当にやりきれない感じがしたんです。

Q)その時に、飯館村で「命結(ぬちゆい)」の歌詞も出来上がったのですね…
それで、飯館では、もちろん「今どこにいますか」も歌ったんだけど、飯館で人に会ったり、風景を見たりして、そこで「命結(ぬちゆい)」の詞を仕上げて、初めて歌ったんです。「大丈夫よ、しっかりみなさんはつながっているでしょ、命はつながっているし、どんなにバラバラになっても、きっと心の中でつながりながら、これからも生きていくんじゃないですか?」「だから、堂々と自信を持って、自分の故郷を出てゆく時に、前を向いて歩いてゆくようにしてくださいね」、そういうメッセージをこめて「命結」が出来上がったんですよ。その時、「命結(ぬちゆい)」って歌は、「今どこにいますか」よりも、長い意味で、みんなを抱きしめる力がある歌にしなきゃって思いながら作りましたね。

Q)「命結(ぬちゆい)」は、沖縄の方言を使ったタイトルで、しかも「レラ抜き」の沖縄音階で作られているメロディなのに、「までえ」という東北訛りの歌詞が出てくるのを不思議に思っていましたが、そういうことだったのですね…
そうなんです、「までえ」という言葉は、飯館村で出会ったんです。本当は、「真手(までい)」と書くんですけど、地元の人は「までえ」って言うんですよね。リハで歌っている時に、「この発音で合ってる?」って地元の人に聞いたら、「正しくねぇ〜」って言われてね。それで、「までえのいのち咲かそ」って歌った時に、歌がわーっと大きくなった感じがしたんです。やっぱり、「までえ」って方言で歌わないとだめなんですよね。

Q)東北の方言を入れることに違和感はなかったですか?
よく「縄文をつなげたのよ」って言ってるんですけど、実際、沖縄と東北って言葉も似てるんですよ。たとえばね、「忘れないで」っていうのを、東北では「わしんねでよー」とか「わせねでよー」とか言うんですよ。沖縄では「わしんなよ〜」って言いますからね。だから、全然何の違和感もなく、「までえ」と一緒になったわけ。

Q)方言が入ると、全体の雰囲気が急に変わります…
方言が持っている力ってありますよね。急にあたたかくなる、急に大きくなる、急に内側に響くような、そんな感じがね。方言だとね、無理がないし、やわらかくなって、角が立たないの。ちょっと、あいまい母音的な響きになってくるんですよ。日本語の母音「あいうえお」にはあいまいな音がないから、角が立つわけ。そもそも、母音を5つだけに分けてしまったことに、全然無理があるわけ。

Q)「命結(ぬちゆい)」の後半の間奏に入っている、男性のスキャットもいいですね…
あれは、三線も弾いてアレンジも手伝ってもらった、沖縄の新良幸人(あらゆきと)の声なんだけど、彼に、「とにかく、わ〜って感じなのよ、まわりに人がいない感じで叫んでちょうだい」って伝えて歌ってもらったんです。

その声のイメージ、そこに声が欲しいって思ったイメージは、震災から100日目に、宮城県の名取に行った時に、閖上(ゆりあげ)ってところに行ったんです。それはもう見渡す限り何もなくなっていてね。そこの日和山(ひよりやま)ってところに、みんなに集まってもらって歌ったんですよ。もちろん、一生懸命歌ったんだけど、「この空の下で、私の歌だけじゃ足りない」って思ったの。つまりね、今ここに、目の前にいる人たちに、まったき気持になってもらうには、私は力不足だと思ったわけ。

だってね、全てをを失った人たちが、喪服を着て座っているわけでしょ。それはもう、本当に胸がつぶれそうで、それを押し返す力が私にはなかったのね。それで、「誰か皆さんの中で歌ってくれませんか?」って言ったら、地元の漁師の人が出てきて「閖上大漁節(ゆりあげたいりょうぶし)」っていう民謡を歌ってくれたんです。その民謡が、まさに「わ〜っ」なんですよ。歌声が、何もない空にも大地にも響き渡るわけ。そうすると、祭りの風景から、みんなが笑顔になって喜び合っている風景とかが、浮かんできちゃうんですよ。なんか、胸が晴れるっていうか、歌っている人の顔が輝いて、喜びに溢れてるんですよ。

「閖上大漁節」を歌っている時のその人の姿って、全然、打ちひしがれていないんです。本当にすごいな〜って思いましたね。それは、どんなに私が一生懸命「百万本のバラ」を歌ったってかなわないものなんです。そういう「先祖代々ってものがなければ、ここの人たちは未来を生きられないのよね」っていうことまでもが感じられちゃうようなね、まさに、そういう一瞬でしたね。そのイメージが欲しかったんですよ

Q)聴いていて、まさに、そういう広がりを感じました…
たとえば、「先祖がね…」とか、「空が見てるよ…」とか、よく言われていることなんだけど、私たちにはわからないような、私たちが常に感じている目に見えない力、そういうものを「ちょっと信じてみようかな」って思えるような何かがこの「命結」って歌に欲しいって思ったですよ。そういうスピリチュアルなものが欲しいと思ったんですね。

Q)沖縄音階と三線が持つあたたかさもいいですね…
八重山の人たちは、よく、みんな集まって、単純な三線の旋律を全員で演奏したりするんですよ。そして、それに合わせて歌う…そのイメージなんですよ。「ひとりでもひとりじゃない」って歌っている後ろに、何人もの人が三線を弾いているイメージ。「コンコンコン」って、風や波の音みたいに伴奏があるわけ。べつに、何も余計なお世話はしてくれないでいいし、語りかけてくれなくてもよくて、「ただあるだけ」、それでいいんですよね。風や波の音のように、その自然の音が、淡々と、ただ自然にあることを表すがごとく、三線が単純なことを全員が合奏している感じが欲しかったの。被災地は、とにかく寒いわけだし、東北を助けるのに、沖縄のあたたかさ、沖縄から吹いてくる風も大きな力になるなって思いましたね。



Q)ゴスペラーズの皆さんと「ふるさと」を、次女で歌手でもあるYaeさんと「アメイジング・グレイス」を歌われています…
「ふるさと」は、以前から、歌ってほしいって言われることが、ものすごく多かったんです。とくに震災のあとは、みんなで一緒に歌いましょうってことも多くてね。どうして今まで「ふるさと」をレコーディングしてこなかったかって言うと、「私は流れ者」っていう意識があったから。だから、皆さんの代表者として「ふるさと」を歌っちゃいけないでしょって思ってたんです。

でも、今回、被災地で、みんなで歌ったことと、あと、ゴスペラーズの人たちには、以前から曲を提供してもらったり、コンサートにも来てくれたりしていて仲良くしてましたから、今回、この「命結」ってアルバムに参加してほしかったんですね。それで、「じゃあ何の曲にしようか?」ってなった時に、「ふるさと」が出てきたんですね。ゴスペラーズは、以前に紅白でも歌ったことがありますしね。

Q)「アメイジング・グレイス」は、Yaeさんとの初コラボですか?
そうです。6月11日に、東京渋谷のオーチャードホールでチャリティコンサートをやった時に歌って、それでレコーディングしようってことになったんです。実は、これまで、ずっとあたためていた曲で、なんとか形にしたいなと思っていたんですけど、3.11でやっと目が覚めたというか、「いろいろ懺悔しなきゃならないことがいろいろあるなぁ」っていうことですよ。深い懺悔みたいな気持がありますよね。

Q)1コーラスをYaeさん、2コーラス目はYaeさんの声の上に、登紀子さんの日本語での「語り」、そして、3コーラス目は登紀子さんが歌われています…
日本語で歌っちゃうと、この曲の良さが薄れちゃうから、「語り」ていう方法をとったんです。もともと「アメイジング・グレイス」ていう歌は、奴隷船の船長が、自分が本当にひどいことをしてきたって懺悔して、この歌に託してみんなに訴えて歩いたっていう歴史があるのね。だから、高い声、天から降ってくるようなYaeの声がないとだめなのよね。そういう天から降ってくるような声があって、私の大地から浮かび上がる声がそれを支えるみたいなイメージでしたね。こんなことを言うと偉そうなんだけど、いろいろな「アメイジング・グレイス」を聴いてるんだけど、どれも、この曲が持っている意味合いより軽くなっちゃってるイメージがあるんです。「もっと重い歌なのになぁ」ってね。

Q)とても重厚な感じで、ひとつの物語みたいな感じに出来上がっていますね…
そうなの。転調して高くなっていくのが普通なんだけど、毎回転調して低くなっていくっていう珍しい「アメイジング・グレイス」なんですけどね。去年、「アメイジング・グレイス」ってイギリスの映画が来て、見たんですね。奴隷船を廃止しようとして挫折していく映画なんだけど、その時の「アメイジング・グレイス」ですら、全然満足できなかったんですよ。せっかく胸がいっぱいになっているのに、歌になると冷めちゃうんだなあって感じで。なんかね、「そこまでの気持で、この曲歌ってないんじゃないですか〜?」みたいな(笑)。そんな欲求不満みたいなものもあって、たとえば、一般的に、コーラスなんかで、「綺麗に歌いましょうね」みたいなイメージとは違う「アメイジング・グレイス」にしたかったんですよね。

Q)「悲しみの海の深さを」「蒼空(そうくう)」も響きますね…
この2曲は、阪神大震災の翌年に作った曲なんです。「悲しみの海の深さを」は、ちょうど震災から1年目、1996年1月17日に歌うために作った歌なんですね。それで、その当時の音源、前に所属していたレコード会社のCDが絶版になっているんですよ。それで、CDとして音源がないから、今回、入れることにしたんです。「蒼空」は、コンサートでもずっと歌っていますしね。

Q)シングルにもなったBEGINの「パーマ屋ゆんた」は、最初から収録予定だったのですか?
そうです。それを入れるってことが最初からあったから、「命結」っていうコンセプトが出来たんですね。

Q)「人と人とのつながり」「ふるさとを思う気持ち」というテーマの歌で、なぜか理由もわからず涙が流れる曲です…
「今どこにいますか」の家族を思いやる気持ちと同じですね。「無性に愛おしくなるよね」ていう感じがあるんですね。「明日は内地にいくんでしょ」って歌詞の「内地」って言葉を置き換えると、「ここを出て行くんでしょ」って意味なんですよね。どこへ行くかは別として、「明日はここを出て行くんだよね…」ってことなんですね。そういう意味でいうとたまりませんよね。飯館でも歌ったんですけど、響いちゃってもう…、歌い出した途端に涙がいっぱいになっちゃってね。あったかい歌はいいですよね。

Q)以前、登紀子さんが「あなたに」をカバーされたモンパチ(MONGOL800)のキヨサクさんが「タユタウタ」を、玉置浩二さんが「悲しみにバイバイ」を提供されていますね…
そうなんです。モンパチは大好きで、ウチにずーっと入りっぱなしになっているDVDっていうのがあって、武道館のライブDVDなんですけど、お気にいりでしたね。ちょっとヒマでぼーっっとしているときなんかにDVDを押すと、今でもモンパチが出てきますね(笑)。

それでね、「私にだったらどういう曲を書くのかしら?」って、ずっと思ってて、それで、今回、アルバムに提供してくれるってことになって、「タユタウタ」が出来上がってきたの。デモテープが届く前に、たまたま大阪のライブで会った時に、「どう?」って催促したら、「やりました!すごいのが出来ましたよ!今仕上げていますから、楽しみにしていてください!」って言われて、「いやぁ、ああいう風に自慢できるのいいなぁ」って思ったけど、本当にすごい曲になりましたね

Q)歌詞も独特です…
詞のことで言えば、「心に核を」「口裏合わせよう」「祈り憂い怒り悲しみをエサに」とか、そういうのって私は使えない言葉だな思いましたね。何か違う言い方ができるかなって考えたんだけど、ないんですよね。たとえば、「『心に核を』って、私いま『核』って言いたくないのよ…」って言ってみたんだけど、「だめです、絶対です!」って言われてね。それで、私も、「わかった」って、敢えて言うキヨサクの意図を完全に受け止めました。どの時代でも言えることだし、彼が3.11のことをどう受け止めているのかってこともわかったし、すごい歌詞だと思いました。


  【ほろ酔いコンサート・スケジュール】

12月18日(土) 祇園甲部歌舞練場(京都)
12月19日(日) 祇園甲部歌舞練場(京都)
12月22日(水) 中日劇場(名古屋)
12月23日(祝) 中日劇場(名古屋)
12月25日(土) よみうりホール(東京)
12月26日(日) よみうりホール(東京)
12月27日(月) よみうりホール(東京)

 
  最新情報、詳しくはコチラ!
「命結〜ぬちゆい」


2011年9月28日発売
USMジャパン/ユニバーサル ミュージック
全11曲入りCD UICZ-4250 ¥2,800 (税込)

<CD収録曲>
01.今どこにいますか
02.悲しみにバイバイ
03.命結〜ぬちゆい
04.タユタウタ with キヨサク (MONGOL800)
05.蒼空
06.アメイジング・グレイス with Yae
07.悲しみの海の深さを
08.ふるさと with ゴスペラーズ
09.パーマ屋ゆんた
10.君が生まれたあの日
11.生きてりゃいいさ

 


本 名  : 加藤 登紀子 (かとう ときこ)
生年月日 : 1943年12月27日
出身地  : 旧満州 ハルピン 生まれ

1965年東京大学在学中、第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。1966年「赤い風船」でレコード大賞新人賞、1969年「ひとり寝の子守唄」、1971年「知床旅情」でレコード大賞歌唱賞を受賞。以後、60枚以上のアルバムを発表。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「時には昔の話を」「時代おくれの酒場」など、数多くのヒット曲を持つ。年間数十回におよぶ国内コンサートのみならず、1988年、1990年のカーネギーホールをはじめ、世界各地でもコンサートを行っている。1992年には、芸術文化活動における功績に対して、フランス政府からシュバリエ勲章を授けられた。

近年は、ゴスペラーズなど、新しい世代のアーティストとのコラボレーションにも意欲的に挑戦し、FUJI ROCK FESTIVAL や、bank fes'にも出演。世代やジャンルを超えた活動で注目を浴びた。歌手活動45周年となった2010年には、シングル「君が生まれたあの日」、アルバム「登紀子 男情歌」、iTunes配信アルバムなどをリリースし、コンサートツアー「45周年加藤登紀子コンサート ひとはみんな一粒の種」を全国各地で開催。

歌手としての活動のほか、女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮した。また、地球環境問題にも積極的に取り組み、1997年、WWFジャパン(世界自然保護基金日本委員会)評議員に就任したのに続き、2000年10月にはUNEP(国連環境計画)親善大使に任命された。アジアやオセアニア各地を精力的に訪れ、自らの目で見た自然環境の現状を広く伝えるほか、音楽を通じた交流を重ねている。2008年4月、国連総会議場(ニューヨーク)にてUNEP親善大使としての活動報告とLIVEを行う。国内では、千葉県鴨川市の「鴨川自然王国」を拠点に若い世代と循環型社会の実現に向け活動。近著に自叙伝『青い月のバラード』(小学館)、夫、藤本敏夫との獄中往復書簡をまとめた「絆」、「土にいのちの花咲かそ」、「登紀子1968を語る」などがある。


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