Q)60周年記念シングルは、「結果生き上手」というタイトルが印象的です…
最初は抵抗があったのよ(笑)。「生き上手な歌い手として60年やってきた…」って誤解されるんじゃないかって。そしたら、小椋佳さんが、「これは、僕がペギーさんに贈る言葉です」って言ってくださったんです。「女性として、歌手として、長い間歌い続けた一人の人に贈る言葉です」ってね。それならって、もったいないお言葉だけど、納得いたしました。

Q)小椋佳さんに、60周年記念曲の作詞をお願いしたいと、手紙をお書きになられたそうですね…
そうなんです。歌手協会の会長をやってた時に、「歌手協会のイベントで歌っていただけませんか?」って手紙を書いたんです。そしたら、ペギーさんがおっしゃるならって、出ていただけたんです。その時にね、舞台の袖で、「僕は、若い頃、あなたの追っかけで、ずーっと聴いてたんですよ。サンケイホールにも行ってるんです…」って言われたの。その時、「60周年の曲は、小椋さんに決めた!」って思ったんです(笑)。

Q)それで手紙を書かれたのですね?
今回も、お手紙を書いたら快諾していただいて、本当にいい歌が出来て良かったなと思っています。60年歌ってきた甲斐がありました。でも、そのサンケイホールの時代なんていうのは、もうとにかく何も考えずに無我夢中で歌っていた時代でしたからね。外国から持ってきた歌を伝えたいという、熱だけで歌っていました。その無我夢中の舞台をね、じっとその鋭い感覚で聴いてくださっていたファンがいらっしゃったっていうことだけでもね、なんかゾクゾクしちゃいます。

Q)小椋佳さんの歌詞は、以前からお好きだったのですか?
もう大好きよ。小椋さんの歌は、小椋さんじゃなきゃ出来ない世界じゃない。

Q)小椋さんは、ペギーさんをイメージして書かれたと思いますが、最初に歌詞を読まれた時、どう感じましたか?
「結果生き上手」ってタイトルがね、やっぱり言葉の達人だなって思いましたね。やっぱり、言葉ってことに、とっても長けている方ね。だいたい「生き上手」なんて言葉を歌のタイトルにしている人なんていないから、本当に小椋さんらしいと思いましたね。

Q)「夢の坂道」の方は、どうお感じになられましたか?
私の人生で、坂道にはとても縁があるんです。生まれた所も、坂道の四谷でしたし、中野に越して、そこも上高田っていう坂の上でしたし、そこから代々木上原に引っ越して、そこもまた坂の多いところ。今も、坂道を上ったり下ったりしているんですけど、そういうことも考えて、坂道をテーマにしてくださったってことが嬉しかったんです。

Q)「結果生き上手」も「夢の坂道」も、あたたかい歌で、言葉が心に響く、どちらも甲乙つけがたい歌です…
あれはね、2曲どっちをメインにしようかっていうことで、かなりディスカッションがあったの。私はね、「結果生き上手=夢の坂道」って、2つを並べてタイトルにして下さいってお願いしたんだけど、それはできませんってレコード会社の人に言われちゃったんですけどね。だから、それくらい同じくらいの思い、重さがある歌なんです。これからも、この2曲は大切に歌って行きます。

Q)小椋さんの歌詞は、いつも言葉使いが独特です…
私も、今回、歌詞を覚えるのに苦労しました。と言うのは、たとえば、普通の感覚で言うと「素晴らしい人生」とか「素敵な人生」と言うところを、小椋さんは「豊かな人生」って言葉を使っていらっしゃるんですね。「我知らず ふと思う」ってところも、言葉として美しいですね。普通なら、「我一人 ふと思う」とか、そういうふうにするんだけど、小椋さんでしか出てこない歌詞ですね。

Q)「結果生き上手」で、とくに気に入っている歌詞はどこですか?
「悦ぶ 私は 少女還りです…」ってところが好きです(笑)。「どうして、ここで少女?」って思うけど(笑)。これは、やっぱり小椋さんじゃなきゃお考えにならない言葉だと思います。

Q)そのあとの「また恋を したかしら 心の騒めき…」という所の歌い方が、笑顔で語られているような声で印象的です…
そう? そこもいいわね。この歳になっても、ざわめく心を持ちたいっていうこともあるし、いくつになっても女はいつでもって、そういう意味で、小椋さんもお書きになられたんだと思いますよ。言葉の達人だなって思うわ。

Q)「女は何時でも 結果生き上手…」という歌詞も強烈ですね…
そうですね。女性のファンの方に、「じゃあ、男はどうすんの?」って言われちゃいそうですけどね(笑)。でもね、「奥様が生き上手だったら、ご主人は絶対に幸せなはずよ…」って、この前舞台で言ったら、大笑いされちゃいました(笑)。

Q)男性でもよくわかる歌詞だと思いますが…
そうね、男性だったらみんなそう言うでしょうね、「女は生き上手」だって(笑)。

Q)「結果生き上手」ということは、裏を返せば「その過程に於いてはいろいろあった…」ということにもなります。ペギーさん自身も、そういう思いはありますか?
そうね。少女から結婚して母になり、お姑さんにも仕えて、主人の介護をして…、私自身も色んなことがあって、その都度その都度、それなりの人生の中で、乗り越えてきたものってあるじゃないですか。荒波が押し寄せてきても、なんか、うまくそれを乗り切ってこられたっていう感じはありますよね。それを「生き上手」と言うんであれば、それはラッキーなことだったと思うのね。でも、そういうことを、ひとつのテーマにして世の中を渡るのはいやなんです。それは何も人に言わなくても、「ああいうことがあったな…」って自分自身が心に問いかければいいことでしょ。

 


Q)「夢の坂道」は、「人生いろいろ辛いことや悲しいこともあるけど、それでも人生って素晴らしい、そして、これからも、夢を追って生きていきましょう…」と背中を押してくれる歌です。
そうですね、背中を押してくれる歌ですよね。今のご時世、応援歌になるのかなと思っています。60年も歌ってきた歌い手が、「夢を追ってまた進もう!」って拳を振り上げて行くのは私は、あんまり好きじゃないのね。それだと「マイ・ウェイ」みたいな感じになっちゃうので。小椋さんが歌うみたいに、しっとりと、淡々と、人生を振り返りながら歌いました。

Q)前作、NHK「ラジオ深夜便のうた」にもなった五木寛之さん作詞の「夜明けのメロディ」もそうでしたが、押しつけがましくなく、やさしく語りかけてくれている感じがします。だから、この歌詞の内容が伝わってくる気がします…
嬉しいわ、そういうご感想を言っていただいて。そうですね、「歌」というよりは、「語り」みたいな風にしたかったんです。歳をだんだんとってきた歌い手っていうのは、無理して歌うのではなくて、自分の心で語りかけることが大事だど思うんです。それで共鳴してくれる人がいればいいかなって思っています。「60年なんだから!」っていうのは、一切いやだと思ったの。だから、胸に秘めているものをあからさまに出さないで歌うようにしたの。キーのことも考えて、あんまり張り上げて歌うんではなく、なるべく低いところで歌うようにしたりしました。これからも歳を重ねていくわけですから、無理して高いキーにしない方がいいかな…なんて、ずいぶん悩みました。

Q)2曲とも、弦哲也さんの作曲ですが、「結果生き上手」はヨーロッパの香りのする美しいメロディで、「夢の坂道」は、「愛燦燦」を彷彿とさせるような、感動的で大きなバラードです…
そうですね、弦さんのメロディも素晴らしいですね。やっぱり、60年目にこの2曲に出逢えたっていうのは、良かったと思います。弦さんはね、いつも、ギターで歌ったデモテープ作ってくださるんですけどね、弦さん歌が上手なのよ。「こんなうまく歌えないわ…」って、いつも、めげるのよ(笑)。本当にしばらく悩みますの。だから、弦さんとは違うように歌ってやろうって、こっちも闘うの。

Q)本当に、やさしく語りかけるような歌い方です…
初めの語り、バースみたいなところがあるでしょ、その部分の詞がいいし、弦さんのメロディの作り方も素敵ですね。「人生の 辛さ 苦しさ 嬉しさ 素晴らしさ…」「運命の 恵み 裏切り 儚さ 有難さ…」という歌詞は、まさに、私も60年間のことを思い出します。だからこそ、いやらしく歌いたくないし、胸に秘めたものを思い出して「ああ、そうだったな…」ていうフィーリングをメロディに乗せるって言うのは、すごい難しいですよね。長年、歌ってきても、とても難しくて悩みました。譜面見ながら、一晩中、頭抱えて、「どうやって歌おうかな…」って考えました。

Q)そんなに歌い方に悩まれたのですか?
CDって、何度も何度も聴くものでしょ。1回聴いて「いいなぁ〜」じゃなくて、また聴いてだんだん良くなる…、そういう風になっていなきゃいけないんですよ。それは、一番最初のキングのディレクターに言われたの。「レコードっていうのは何度も聴くもんですよ…、だから、絶対にいやらしく歌わないでください…」ってね。それ以来、肝に銘じて、「聴けば聴くほどいいな…」っていう風に歌いたいなって思っています。若い時は、なんだって歌っちゃうのよ、声もよくでるし、感情も豊かだし。でも、今は、積み重なったものが、そういう歌い方になってメロディに乗り移ったらいいなって思っています。

Q)「歌わないように歌う」ということですね?
そう!歌いあげないで語るってことですね。それは、歌い手として、大事なことですね。


Q)「運命の 恵み 裏切り 儚さ 有難さ…」のところは、まるで、一対一で語りかけられているように、歌声で言葉が直接心に入ってくる感じがします…
そこのところは、私も工夫して歌いました。「若い頃は、こういう歌い方しなかったな…」って歌い方をしたいじゃない(笑)。だから、抑えて抑えて、それでいて、その中に感情が秘められている、そういう風に歌いました。

Q)ここは、言葉の順番もいいですね。最後の「有難さ」で救われる感じがして、そこで感動します。そこに重なる自分の経験、エピソード、思い出のワンシーンとダブってきますね…
そうなんです。そこには、私からファンの皆様への感謝の気持ちも込められています。本当に、いい詞に出逢ったと思っています。



Q)小椋桂さんの歌で、とくに気に入っている歌はどの曲ですか?
小椋さんの歌は、みんないいけど…、やっぱり彼がご自分でも歌っていらっしゃる、ひばりさんの「愛燦燦」は、いいですね。

Q)今回の「夢の坂道」は、歌詞もメロディも、「愛燦燦」のような大きい感じがします…
ええ。「命とは 欲張りな ものですね…」とか、あのへんは「愛燦燦」のムードでしょ。「愛燦燦」をイメージして、今回、どっかにそういう感じも入れたかったの。

Q)55周年の時には、「神様がくれた愛のみち」で、阿久悠さんの歌詞も歌われていますね…
阿久さんが亡くなるちょっと前ね。今思えば、阿久さんが神様になられる前のご自分の心境かなって。全部カタカナで書かれていてね。あれも、私が大事にしている歌なんです。NHKのディレクターの方でも、あの曲をとても気に入ってくださっている方がいらっしゃってね、ついこの間も「NHK歌謡コンサート」で歌ったんですよ。ほかにも、キングレコードにいらっしゃった吉田矢健治さんが作って下さった「熱い想い出」とか、意外と皆さんに知られていない名曲があるので、そういう歌をアルバムにまとめたいって思っています。

Q)阿久悠さん、小椋佳さん以外にも、たとえば、1979年に出されたアルバム「恋歌・万葉の心を求めて」では、山口洋子さんが書かれていますが、他にも、とくにこの歌詞がいいと、今、思いつくものはありますか?
五木寛之さんが作った、田川寿美さんの「女人高野」が素晴らしい詞だと思いますね。田川寿美さんは、すごく上手い歌い手ですしね。あと、岩谷時子さんですね。私の歌ですけど、アダモが作った「シャンソン」、あの詞もとても好きですね。あの時は、越路さんを追悼して作っていただいたんですけど、もう、周りが皆さん、どんどん向こうの世界に行ってしまわれるので、シャンソンの集まりの時には、いつも、逝ってしまった私の先輩や友達の人たちに捧げますと言って歌っています。

昔は、藤山先生の「長崎の鐘」とか、藤浦洸さんとか、「青い山脈」とか「湖畔の宿」とか、いい詞がたくさんあったわね。本当に、その歌が心に残ってる…。メロディも良かったけど、「あの歌詞が良かった」っていう歌が、昔はいっぱいあったでしょ。音楽の世界も変わったから、それはそれでいいんだと思うけど、今の若い人たちの音楽と比べて、昔の歌の方がメロディラインがちゃんとしてたし、「歌詞のあの部分がいい…」っていうのがあったじゃない。

まあ、私たちがデビューしたころも、「なんだ あれは!」って思った人たちも多かったと思いますけど、最近は、わいわいしたお祭り騒ぎみたいな歌が多くて、あれが果たして、「平成20年代の歌」として残るのかなって思いますね。そういう意味で、私は、残る歌を歌っていきたいと思っています。だけど、それは、聴く方が決めてくださることで、自分で決めることではないんですけどね。



Q)60年間も歌手を続けていらっしゃる方は、そうそういないですし、並大抵のことではないと思います…
イギリスのエリザベス女王が、今年在位60年でしょ、女王様とご一緒に私は歌い続けてきたわけ(笑)。キングレコードでも、60年なんて人はいないのよ(笑)。この前、社長に聞いたら「おりません」って言われて「ドキッ」としたのよ(笑)。私自身はね、わりあい淡々と60年歌い続けてきたし、いい時代にデビューして、その後、テレビも発展していって、60年前にキングレコードの当時「吹込み所」って言ってた所でレコーディングしたころから考えると、科学の進歩ってすごいですね。今は、レコーディングで「ここだけ入れ変えましょう」って出来るなんて、夢のようなことじゃない。

Q)60年も続けることができた一番の理由は何でしょう…?
私…わかりませんね…。ただ、運が良かったってことはあるわね。戦前、戦中、戦後と生きてきましたけど、戦後の混乱時期に、みんなが音楽を欲している時代に、デビューできたってことですね。当時、私も学生で、たまたまジャズと出会って、ジャズをどうしても歌いたいって思って、その頃はね、とにかく「歌いたい!歌いたい!」だけだったのよね。それで、日本だけどアメリカのような米軍のキャンプに入り込んで行って、もう怖いもの知らずでしたね。アメリカ人相手に歌って、心臓が強かったなって思うんですけど(笑)。

Q)キャンプで歌われていたのは高校生の頃ですよね? 今考えると、すごいことですね…
トラックで運ばれて言ってね…。だから、両親は一度も仕事場へは来なかったですね。もし来てたら、即やめろって言ってたと思う。今思えば、よくあんなところで歌ったなって思うようなすごい所だったわ。でも、とにかく歌いたかったんだと思うの。

Q)その後、「ドミノ火の接吻(キス・オブ・ファイヤー)」でデビューされました…
キングレコードさんにお世話になることになって、その頃は、映画音楽が全盛期で、アメリカから映画がどんどん入って来ていて、主題歌のSP盤を、ひと月に3枚くらい出してたんですよ。映画主題歌って言うと「この歌、私が歌いたい!」って、チエミさんと二人で競って、お互いに切磋琢磨ですよね。

Q)やはり、その当時、江利チエミさんのことは、ライバルのように思われていたのですか…?
いいえ〜!チエミさんは、もう、全然、私の歌とは違いますよ。彼女は天才ですもの。あのリズム感はすごかったですよ。歳は、私よりずっと若かったけど、デビューは1年先輩です。それで、私が米軍キャンプでも、専属のバンドシンガーとしてただ歌っていた時に、チエミさんは、もう別格のゲスト扱いで、土曜日の「サタデーナイトショー」っていうので迎えられていたのね。白いソックスにエナメルの靴はいて、カールの髪にリボンを付けて、今のAKBみたいなスカートはいてね(笑)。それで、「Come On A my House」(「家へおいでよ」)を歌ったら、もうスタンディングオベーションですよ。その後に、私がバンドシンガーとして歌うのは、なんだかすごく肩身が狭かったですね。

Q)でも、当時は、キングレコードの2枚看板でした…
だから、キングに入ってからも、彼女とは違って私は地味目の歌い手だったのよ。でも、それはいいと思ってたのね。実は同じディレクターで、牧野さんて方(故牧野剛氏)だったんですけど、「チエミさんはチエミさん、ペギーさんはペギーさんの世界を歌ってください…」って言ってくれてましたしね。側でサポートしてくれていた人も、いろいろと考えてくれていたみたいです。だから、自分の前に階段が出来ていて、なんとなく歌いながらトントントンて、その階段を上がって来られたような時代だったんです。そういう意味では、私は恵まれた環境にいたなって思います。


  【ペギー葉山 歌手生活60周年 記念コンサート】

6月30日(土) 松戸・森の木ホール(開演:15時)
7月14日(土) 横浜・関内ホール(開演:15時)
9月30日(日) 東京・五反田ゆうぽうと(開演:15時)

  最新情報、詳しくはコチラ!
  【60周年記念アルバム 2作同時発売が決定!】

「夢… わたしの旅〜ペギー葉山 愛唱歌のすべて
<オリジナル・ヒット、叙情歌篇>オリジナル・ヒット」
2012年6月27日発売予定 CD5枚組 全82曲
キングレコード KICX-821〜5 ¥10,500(税込み)

  詳細はコチラ!
 

「夢… わたしの旅〜ペギー葉山 愛唱歌のすべて
<洋楽&ポピュラー篇>"ドミノ"デビューの頃の歌声」
2012年6月27日発売予定 CD5枚組 全90曲
キングレコード KICX-826〜30 ¥10,500(税込み)

  詳細はコチラ!
60周年記念シングル 「結果生き上手/夢の坂道」


2012年4月11日発売
キングレコード

KICM-30419
¥1.200- (税込)

<CD収録曲>

1. 結果生き上手
2. 夢の坂道
3. 結果生き上手(オリジナルカラオケ)
4. 結果生き上手(一般用カラオケ 半音上げ)
5. 夢の坂道(オリジナルカラオケ

 


芸 名  : ペギー 葉山 (ペギー はやま)
生年月日 : 1933年(昭和8年)12月9日生まれ
出身地  : 東京・四谷
出身校  : 青山学院高等部卒
血液型  : A型

青山学院女子高等部(現青山学院高等部)時代から、米軍キャンプで歌い始め、ティーブ・釜萢の紹介で、渡辺弘とスター・ダスターズの三代目専属歌手として活躍。卒業後の1952年11月「ドミノ/火の接吻(キス・オブ・ファイヤー)」で、キングレコードよりデビュー。 1954年、第5回NHK紅白歌合戦に「月光のチャペル」で初出場。以後、1965年まで連続12回出場、これまでに計14回出場。

1958年、ミュージカル「あなたの為に歌うジョニー」で芸術祭個人奨励賞受賞。 それまで、ジャズや洋楽カバーを中心に歌っていたが、1959年、民謡調の「南国土佐を後にして」を歌い100万枚を超える大ヒットとなったことで一気に国民的歌手となる。1960年、日米修好通商百周年記念祭に日本人代表として招かれ単身渡米した際に観たミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」に感動し、劇中歌「ドレミの歌」を自身の作詞で日本に紹介。後に、2006年には、日本の文化庁と日本PTA全国協議会が親子で長く歌い継いでほしい歌「日本の歌百選」にも選ばれる。

1965年には、平岡精二による、ペギー葉山自身をモデルにした「学生時代」を歌い大ヒット。他にも、「ケ・セラ・セラ」「ラ・ノビア」「爪」などヒット曲多数。また、タレントとしても活動し、「NHK紅白歌合戦」や「歌はともだち」(NHK)の司会、「ひらけ!ポンキッキ」(フジテレビ)のしつけコーナー、「ウルトラマンタロウ」のウルトラの母役としても知られている。

1974年には、司馬遼太郎に続き二人目となる高知県名誉県人の称号を、1995年には紫綬褒章、2004年には旭日小綬章をそれぞれ受章。1979年には、万葉集の恋歌を現代風にアレンジした企画アルバム「恋歌・万葉の心を求めて」を発表し、1980年、第22回日本レコード大賞企画賞受賞。2000年には、石原慎太郎現都知事とのデュエット曲「夏の終わり」を発表したり、井上陽水から楽曲提供を受けたりと、その活動は幅広い。

夫であり俳優の根上淳が、1997年に倒れ2005年に亡くなるまで、歌手業の傍ら在宅介護を続け、2004年には、その実体験を綴った著作「歌う看護婦 夫を在宅介護 愛とバトルの二千日」(光文社)を発表。2007年から2010年6月までは、社団法人日本歌手協会会長を務め、現在も理事として協会運営に携わる。

2010年発売の「夜明けのメロディー」は、NHKラジオ「ラジオ深夜便のうた」でオンエアされロングヒット。ジャズ、スタンダード、ミュージカル、アメリカンポップス、歌謡曲など、ジャンルを超えたシンガーとして、これまでにレコーディング曲数は約2,000曲、レコード発売枚数は約200枚にもなる。

ペギー葉山 オフィシャルサイト
ペギー葉山 オフィシャルブログ「ペギー葉山のブログです。」
ペギー葉山の歌詞

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