芸 名 : ペギー 葉山 (ペギー はやま)
生年月日 : 1933年(昭和8年)12月9日生まれ
出身地 : 東京・四谷
出身校 : 青山学院高等部卒
血液型 : A型
青山学院女子高等部(現青山学院高等部)時代から、米軍キャンプで歌い始め、ティーブ・釜萢の紹介で、渡辺弘とスター・ダスターズの三代目専属歌手として活躍。卒業後の1952年11月「ドミノ/火の接吻(キス・オブ・ファイヤー)」で、キングレコードよりデビュー。 1954年、第5回NHK紅白歌合戦に「月光のチャペル」で初出場。以後、1965年まで連続12回出場、これまでに計14回出場。
1958年、ミュージカル「あなたの為に歌うジョニー」で芸術祭個人奨励賞受賞。 それまで、ジャズや洋楽カバーを中心に歌っていたが、1959年、民謡調の「南国土佐を後にして」を歌い100万枚を超える大ヒットとなったことで一気に国民的歌手となる。1960年、日米修好通商百周年記念祭に日本人代表として招かれ単身渡米した際に観たミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」に感動し、劇中歌「ドレミの歌」を自身の作詞で日本に紹介。後に、2006年には、日本の文化庁と日本PTA全国協議会が親子で長く歌い継いでほしい歌「日本の歌百選」にも選ばれる。
1965年には、平岡精二による、ペギー葉山自身をモデルにした「学生時代」を歌い大ヒット。他にも、「ケ・セラ・セラ」「ラ・ノビア」「爪」などヒット曲多数。また、タレントとしても活動し、「NHK紅白歌合戦」や「歌はともだち」(NHK)の司会、「ひらけ!ポンキッキ」(フジテレビ)のしつけコーナー、「ウルトラマンタロウ」のウルトラの母役としても知られている。
1974年には、司馬遼太郎に続き二人目となる高知県名誉県人の称号を、1995年には紫綬褒章、2004年には旭日小綬章をそれぞれ受章。1979年には、万葉集の恋歌を現代風にアレンジした企画アルバム「恋歌・万葉の心を求めて」を発表し、1980年、第22回日本レコード大賞企画賞受賞。2000年には、石原慎太郎現都知事とのデュエット曲「夏の終わり」を発表したり、井上陽水から楽曲提供を受けたりと、その活動は幅広い。
夫であり俳優の根上淳が、1997年に倒れ2005年に亡くなるまで、歌手業の傍ら在宅介護を続け、2004年には、その実体験を綴った著作「歌う看護婦 夫を在宅介護 愛とバトルの二千日」(光文社)を発表。2007年から2010年6月までは、社団法人日本歌手協会会長を務め、現在も理事として協会運営に携わる。
2010年発売の「夜明けのメロディー」は、NHKラジオ「ラジオ深夜便のうた」でオンエアされロングヒット。ジャズ、スタンダード、ミュージカル、アメリカンポップス、歌謡曲など、ジャンルを超えたシンガーとして、これまでにレコーディング曲数は約2,000曲、レコード発売枚数は約200枚にもなる。
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