—ここ数年、韓国と日本の両方で精力的に活動されていますね。
キム:今は韓国を生活の拠点にして、仕事のスケジュールに合わせて日本と韓国を行ったり来たりしています。月に4往復する時もあります。年間を通じてだと、7:3で韓国にいるほうが多いですね。日本に来るのも飛行機であっという間ですから、全然苦にはなりませんよ。
—今年春には、ソウルの世宗文化会館で、芸能生活40周年コンサートも開催。韓国のファンの方の反応はいかがでしたか。
キム:「おかえり!」という感じで大歓迎してくださって、うれしかったですね。皆さん、40周年と聞いて、私がもっとトシをとっていると思っていたみたいで、想像していたよりも私が若くて元気はつらつだったことにびっくりしていました。私は10代でデビューしているので。声も、太さは変わりましたけど、音域は昔と変わってないんです。
—日本と比べて、お客さんのコンサートの楽しみ方に違いはありますか?
キム:他の歌手の方のコンサートはわかりませんけど、少なくとも私のファンは、コンサートでの楽しみ方は日本と韓国では正反対ですね。日本の私のファンは、歌をじっくり聴きたいと思っていて、歌い終わると拍手をくださる。一方韓国のファンは、歌い手と一緒に楽しみたいと思っているから、皆さんずっと私と一緒に歌いますし、盛り上がってきたら手拍子したり、立ち上がったり。その辺は日本とは全然違いますね。
—日本の演歌のコンサートのイメージとは違って、ノリノリなんですね。
キム:韓国でのコンサートはまったく違う構成にしていて、日本の曲は歌わないので、テンポの早い曲が全体の3分の2くらいを占めます。その中で、節目節目にゆっくりとした歌をうたったり、ギターとアコーディオンだけのアコースティックな伴奏で、韓国の懐かしい歌をうたったりするんです。
—日本デビューからは28年。これまで発表してきた曲の中で、歌手として転機になった曲をいくつか挙げていただけますか?
キム:全部自分にとっては大切な曲なので迷いますね…。まず、なんといっても「朝の国から」は、念願の日本デビュー曲。この曲でNHKの紅白歌合戦の舞台に初めて立たせていただきましたし、韓国でも日本でも多くの方が知ってくださっている、恩人のような歌ですね。それからやっぱり「暗夜航路」。たくさんの人に応援していただいて、日本の演歌好きな皆さまに私の名前を知っていただくきっかけになった歌です。あとは「酒ごころ」(2013年) ですね。2012年に事務所を独立してから最初に出した歌です。
—独立された後、新曲が出るまでに間隔が空いて、ファンも心配していたと思います。
キム:どんな歌をうたっていけばいいのか、すごく悩んだ時期でした。初めて私も企画段階から参加して、誰に曲を書いていただきたいかを冷静に考えた時に、どうしてもこの方に書いてほしいと思ったのが、以前「北の秋桜」「北の雪虫」など、一連の“北シリーズ”を書いてくださった徳久広司先生でした。北シリーズで私の新しい一面を引き出してくださった徳久先生だから、また新しいキム・ヨンジャを誕生させていただけるんじゃないか…。そう思ってお願いしました。
—「酒ごころ」は、歌ネットの検索ランキングでヨンジャさんの歌の中ではNo.1です。
キム:ありがたいです。本当に素晴らしい曲をいただいて、おかげさまでたくさんの皆さんから応援していただきました。日本で第二の歌手人生をスタートするにあたって、自信を与えてくれた作品です。
—王道の演歌でしたが、ヨンジャさんにとっては新たな挑戦だったんですね。
キム:私はそれまで、いわゆるド演歌をあまり歌ってこなかったんです。「暗夜航路」や「命火」のような演歌の曲もありましたけど、できれば歌いたくない、と避けてきた路線だったんです。なぜかというと、私は演歌が下手だったから。いえ本当に。日本の方に言わせると、私は日本の歌い手さんのような繊細なコブシが出来ないんですね。日本の演歌は韓国の歌とはコブシの入れ方が違っていて、私にはとても難しい。だから、自分が歌うべき歌は別にあるんじゃないか、自分の役目は別のところにあるんじゃないかという思いがずっとありました。
—そんな苦手意識があったとは意外でした。避けてきた路線に、あえて挑戦する気になったのは何故でしょうか?
キム:コンサートでは必ず先輩歌手の歌にチャレンジしてきましたし、日本に長年住んで、演歌を歌うことにもだんだん慣れてきて、ほんのちょっとだけ自信を持てるようになったんですね。だからあえて正面から挑戦して、演歌好きなカラオケファンの皆さんにもう一歩近づきたいと思ったんです。昔から「私、演歌うたえてる? ちゃんと演歌になってる?」と不安を口にする度に、周りの人が「ヨンジャさんならではの演歌になってるんだからそれでいいんだよ」と言ってくださってたんですけど、素直に受け止められるようになったのは、やっと最近になってからですね。
—韓国出身のヨンジャさんが歌詞の世界を表現するうえで、気をつけていることはありますか?
キム:私は詞の本当の意味まで理解できていないかもしれませんけど、歌う時は詞の世界にあまり深く入りこまないようにしています。そうしないと、歌が重くなってしまうので。それでも、難しい日本語や、知らない言葉が歌詞に出てきた時は、自分でも調べますし、作詞家の先生に「これどういう意味ですか?」と素直に訊きます。「北の雪虫」(2002年) を歌った時は、「雪虫」がどんな虫なのかわからなくて、日本クラウンの札幌営業所の方に見せてほしいとお願いしました。雪虫は捕まえてもすぐに死んでしまうそうで、小さな箱の中に標本のようになったものを見せていただきました。「こんなの北海道ではどこでもイヤになるほど飛んでるし、服にくっついて大変なんだから」って言われましたけど(笑)。
—自分の目で実際に確かめないと気が済まないんですね(笑)。
キム:言葉が分からないまま歌っているとモヤモヤしちゃいますから。「南十字星」(2005年) を歌った時は、どうしても本物の南十字星に会いたくて、オーストラリアまで行きました。シドニーに着いたその日、運良く見られた時は感動して泣いちゃいましたね。今でも「南十字星」を歌う時は、その時に見た星空を思い出します。
—尊敬する歌手として、美空ひばりさんを挙げてらっしゃいますね。
キム:はい。美空ひばりさんは本当に尊敬していて、コンサートではひばりさんの歌を必ず歌わせていただいています。歌番組で歌わせていただくことも多くて、光栄です。
—ひばりさんの曲の中で好きな曲を挙げていただけますか。
キム:難しい質問ですね(笑)。本当に、全部好きですから…。ベスト3を選ぶとすれば、「川の流れのように」「悲しい酒」「みだれ髪」でしょうか。特に「川の流れのように」は、紅白歌合戦 (94年) で歌わせていただいた曲。あれがきっかけで、日本の皆さんに歌手として認めていただけたんじゃないかなという気持ちです。本当に光栄でした。
—では日本のポップスで、ヨンジャさんが魅力を感じる歌手やグループはいますか?
キム:コンサートを見に行きたいと長年思っているのに、残念ながらまだ実現してないのがユーミン(松任谷由実)さん。コンサートでの歌もファッションも、そして人間としても、本当に素晴らしい方だと思います。他にも、矢沢永吉さん、中島みゆきさん、サザンオールスターズ、ドリームズ・カム・トゥルー…個別に名前を挙げるのが難しいほど、日本には素晴らしい歌手の方がたくさんいらっしゃいますね。この間は、倖田來未さんのDVDを買って一晩中見ていました。
—えぇっ!それは意外です。倖田來未さんのどこに魅力を感じますか?
キム:やっぱり、歌い方が素晴らしいです。バラードを歌う時も、ロックっぽい、アクセントがしっかりしていて力のある歌い方をされるのがいいですね。ファッションもちょっと奇抜で素敵ですし。
—なるほど。ライブの場で、歌はもちろん、華やかなビジュアルで楽しませてくれる人がお好きなんですね。
キム:そうです。私、もともと宝塚歌劇団が好きでよく見に行っていましたし。ショーの最後にやるフィナーレの雰囲気が特に好きなんです。きっと舞台全体が華やかだから好きなんですよね。東京ドームで見たマライヤ・キャリーさんや、ホイットニー・ヒューストンさんのコンサートも感動しました。そういう、派手なコンサートで、現実から離れて別世界へ連れていってくれるような人、つまり「夢を見せてくれる人」が好きですね。
—そうなると、ご自分のコンサートにも、そういう派手な要素を取り入れたくなるのでは?
キム:昔はステージ衣装も奇抜なものを着て、頭の飾りも年々重くなっていったりしたんですけど、今は素直な自分を見せて、歌で勝負!という感じです。皆さんに楽しんでいただけるよう、派手な演出をする代わりに、私が一人でステージ上を走りまくっています(笑)。
—さて、新曲2タイトルを同時発売されました。
キム:「こころ花」と「情恋歌」。それぞれ演歌と歌謡曲で、全然違うタイプの2作品を出させていただきました。カップリングも含めて4曲とも素敵な歌で、歌い甲斐があります。「こころ花」は、じっくり聴いていただけるマイナーの演歌。私、3コーラスとも全部歌詞が好きなんです。「酒のちからで 別れてくれと 云った男の ずるさが見えて」の所は、身に覚えがあってドキッとする男性も多いんじゃないでしょうか(笑)。「津軽恋唄」は、徳久先生に「日本の伝統楽器である三味線を使った歌を作ってほしい」とお願いしたところ、「三味線といったら津軽しかないだろう」ということで作っていただきました。
—「酒ごころ」から3作続けて、作詞は久仁京介先生、作曲は徳久広司先生の組み合わせになりました。
キム: 久仁先生の詞って、歌っているとなんだか不思議と体に力が入るんですよね。悲しい詞なのに、自分がいつのまにか歌に励まされて、頑張ろうという気持ちになります。今後も久仁先生には書いていただきたいですね。
—「情恋歌」「愛の歴史」の作曲は花岡優平さん。美しいメロディのバラードですね。
キム: 花岡優平先生は、ご存知のように秋元順子さんの「愛のままで…」を作曲された方。今回初めて仕事でご一緒して、あらためてすごい方だと感じました。歌もお上手ですし。韓国にいる時にデモテープをいただいたんですが、その中にピアノだけの演奏の曲があって、どうしてもこれを歌いたい!と思ったのが「愛の歴史」です。小説の1シーンのように場面が浮かぶ曲ですよね。「情恋歌」と「愛の歴史」の詞を書いてくださった門谷憲二先生は、布施明さんの「君は薔薇より美しい」を書かれた方。「叫びたい 燃え尽きたい」とか、とても激しくて情熱的な詞を書いてくださいました。素晴らしい先生方に書いていただいた4曲。最近、演歌の世界でも、タイトル曲は同じで、カップリングの違う2タイプで出すことが多くなってますよね。でも今回「せっかくだから全部違う曲で出しましょうよ」と提案したのは、この私なんです。だから責任重大ですね。出したからには日本でいっぱい頑張ってヒットさせないと(笑)。
—歌い手として、ヨンジャさんの夢は?
キム: これはあちこちで言ってることなんですけど、一人だけのミュージカルをやってみたいと思っています。歌はすべてオリジナルで作っていただいて、それを一人で歌いながら演じる、創作ミュージカル。以前、ちあきなおみさんが一人で演じられたミュージカルがあって(※1989年初演、ビリー・ホリデイを題材にしたミュージカル『LADY DAY』)。ああいう感じでやってみたい。それが夢なんです。
—他の人たちと共演するミュージカルではなくて、あえて一人で?
キム: 以前、ミュージカル「三文オペラ」に出させていただいたことがあるんですけど(2001年)、あの時はダメでしたね。私は演技の経験がなかったので、キャッチボールというか、舞台上で他の誰かと演技をやりとりすることが出来ずに、すごく迷惑をかけてしまったんです。誰かと共演する舞台は私には向いてないと思いました。でも一人だったら、誰にも迷惑をかけないし(笑)。だから、歌のお仕事を一つひとつしっかりとやっていって、いつかその夢が実現できるように頑張って行きたいと思います。
—これからもご活躍を期待しています。
キム: ありがとうございます。せっかく日本と韓国を行ったり来たりする活動が軌道に乗ってきましたし、よりしっかりと地に足を着けて歌っていけるようにしたいですね。そして微力ながら、日本のいいところと韓国のいいところを、お互いに紹介していければと思っています。
CRCN-1888 ¥1,204+税
1.こころ花 作詞:久仁京介 作曲:徳久広司 編曲:前田俊明
2.津軽恋うた 作詞:久仁京介 作曲:徳久広司 編曲:前田俊明
3.こころ花[オリジナル・カラオケ]
4.津軽恋うた[オリジナル・カラオケ]
5.こころ花[一般用カラオケ]
6.津軽恋うた[一般用カラオケ]
CRCN-1889 ¥1,204+税
1.情恋歌 作詞:門谷憲二 作曲:花岡優平 編曲:川村栄二
2.愛の歴史 作詞:門谷憲二 作曲:花岡優平 編曲:川村栄二
3.情恋歌[オリジナル・カラオケ]
4.愛の歴史[オリジナル・カラオケ]
5.情恋歌[一般用カラオケ]
6.愛の歴史[一般用カラオケ]
「NHKのど自慢」出演予定
誕生日:1月25日
出身地:韓国全羅南道光州市
血液型:O型
1974年、韓国TBCテレビの「全国歌謡新人スターショー」で優勝し、歌手デビュー。1981年にトロットアルバム「歌の花束」が韓国レコード史上最大の360万枚の売上を記録する。1984年、NHKホールコンサート・公演ライブテープ、レコードが日韓同時発売。1988年、ソウルオリンピック讃歌「朝の国から」で日本再デビュー。同曲をソウルオリンピック閉会式エンディングセレモニー会場のメインスタジアムにて10万人観衆の前で歌唱。1989年にNHK紅白歌合戦に「朝の国から」で初出場。その後、「川の流れのように」、「イムジン河」で計3回出場している。2009年からは本格的に韓国でも活動を再開。