(長かったね愛してたよねもう終わりにしよう)
We are never growing up
過ぎ去ってく日々たちを 忘れたわけじゃない 消したいわけじゃないいつかはこんなにも悲しい夜が 来ることなんか最初からわかってた
いつもとは違うほんとのほんとの さよならをしよう月が綺麗だねNever grow up...もっと歌詞を見る
―― ちゃんみなさんは、3歳の頃にはもう歌手になりたくて、小学生の頃から作詞をなさっていたそうですが、何かを“表現したい”と思ったきっかけはあったのでしょうか。
あまりに幼かったので、きっかけはよく覚えてないんです。でも、物心ついたときには「何かを表現していないと嫌だな、自分が死んでいっちゃうのかな」ってちょっと不安に思うようになっていました。なんか私の場合、自分のなかに二面性があると感じていて。今こうやってお話ししている自分と、音楽をやっている自分とではまったく違いますね。
普段の自分は、モラルとかルールとかプライドとか、細かいフィルターを通して話している感覚なんですよ。だけど音楽を作るときは、心の奥にいる自分と対話をするので、曲にして初めて気づく気持ちがたくさんあります。たとえば「あのとき私こう思っていたんだ」とか、表向きでは「彼のことそんなに好きじゃない」って言っていたけど「意外と好きだったんだ」とか。本当の自分を知ることができる唯一のものが、音楽なんですよね。
―― 一番最初に作った歌詞の内容って覚えていますか?
全く世に出せるようなものじゃないけど、覚えています(笑)。歌詞といっても、3行くらいですよ。たしか最初は【風船】をテーマに書いたんじゃないかな。日本ではどうなのかわからないですけど、韓国ではよく【風船が空を飛ぶところを見ると、誰かが亡くなった合図だ】みたいなことを言われているんですよ。それを小さい頃に聞いて、小学生になるかならないかぐらいのとき、韓国語で初めて風船の曲を書きました。
―― 本格的に音楽活動をしていくなかで『自分はこういう音楽を作っていきたい』というモットーなどは決まっていきましたか?
いや、そういうのは今も決めてないです。そのとき書きたいものを書くだけというか。ただ私の歌詞に共通点があるとしたら、すべて“実体験から生まれた言葉たち”というところだと思います。以前書いた「Princess」という曲には<わたしの歌は人生の日記>ってフレーズがあるんですけど、まさにそういう感じです。逆に、まったく体験したことのないフィクションの物語は書いたことがないので、いつか書いてみたいですね。
―― どんなときに“書きたい”という衝動が生まれることが多いのでしょうか。
いろいろありますけど、楽しいときには“書けない”ですね。幸せなときにも、書きたいという気持ちはあまり生まれません。今回のアルバムでは、楽しくて幸せなときに書いた唯一の曲が、初回限定盤に収録されているボーナス・トラックの「SAD SONG」なんですね。だけどこれはもう【幸せすぎて悲しい】みたいなところにいってしまって書いた曲だなって、書きながら思いました。つらければつらいほど曲は書けるのかも(笑)。
―― また、今作の収録曲「I'm a Pop」や過去楽曲の歌詞などからも伝わってきますが、ちゃんみなさんはいろんな“こうあるべき”という“枠組み”に対する反骨心も音楽に投下されていますよね。
はい、その通りです。デビューしてからずっと感じてきたことだから。とくに音楽に関しては、いろいろ言われるわけですよ。「これはHIP HOPじゃなくてPOPSだ」とか「ROCKやったほうがいいんじゃない?」とか「K-POPみたい」とか「〇〇に似ている」とか。なんか「好き嫌い」「良い悪い」の前に【ジャンル】って次元で判断するんだってことに驚いて。なんでこんなこと言われなきゃいけないんだろうって。
そもそもHIP HOPって、ルールを嫌うひとたちがやっている音楽なんじゃないかなって思うし、そこに魅力を感じて、この音楽を愛してきたんですね。「ルールがないなんて最高じゃん!」って。だからこそ“こうあるべき”というジャッジのされ方は不思議ですね。私はHIP HOPをベースにやってはいますが、いろんなジャンルが好きで、音楽自体や音楽を好きなひとも好きなので、何かの枠組みに囚われながらやることは、すごくつまらないなと感じます。それは音楽以外のことでも同じで、自分のスタイルとか考え方を大事にしていきたいですね。
―― 今回のアルバムは、二十歳にリリースするアルバムとして以前からタイトルも決めていたというほどの、大事な節目の作品ですが、前作のアルバムと比べ“歌詞面”で変化したと感じるところはありますか?
この二年間で、日本語がすごく好きになったことが表現の仕方に影響していますね。前作のときは、韓国語で書くのが普通だったので、日本語での表現って難しいなと思っていたんですよ。だからほぼ英語で書いたり。私がやってきた音楽となじみにくいって決めつけていたところもありました。でもそんなことなくて。
年を重ねて、日本語を勉強したり、本を読んだり、表現をしている日本の方と話したりしていくうちに「こういう表現法があるんだ」とか「これは日本語にしかない魅力だな」と感じることがどんどん増えてきたんですよね。正直、それまでは日本語から背を向けていたんですけど、変わりましたね。だから今回は英語もあまり使っていないんです。
―― では、二十歳のちゃんみなさんは今、気持ち的にはどんなモードですか?
えー…!なんか…安心しています。なんて言ったらいいのかな…。
―― 抜け出したような感覚でしょうか。
そう!初心に戻った気分。10代後半に出した前作のアルバムでは、やっぱり10代前半の出来事とかも書いたし「私はこういう人間で、こういう人生を歩んできて…」みたいな歌詞が多かったんですね。でも20代になったら10代のことはもう書く必要はないと思っていて。だから、二十歳になった瞬間、まっさらな気持ち、全部リセットされた気持ちになったんです。ここから新しく見たもの、感じたものを書いていけるんだなぁって。まだ20代に入ってから1年も経ってないですけど、いろんなことがすごく楽しいですね。
―― ちなみに、成人式や同窓会は行きましたか?
行きました行きました!なんかアーティストとして“練馬のビヨンセ”なんて呼んでいただいていたりもしますけど、そうやって“練馬”という言葉を借りていることもあって、練馬のひとは「ちゃんみな」に敏感なんですよ(笑)。だから行ったらやっぱり「あ!ちゃんみなだ!」と言ってくれる子が結構いて、嬉しかったですね。確実に他の区よりは言ってもらえるんだなって感じました(笑)。
昔の友達に会えたのもすごく幸せでした。なんかみんな、しゃべり方も顔も小学生のころとあまり変わらないんですよね。あと、性格が作られていく大事な時期を一緒に過ごしたひとたちだからか、みんな根っこが同じな気がするんですよ。「あー、私はここで育ったから、このひとたちがいたから、今こういう性格でいることができているんだな」って感じました。完全に練馬は私のふるさとですね。
―― 同世代といえば、最近ちゃんみなさんのTwitterに「同世代の本気はやっぱり怖いくらい刺激されるものがある」と呟かれていたのが印象的でした。
あー!そうそう。そのツイートをしたきっかけは、那須川天心くんと亀田興毅さんの試合を観たことなんですよね。天心くんは、以前からSNSでフォローし合っている仲ではあったんですけど、会ったことがなくて、お互いに知っているぐらいの関係だったんですよ。でも、天心くんが試合をするという告知をTwitterで観て、中継を見たんです。そのときにものすごく刺激されて。うわー、すごいなと。
私は17歳からこの業界にいるわけですけど、なかなか同じ年で何か大きなことをしようとしているひとに出会う機会ってなかったんです。でも、天心くんの試合を観て「あ、このひとは何か目に見えないものを信じて、本気で追いかけているな」っていうのを心から感じたんですよ。いろんな声を受けて、それでも自分を信じて。彼と私はやっていることは違うけれど、似ているものがあるなって思いました。
―― 同志ですね。
あと、最近はそういう同世代のひとと話す機会も増えてきたんですけど、私と仲の良い子はやっぱり同じ目をしていますね。今、悲しいニュースがすごく多いじゃないですか。歴史が変わるんじゃないかって思うものとか、日本全体が混乱するようなものとか。そして、それを「絶望」と捉えるひともたくさんいると思うんですね。「あー、こんな日本になっちゃった」って。「もっと日本はこうなればいいのに」って呟くひともいるし。「だから日本はダメなんだ」って背を向けるひともいる。
だけどそのなかで、私を含め、同世代の同志たちは「チャンス」だと思っているんですよね。そう思えるひとってどれだけいるんだろうって。その「チャンス」は別に「よっしゃ!」とかじゃないんです。歴史や何かが滅びるぐらい大きいことがあって、もし壊れたとしたら、私たちがそれを立て直すべきだと思うし、作り上げるべきだということ。最近、本気で「うちらが時代を作っていく番だね」って思っていて。それぞれ「目に見えない何かに立ち向かって生きたいね」って話をよくしますね。