イメージではなく“本当の私らしさ”が詰まったニューアルバム!

 2023年4月5日に“加藤ミリヤ”がニューアルバム『BLONDE16』をリリースしました。デビュー時は16歳でブロンドヘアの女子高生。今作は、そんなデビューから18年経った今も変わらない精神性で言葉を綴ったアルバムとなっております。インタビューでは、今作の収録曲への想いを始め、歌詞についてのお話をじっくりとお伺いしました。実はずっと「報われないラブソング」のイメージと本来の自分との間にギャップを感じていたという彼女。そんな加藤ミリヤが“本当の自分”で今いちばん伝えたいメッセージとは。そして子どもが生まれたことで知った新しい“愛”とは…。
(取材・文 / 井出美緒)
Respect Me作詞・作曲:MILIYAH・SARA-J・Ryosuke“Dr.R”SakaiGimme what I want Gimme what I want
毒にハマるほど欲しくなる
Gimme what I want Gimme what I want
足を舐めろ Gimme that's want
RESPECT ME I WANT IT RESPECT ME I WANT ITもっと歌詞を見る
「報われないラブソング」のイメージと本当の自分とのギャップは常に感じる。

―― ミリヤさんは子どもの頃から“歌詞”という形で言葉を綴られていたそうですね。

10歳のときから歌詞を書くのが趣味でした。日記でもポエムでもなく、語呂を自分のなかで合わせたりして、歌になるんだろうなと漠然と思っていたというか。そこから音楽の世界へ入っていった感じです。

―― いちばん最初に音楽に心を動かされた記憶というと何が思い浮かびますか?

やっぱり安室奈美恵さんの存在が大きいですね。7歳ぐらいの頃にはもうファンクラブに入っていて、子どものわりにませていたと思います。コンサートに行っても、自分と同じ歳ぐらいの子はまわりの席にいなかった。

―― だから最初から“歌詞”として書くことが自然だったのかもしれませんね。

そうなんです。あと歌詞を書き始めた頃、ちょうど宇多田ヒカルさんや浜崎あゆみさん、椎名林檎さんとかがデビューされたんですね。自分で曲を書く女性ソロアーティストの方がたくさん活躍されていた。その影響もめちゃくちゃ大きいと思います。自分の思っていることを歌手になればわかってもらえるんだ!って。

―― 当時はどんなことを書いていたんですか?

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「大人は私のことをわかってない」とかそういうことが多かったかな。あと反抗期もあったから、母親に対する気持ちとか。他者に迷惑をかけずに、自分のモヤモヤを解消するための方法が、歌詞を書くことでした。

当時の私は中学受験の勉強をしていて、ずっと机に座っていなきゃいけなかったんですよ。机に座ると、自ずと自分自身に意識が向く。だから勉強に飽きたら歌詞を書く、みたいな繰り返しでしたね。

―― ちなみにお母さまに対する気持ちを書いた歌詞などを本人に見せたことは…?

見せるわけがないじゃないですか(笑)。でもデビューするとき、当時のソニーの担当者には書いてきたすべてを渡したんですよ。その方だけは何もかも読んだと思います。

―― では、ミリヤさんがデビューされてから今に至るまでの活動を折れ線グラフで表すとしたら、どんな形になると思いますか?

ずーっと波打ち続けている感じですね。上がって、下がって、また上がって。自分の精神的に。私がデビューしてから約20年、年単位で音楽の流行り廃りがあり、音楽の聴かれ方が変わり、世の中が厳しい時期もあり。いろんなものに対してその都度、自分が対応していくのを繰り返してきたので、すごくタフになった気がします。

―― 多くの波を乗り越えてきたからこそ、強さを手に入れたのですね。気持ちが下がった時期には、どうやってまた上向きになっていったのでしょうか。

うーん…、曲を書くことでしかなかったですね。自分を救う唯一の方法として音楽を始めたので。それに私の場合、下がっているときこそいい曲を書けるから。落ちるのは加藤ミリヤにとって悪いことではないって感じ。たとえばガツーンと落ちたときに、「20-CRY-」っていう私のなかでいちばん暗い曲が生まれたり。そういうときにしか書けない曲がある。だから自分の感情の浮き沈みから逃げない。それは自然と大事にしていますね。

―― ミリヤさんは20年近く音楽で食べていく未来というのは想像されていましたか?

まったく想像していませんでした。デビュー当時は16歳だったので、「若いですね」とか、いつも年齢のことを言われたんですね。ちょっと意地悪なライターさんには、「本当に自分で書いているんですか?」って言われたこともあるんですよ。めちゃくちゃ腹が立って(笑)。当時は今の10倍ぐらい気が強かったので、いろいろ反抗したりもしつつ…。

で、そういうインタビューのなかでよく、「5年後には何をしていると思いますか?」とか「10年後の自分は想像できますか?」とか訊かれたのを今でも覚えていて。本当にリアルな気持ちで、「何も考えてない」と答えていました。だって16歳にとって26歳なんてすごく年上の話に思えたから。音楽を続けているかもわからないなって、自然と思っていました。

―― ちなみに、当時の「現役高校生」という肩書きはどのように捉えていましたか?

武器だと思っていましたね。私みたいなひとは他にいないし、言葉のキャッチ的にも強い。自分だけに与えられた呼び方だなと。でも3年間ずっと言われ続けたその肩書きがなくなったとき、「ここからが本当に勝負だな」とも思いました。もっと自分の本質を見てもらえるようになるといいなって。

―― はっきり“加藤ミリヤらしさ”が確立されたと実感したタイミングはありましたか?

デビューして3枚目のシングル「ディア ロンリーガール」をリリースしたときですね。ECDの「ロンリーガール」って曲をサンプリングして、当時の現役女子高生版として歌詞を書いたもので。同時に金髪にして、かなりイメチェンというか、自分の好きなようにさせてもらったんです。

すると途端に、同世代の女の子たちがガッって自分に興味を持ってくれたのを強く感じたんですよ。自分の歌がちゃんと届いたのが肌感でわかった。そのときに、「あぁ私の歌っていく世界観はここだな」と思いました。等身大の自分がその瞬間に感じたことを書く。そういう歌詞が大事だとわかったことで、大きく道が開けた感じがありました。

―― また、これまでたくさんのラブソングを生み出されていますが、スランプ期などはないのでしょうか。

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あるある!「これは私じゃなくてもいいかな」って思うことも多いし。ラブソングってやっぱり普遍的なものが求められるところがあるじゃないですか。だから自分的には書いて、「普通の歌詞だな。質問の答えとして簡単すぎるな」って思うんだけれど、「これが正解だ」って言われるときとか、少しつらいというか、つまらなくなっちゃう。でも意外とそういう曲こそみんなにもよく聴かれたりして、「これなの!?」って思ったり(笑)。

あとラブソングをたくさん求められても、自分という人間はひとりじゃないですか。だからひとつの恋愛をいろんな角度から見て、何パターンも曲を書くというのをずーっとしてきたんですけど、さすがに限界があり。「あ、これ前も歌ったな」みたいなフレーズや頻発ワード、自分の手グセもわかるんですね。だからなるべくそれを入れないように意識して書いてみたり。もはや今はラブソングのほうが書くのが難しいです。

―― ミリヤさんのラブソングは、“加藤ミリヤ”というひとつのジャンルであるような気がします。

そうですかねぇ。でも「報われないラブソング」のイメージと本当の自分とのギャップは常に感じますよ。とくに「Aitai」の歌詞にある<一番に愛さなくていいから>みたいな印象って強いじゃないですか。でもあの曲ももともとはファンの子の声がきっかけなんです。

私が18~19歳ぐらいの頃にmixiが流行っていて、そこで悩み相談に毎日1つ必ず答えるというのをずっとやっていたんですね。一日に何万件とかの質問や悩みが来るんですけど、なかでも「私は好きなひとの二番目なんです」みたいな投稿がすごく多くて。それでそういう曲を書こうと思ったのがきっかけなんです。

とはいえ“私が書いている歌詞=私の経験”だと思う方がほとんどですし、それがどんどん加藤ミリヤの人間としてのイメージにも繋がっていって…。まぁそうなっているなら私の勝ちだと思うようにしています(笑)。

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