「一生」という言葉を使うときこそ、一時の感情なんだろうな。

―― 2023年はタイアップ作品へ書き下ろした“ラブソング3部作”のリリースもありましたが、それに伴いご自身のラブソングに対するモチベーションも変化しましたか?

私、本当はラブソングを書くことが好きだったんだと改めて気づきました。『元カレかるた(※)』を作ったぐらいですから(笑)。だけどシングルとか、アルバムの推し曲になるのは人生の曲が多くて。今回もそうですし。人生の曲のほうが、私の性格的に歌いやすいし、ひとに聴いてもらいたい気持ちがより強くなるんですよ。でも、それでもやっぱり恋の歌を書くのが好きで。今回またいろんな視点のラブソングができて嬉しかったです。

※『元カレかるた』…ヒグチアイ監修。元カレとの切ない思い出の数々や、行き場のないどうしようもない気持ちを『かるた』にまとめた一品。

―― アルバムに収録されている新たなラブソングたちは、どれぐらいのノンフィクション濃度なのでしょうか。

えっとねぇ…ノンフィクションだけど、最近ではないかな。「最後にひとつ」は2023年に思っていたようなことなんですけど。たとえば「わがまま」とかは“あの頃”って感覚です。というか、「あの頃に思っていたこういうこと」が本当はどういうことだったのか、やっと歌詞として書けるようになった気がするんですよ。

―― 今のアイさんだから“あの恋”をちゃんと言語化できたんですね。

そう。あの頃にリアルタイムで書いていたとしたら、<わたしはわたしのまま愛されたい>だけだったと思います。だけど今は2番の歌詞で<隙を見せてバカなフリで 君が振り向くとしたら 好きになったのは わたしなのにちょっと 嫌いになるかもしれないな>って、“私もあなたを選びたいんだから、ちゃんとしてほしい”みたいな部分が出てくるというか。「選ばれたい」という一方向だけではない感覚も書けるようになったんだなと。

―― ちなみに<わたしはわたしのまま愛されたい>とは反対に、好きなひとのためにカメレオンのようになってしまう時期もありましたか?

めっ…ちゃありました(笑)。20代前半ぐらいまではずっとそんな感じ。でも結局、それをやっていた理由が「最後にひとつ」の歌詞にも繋がってくるんです。つまり<なんでもないなにものでもないわたし>を好きでいてくれるということだけが、自分の価値だった。

今は仕事があって、いろんなひとがヒグチアイという存在を見てくれて、理解してくれている。だけどあの頃は、うだつも上がらない、バイトしかしてない、「可能性」とか言っているけどそれが叶うかもわからない。それでもそういう何もない自分を好きでいてくれるひとがいた、っていう。それしかなかったので、やっぱり依存しましたよね。自分の空洞を埋めてくれている感じというか。そのひとがいることが私のすべてでした。

そういう時期だったら、「わがまま」の歌詞も書けなかったなと思うんです。20代前半の私にこの歌を聴かせたい。「こうであれよ」って言ってあげたい曲なのかもしれないですね。

―― 「最後にひとつ」はどんなときに生まれた曲ですか?

photo_02です。

何かタイミングがあったんだよな…。SNSか何かを整理していたとき、ふいにその元カレが出てきたんですね。その瞬間にパッと思い出したんだけど、逆にそこまでだいぶ長い間思い出してなくて。私はそのひとのことをめちゃくちゃ恨んでいたはずで、イヤだったはずで、別れるときにも捨て台詞を吐いたりしたんです。それなのにいつのまにか思い出さなくなっていた。

そして、これが私がそのひとを思い出す最後の瞬間なんじゃないかと思ったとき、「もう今後あなたのことを思い出すことは多分ない。恨んでいるという気持ちさえ忘れちゃってごめんね。だから私がいったこともすべて忘れてくれ。私が知らない場所で幸せになってくれ」って(笑)。本当に願えたというか。ずっと覚えているなんて無理だったんだな、ということに気づいて書いた曲ですね。

―― 『元カレかるた』の「さ」の句には「最後に言わせて 一生しあわせに ならないで」という一枚がありましたが、「最後にひとつ」では心から<どうかおしあわせに>と言えていて、これが本当の「最後」であり、ひとつの恋が成仏していく瞬間なんだなと感じました。

そうそうそう。<これからの人生誰のことも愛さないと思う>とか言ったのに、こっちの気持ちは勝手に成仏しちゃって、相手にだけその言葉が傷になって残っていたら申し訳ないですよね。きっと「一生」って、感情でしかないんだろうなと思うんですよ。「一生しあわせにならないで」って言うときも、逆に「一生一緒にいようよ」とか言うときも、「一生」という言葉を使うときこそ、一時の感情なんだろうなって。もう使わないようにします(笑)。

―― 「わがまま」も「最後にひとつ」もそうですが、今回のアルバム収録曲には予後が不安になってしまうような主人公はいない気がします。

たしかに。「このホシよ」も<わたし あなたに恋をしている その事実で死ぬまで 生きていけそうよ>みたいな一見、不安な言葉は出てくるけど、自分の軸があって心からそう思っているというか。本人はあっけらかんとしている感じ。しかも自分が死にたいとかじゃなくて、<このホシよ滅んで>と言っちゃう。そういう潔い強さがどの曲にもあるかもしれません。

―― そういう強い主人公像が増えてきたのはどうしてでしょう。

やっぱり私自身が強くなっているんだと思います。不安定な状態が少なくなっていって、自分の気持ちを理性的に理解できている。まぁ「大航海」の主人公に言わせれば、「そうじゃなくてもっと感情で行けよ!」って感じもあるんだけど(笑)。でも今の自分は、だからこそ強くなっているんだと思います。感情でものを言わない。考えてから言葉を伝える。そこを大事にできるようになったことは大きいですね。

―― 歌の登場人物を描く際、人称の使い分けに何かこだわりはありますか?

はい、かなりしっかり使い分けていますね。昔は<僕>と<君>しか使っていなかったんですけど、「自分が歌っている感じにしたほうがいい」と言われて、<わたし>と<君>で書くようになって。

<あなた>はイメージ的にすがっている感じが出るので、あまり好きじゃなかったんです。でもそれだけじゃなくて“大切な存在”というニュアンスだったり、今回の「最後にひとつ」で言えば“距離感”を持たせられたり、いろんな<あなた>の在り方を知っていって。それで<君>も<あなた>も使えるようになっていったんです。

そこからはキャラクターに合わせて、人称を選ぶようになりました。「わがまま」の相手はちょっと大学生っぽいし、お互いの年齢も近そうだから<君>だな、とか。「自販機の恋」は映画『その恋、 自販機で買えますか?』のふたりに合わせて<僕>と<君>しかないな、とか。曲の設定によって変えていますね。

―― また、「この退屈な日々を」には<愛>と<恋>どちらのワードも出てきます。大きな質問になってしまうのですが、アイさんは<愛>と<恋>の違いってなんだと思いますか?

さっきの「一生」の話で言えば、恋は「感情」で愛は「時間」かなぁ。恋は瞬間的に感じるもの。だけど、愛は今この瞬間に生まれるものではないというか。振り返って過去から今までを見つめて、愛だなぁって思うことが多い気がするんですよね。相手からもらう愛も、「あのひとがいろんなことを感じてくれていた、やってくれていた」みたいな、自分が知らない時間を受け取っているようなイメージです。

―― たしかに<あなたとの日々を進めてゆく その日々のことを愛と呼ぶ>という“愛”のフレーズに対して、<公園の隅に散らかる 空き缶を蹴飛ばすよな ドラマみたいな恋じゃない>と“恋”を表現したフレーズは感情的で瞬間的ですね。

そうなんですよ。公園の空き缶を蹴っ飛ばしている感じって、めっちゃ自分に酔っているじゃないですか(笑)。そんな自分に瞬間的に酔えるのが恋である気がしますよね。愛はそうじゃなくて、たとえばその空き缶を拾って、袋に入れて縛って、家に持って帰って捨てる、みたいなストーリーの前後が見える感じ。そこの違いなのかなと思います。恋と愛って繋がっているようで、繋がっていないのかもしれない。永遠の問いですね。

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