―― シャイトープの楽曲はとくに歌詞が魅力的ですよね。きっと想さんは“言葉の方”なんだろうなと。
ありがとうございます。でも、こうして喋ることなんかはむしろ苦手なんですよ。昔から文章を書くことがすごく得意だった気もしないし。詩にすること、歌詞にすることだけは好きだったんですよね。あと、たとえば、季節の変わり目の空気を吸ってそれだけで涙が出そうになる、とかそういう感性はかなり強かったと思います。
―― 人生で最初に書いた歌詞って、覚えていらっしゃいますか?
中学2年か3年の頃に書いた歌詞かな。たしか空の雲とか、そういうものを描いていた気がします。もうぼんやりと「音楽で食べていけたらいいな」と思い始めていて、メロディーもつけていましたね。
―― ご自身が歌詞面で影響を受けているアーティストというと?
たくさんいらっしゃるんですけど、なかでもMr.Childrenさんは大きなルーツになっていて、桜井和寿さんの書く歌詞にかなり影響を受けています。あと、谷川俊太郎さん。詩人の方からの影響も大きいですね。
―― ちなみに想さんはX(旧:Twitter)のプロフィールに、「マジモンのスロースターターです」と書かれていますよね。ただ、曲作りの時期といい、結成からメジャーデビューまでのスピード感といい、むしろ“はやい”気がするのですが。
いや、本当に僕は何もかもが遅いんですよ(笑)。おっしゃるとおり、曲作りを始めたのも、音楽でやっていきたいと思い始めたのも早かったのに、本気になるのが遅かったり。自分としてはすべてに対してスロースターターであると感じています。
―― ご自身が覚悟を持てるまでが遅い、ということでしょうか。
はい、気持ちの問題ですね。中2からずっと歌を作り続けていたけれど、本気で腹を括ったのは大学4年生の終わりに、シャイトープを組もうと思ったときなんですよ。実は当時、地元・広島で就職することも決まっていたんですけど、それも蹴って。まわりのひとの言葉に後押しされて、ようやくバンドというものに覚悟を持つことができました。今思うとそれがスロースターターな自分にとっての一大決心でしたね。
―― 歌詞に“シャイトープらしさ”が確立されてきたと実感されたタイミングはありますか?
大まかな軸は、高校の頃には確立されていた気がします。昔から僕の音楽を聴いてくれている、親とか友だちとか、そういう聴き手にとってはだんだんニュアンスが変わっているのかもしれませんが。自分としては、価値観とか、気持ちや情景の描き方とかを含め、高校の頃から大きくは変わっていないなと思います。
―― 言語化すると、想さんの書く歌詞にはどのような特徴があると思いますか?
俯瞰で見たとき、詩として綺麗にしたがるところがありますね。どんな言葉のリズムにしたら、気持ちがいいか。どんな言葉を使ったら、全体的に綺麗にまとまるか。言い回しにもかなりこだわります。あと、ちゃんと頭に景色が浮かんでくるような情景描写にすることは、無意識のうちにやっているかもしれません。
―― 今年、歌手のUruさんがシャイトープ「ランデヴー」をカバーされた際に取材をしたのですが、「私には書けない魅力的な表現がたくさんありましたし、耳に残るし、歌ってみたくなる。初めて聴いたときにはまず<食欲のない芋虫の右手>というフレーズが印象に残りました」とおっしゃっていました。想さんのその情景描写力はどのように培われたのでしょうか。
ありがとうございます、とても嬉しいです。まずはリスペクトしているいろんなアーティストの方々から、表現のヒントを得ているところが大きいと思います。あと、これはもうずっと言っていることなんですけど、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない歌詞を書きたい」と思っていて。それがいちばんいい歌詞である気がするんですよ。
そして「ランデヴー」を書いた時期はまさに、どうしたらそういう歌詞になるか、聴いたことない言い回しや秀逸な例えを模索していて。だからこそ、Uruさんがおっしゃってくださった<食欲のない芋虫の右手>みたいなフレーズを書けたんだと思います。
―― 「ランデヴー」は、できあがったときの手ごたえとしても、大きく広がっていく曲になる確信があったのでしょうか。
いや、できあがったときにはまったく。いつもどおりの曲作りというか。だから自分の知らないところでバーッと広がっていって、めちゃくちゃビックリしました。SNSを見ていたら、「あ、俺の曲だ」って(笑)。気づいたら、いろんなところで流れるようになっていたんですよ。
―― シャイトープの楽曲が広く広まっていくなかで、ご自身としては意外な反応などもありましたか?
結構ありますね。これは先日、ラジオでも話したんですけど、シャイトープに「pink」って曲があって。その曲の<私>と<あなた>って、僕としては別れていないんです。でも、いただいた感想を読むと、意外と“別れたふたり”だと解釈しているリスナーの方が多くて。「そういう捉え方もあるんだ!」とは、よく思います。
―― でもたしかに、想さんの書くラブソングはどこか常に“別れ”が漂っている気がします。相手がいなくなってしまいそうな感じというか。
あまり考えてみたことがなかったけれど、言われてみるとそうかもしれません。なぜだろう…。でも、自分の昔からの性格なんですけど、ものすごくいろんな想像をするんですよ。空想というか、妄想というか。たとえば、誰かとお付き合いしたとするじゃないですか。すると「もし彼女が倒れて、運ばれて、亡くなってしまったら…」みたいなことを考えてしまうわけです。
―― それはかなり深刻な想像ですね…。
いいことかわからないけれど、「このひとを失ったらどうしよう…」という想像を必ずしていると思います。恋人に限らず、友だちでも、身近にいるひとでも。それで悲しくなって、泣きそうになってしまうことが、僕にとって相手の大事さを確かめることになっている気がするんですよね。これはもう仕方がなくて。自分のそういう部分が曲に滲み出ているのかもしれないなと思いました。