ロックの原点であるラブソングを。失恋の心模様を描いた「Backseat」含む最新作!

 2024年9月18日に“[Alexandros]”がCD SINGLE『SINGLE 2』をリリースしました。今作には、グリコ『ポッキー』タイアップ曲「Backseat」や映画『Cloud クラウド』インスパイアソング「Boy Fearless」など全4曲を収録。今回は、メンバーの川上洋平にインタビューを敢行。様々なこだわりが詰まった新たな失恋ソング「Backseat」、アップデートした「真夜中 (Drive ver.)」への想いをじっくりお伺いしました。さらに、「歌詞は苦手、本当は音楽に言葉なんて要らない」という彼だからこそ気づいた“自分らしい歌詞”とは…。今作と併せて歌詞トークをお楽しみください。
(取材・文 / 井出美緒)
Backseat作詞・作曲:川上洋平帰り道の合間 髪は濡れたまま 話す言葉なく
確かめなくても なんとなくはもう
わかっていたね 皮肉なぐらいにはね そうだろう?
時々、夜の冷たい風の匂いが 舞って 絡まって 思い出すよ
未だに 僕は忘れる事ができないでいるよ 愛しい人よ
もっと歌詞を見る
改めて、ロックンロールって実はラブソングが原点なんじゃないかなと。

―― 洋平さんが人生でいちばん最初に書いたポエムや歌詞って覚えていらっしゃいますか。

えー…、覚えています。小学3、4年生のときに書きましたね。ポエムでも詞先でもなく、曲があってそこに乗せたので、もう歌詞という前提のもので。

―― どんな楽曲でした?

「Victory」というタイトルでした(笑)。全英詞で<well victory>って一節があったり。当時、サッカー少年で、ちょうどJリーグが発足した頃だったこともあり、サッカー応援歌のようなニュアンスの歌詞だったと思います。曲作りというか、口ずさんでいたレベルでしたけれど、その頃には聴き手から作り手になりたいと思うようになっていました。

―― 小学3、4年生で曲作りは早いですね。当時のいち少年は主に何を感じ、考えて、書くことが多かったのでしょうか。

photo_01です。

どうだろうなぁ…、でも意外と今と変わらないのかもしれないです。「俺はこういう人間だ」とか「こうなりたい」みたいなことかな。でも、そういう強いメッセージは、どちらかというとメロディーに託していた気がします。そして、そのメロディーにいちばん相応しい単語を綴っていた感覚ですね。

―― 洋平さんは、9歳~15歳までシリアに居住されていたんですよね。帰国されてからは、生活変化によって楽曲にしたい景色や感情が変化した部分もありましたか?

いや、住む場所は関係なかったですね。それよりも「大人になろうとしていたんだろうな」と今は思います。帰国したのが中学3年生の頃で、高校生になる直前のタイミングだったんですよ。だからこそ、「俺はここから大学に入って就職するんだろうな」みたいな未来が見えてきて、「その先の人生はどうなっていくんだろうな」とか考えるようになっていた。

そういう時期に書いていた曲が、[Alexandros]の「spy」や「Forever Young」なんですよね。その歌詞を改めて読んでみると、当時の人生観が表れていることがわかるし、“どんな人生が待ち受けているのか”ということに対する、怖さや期待が浮かんできますね。

―― では、歌詞面で“[Alexandros]らしさ”が確立した、と実感された楽曲やタイミングというと?

もうデビュー曲の「For Freedom」ですかね。それまでは風景画っぽい歌詞だった。あとは、想像だったり、ちょっとうまい感じの描写だったり、綺麗な韻を踏んでいたり。日本でそういうものが流行っていたのもあって。だけど、それがどうも自分はずっと好きじゃなかったんですよ。

そのなかで、ようやく自分なりのメロディーに対する言葉の乗せ方ができたなと思ったのが「For Freedom」を書いたときでした。もう俺の気持ちでしかないというか。歌詞というよりも、コラムとか日記とかに近い感覚で綴って。それが何よりも気持ちよかったんですよね。今でもそういう曲をメインに作っている気がします。

―― 先ほどおっしゃっていた、「メロディーに託していたもの」がより歌詞にも表れるようになっていった感覚なのでしょうか。

はい。もう「こういうことを書きたい」と思ったし、「こういうことを書かなきゃ」にも至っていた時期でした。当時、就職して営業マンをやっていたんですけど、音楽をやり続けながら抱えていた、「いつになったらデビューできるんだろうなぁ」みたいな、怒り、焦り、そういうものをぶつけて書いたら「For Freedom」ができた。ずっと感情を言葉にすることを躊躇していたけれど、それが一気に外れた感覚がありましたね。

―― また、[Alexandros]の楽曲は、全英詞または英語と日本語が半分ずつ入り混じった歌詞の印象が強かったのですが、今作を含め日本語の美しさが際立っている楽曲も増えてきましたよね。

日本語が増えてきました。やっぱり自分が日本にいる時間の多さに比例しているんですよね。無意識のうちに。だから、もしまた海外に住んだら歌詞にも外国の言葉が増えていくんだろうし、英詞の楽曲も好きなので、今はあえて海外で過ごす期間を設けたりもしているんですよ。自分のなかで日本語と英語の感覚が偏りすぎないようにしているところがあります。

―― その曲の歌詞を英語にするか、日本語にするかは、楽曲制作のどの段階で見えてくるのですか?

俺の場合、最初から「この曲は全英詩でいこう」とはならないんですよね。もちろん、メロディーから言葉が出てきたときに「これは日本語っぽいな」とか「これは英語が呼んでいるな」とかはあるんですけど。書き進めていくなかで、Aメロは日本語だったけど、Bメロは自然と英語になっていったり。最後まで書いてみて、あとから日本語を英語にしたり、その逆だったりという調節をすることも多いです。

―― どちらも自由自在というのは、とても大きな武器ですね。

でもね、ひとつ帰国子女あるあるで。長く海外に居ると、日本語で喋っていてもポロっと英語が出てくるような場面あるじゃないですか。「あれ、えーっと…日本語で何だっけ…」みたいな。僕も帰国したばかりの頃はそうだったんですよ。それが今は、「えーっと…英語で何だっけ…」って、普通の日本人になってしまって(笑)。そうならないように英語圏に行ったりしているわけですけど。

―― 英語感覚を補充しに行くというか。

そうそう。先ほど、「日本語と英語の感覚が偏りすぎないように」と言いましたけど、ちょっと訂正で。俺はやっぱり英語のほうが得意。より言いたいことを言えるのもあるし、メロディーに合わせやすいし。だから英語の楽曲ができる割合のほうが多くて、それを「日本語にしたいな」と思って直すとき、苦労するんですよね。

―― 日本語を英語にするより、英語を日本語にするほうが難しいですか?

はい、日本語を英語にするほうが意外と楽です。多分、日本語って単語のパワーが強いから。ひとつの言葉だけで、そのまわりにもじんわりと意味が滲んじゃうじゃないですか。でも、メロディーには1つの音符に一文字しか納められないような制限がある。そのバランスの取り方がまず難しいなと思います。

あと、僕の発音的な難しさもありますね。ひとつの単語から次の単語へ行くときの滑らかさが、英語のほうがうまくいく。そういうときは日本語を英語っぽく歌ってみるんですけど、なんというのかな…音のウェイブがあって。それを日本語で表現するのが難しい。たとえば、頭から日本語で行くとき、本当はフェードインしたいのに、カットインになってしまったり。言葉の意味よりも、発音面で悩むことが多いかもしれません。

―― 年齢や経験を重ねるにつれ、書きたいものが変わってきたところはありますか?

いや、変わらず「For Freedom」みたいな歌詞じゃないかなぁ。

―― 原点からブレないのですね。

そうですね。そこでしかない。あ、ただ、ラブソングがちょっと増えてきたとは思います。あんまり書いてこなかったので。自分のなかに引き出しがないわけじゃないし、むしろ書きたい。書いてなかった分野に、もっと行ってみたいという気持ちが出てきたのはひとつの変化ですね。

―― ラブソングはあえて封印されていたのですか?

封印はしてないです(笑)。他にもっと書きたいものがあったんでしょうね。でも改めて、ロックンロールって実はラブソングが原点なんじゃないかなとわかってきて、そこはちゃんと大事にしたいなと思ったんですよ。

よく考えると、俺らは「For Freedom」がデビュー曲だけど、1stアルバムもインストを除くと、1曲目は「She's Very」っていうちょっとロックっぽいラブソングで始まっている。それはどこか“ラブソングが原点で在りたい”という気持ちがあったと思うんですよ。ちょっとモテたいとかもね(笑)。だから、書きたいものが変わったというよりは、書きたいものが増えたという感覚が近いですね。

123