二人で笑ったこの道 一人で歩く思い出の道忘れてたこの痛みを 貴方の為なら何度でも
そう思うくらいに 愛せた人はいないよ 貴方以外にサヨナラ ありがとうもっと歌詞を見る
―― HYさんの取材は2018年のセルフカバーベストアルバム『STORY〜HY BEST〜』ぶりです。また、泉さんには2019年、『言葉の達人』にもご登場いただきまして。泉さんが歌詞を書くことになった最初のきっかけは、「槇原敬之さんの歌を聴いたこと」と書かれていましたね。ちなみにそれはどの歌だったのでしょうか。
仲宗根 ひとつの曲というわけではなく、「聴いてみて!」とアルバムを貸してもらって聴いたとき、1枚のなかに<僕>と<君>の物語がいくつもあることに衝撃を受けたんですよ。それまではわりと“歌を聴く=ハッピーになる”だったんですけど、それだけじゃない。次々と短編小説を読んでいるような感覚。マッキーの歌、おもしろい!って。もちろん曲もメロディーも素敵ですけど、何より歌詞に感銘を受けましたね。
―― そこからご自身も「こういう歌を書いてみたい」と。
仲宗根 そう思って書いてみたんですけど、私がマッキーを意識して歌詞を書くと、ただの小説になるんですよ。説明っぽいというか。でもマッキーは、小説のようでありながら、わかりやすくてちゃんと歌になっている。そこで難しさに気づきまして、「私には同じことはできない。私なりの言葉を持たなきゃいけないな」と。
それから、情景を描いたり、オブラートに包んだりというより、ストレートに感情を言葉にしたものが“私らしい歌詞”になっていきました。「今、こういう気持ちだから泣いているんだよ」みたいな。そういう書き方を強く意識し始めたというか。「私はマッキーにはなれない」とわかってからが始まりだったんだと思います。
―― ヒデさんは、作詞を始めたきっかけというといかがですか?
新里 中学の頃からずっとコピーバンドをやっていたんです。Mr.Childrenさん、スピッツさん、THE YELLOW MONKEYさん、GLAYさん、そういう方々の歌を。そんななかHYを結成して、「自分たちのバンドのオリジナル楽曲も作ってみたいね」という話がふと湧いてきて。自分には歌詞を書く才能なんてあるわけがないと思っていたけれど、挑戦してみようかなと。
で、ワンフレーズを書き始めたんですけど、やっぱりものすごく恥ずかしいんですよ、自分の心をそのまま書き出すから。でも、まわりのみんなが、「いいじゃん、いいじゃん!」って言ってくれて。そのおかげで、「こういう感じでいいんだな」と自信を持つことができて。最初に書き上げたのが多分「ソテツ」だよね?
仲宗根 そうだね。いちばん最初のアルバム『Departure』にも入っている楽曲です。
新里 次が「兼久商店」で、「ホワイトビーチ」、「Ocean」と書いていきました。だから人生で初めての作詞曲がもうHYの楽曲だったんですよね。
―― 泉さんはご自身が初めて書いた歌詞って覚えていますか?

仲宗根 初めては何だろうな…。ポエムというか、歌詞っぽいものは小学4年生ぐらいの頃から書いていたんですよ。うちはすごく厳しい家庭で。だけど文句や本音を吐き出したりすると、その厳しさが母に回ってくると、子ども同士ながらわかっていたので、心の内に溜めていたんですね。それでもやっぱり思春期だから、ワーッ!って爆発しそうになるじゃないですか。そういうとき、ノートに言葉をひたすら書いていました。
さらに、自分を映画の主人公に見立てるわけですよ。「私は貧しい家に暮らしていて、厳しいお父さんに毎日怒られながらも、夢を追っている少女」だと。劇中で流れるサントラみたいな、悲しい音楽も頭のなかで流してね。
―― 本当の感情とフィクションを混ぜるんですね。
仲宗根 そうそう。「今日は薪を売りに行ったけれど、まったく売れずに帰ってきてお父さんに怒られた。“皿ぐらい洗っておけ”と言われたから、冬の寒い日、お湯も出ないなか、手をかじかませながらお皿を洗っている。自分はなんて可哀想なんだ…」みたいなストーリーを作り上げるんです。現実はただ、怒られて悲しい気持ちで皿洗いをしているだけなんですけど(笑)。そうやってポエムをよく書いていましたね。
―― それが自然と歌詞を書くための筋トレになっていたのかもしれません。
仲宗根 思えばすべてが繋がっている気がしますね。それは癖になっていて、今でもやってしまうんです。「今、起こっているこの出来事は、本当は映画なんだ」と思い込むというか。たとえば、車を運転しながら主人公になりきって、自分の好きな音を流していると、気づいたら泣いていたりして。しかもカメラに撮られているつもりだから、ぶわーっとではなく、綺麗に涙を流す(笑)。
もうひとりの自分を作り上げるんですよね。だから、すごく不思議な感覚なんですけど、自分の人生であり、自分の人生でない気がします。いつもどこか俯瞰している。嬉しいことも悲しいことも、それは“このひと”に起きたことであって、私ではない。怒られながら「私かわいそう」って思っている自分と、そのうしろで「大丈夫だよ」って言っている自分がいる、そんな子ども時代と同じなんです。変だけど。
―― 不思議です。でもそれはきっと歌詞を書くときの強みになりますよね。
仲宗根 そう、活きてくるんですよ。私は歌詞って、気持ちが落ちているときに書くタイプの人間で。そういうとき、家のイヤな思い出がある部屋にわざわざ行って書く。普通ならトラウマのある場所って行きたくないと思うけれど、あえて自分で心の傷を抉るんです。そこで悲しいことを思い出して、泣きながら歌詞にしたためて、心にあるものをすべて吐き出して浄化していくというやり方でよくやっています。
―― その抉り方は、冷静にもうひとりの自分が見ているからこそできる気がします。
仲宗根 泣いて苦しくなっている自分を見て、もうひとりの自分は、「よしよし、それでいい、それでいい」って言っていますからね。片方はすごく仕事人間なんですよ(笑)。「歌のために、すべて吐き出せ」みたいなね。
―― ヒデさんはまた違う書き方ですか?

新里 僕も心が大きく揺れ動いた瞬間に、曲へ落とし込もうとするけれど、イズのような俯瞰の自分はいませんね。とにかく気持ちと向き合って、悲しいときは悲しいまま、それをどう乗り越えて行けばいいか、エールを書き溜めていく感じです。曲ができなくて大変なときも、どんどん自分を追い込んで。その苦しいところから見つけた光を集めて書くことで、同じようにもがいている状態のひとに共感してもらえるんじゃないかなって。
ステージに立っているひとって、華やかに見えるけれど、「物事の捉え方も、努力する方向もみんなと一緒だよ」って伝えたいんです。僕のなかでいちばん大事にしているのは、そういう人間くささかもしれません。たくさん迷ったほうが強い答えが出るので、どんどんチャレンジして、苦しいところに自分の足を踏み入れて行きます。
―― おふたりとも、曲のために自身を追い込むというストイックさは通じていますね。
仲宗根 ヒデはポジティブなストイックさだよね。何か起きたとき、ヒデはポジティブなほうに、私はネガティブなほうに行く。よく「メンタルが病んでいるひとに、“頑張れ”と言わないほうがいい」と言いますよね。だから、どん底のときには、「落ちたままでいいよ。とことん悲しもう」という私の歌を。そこから少し上向きになって、頑張っていきたい気持ちが湧いてきたら、ヒデの歌を。そうやってHYを聴いてほしいなと思います。
―― 長く一緒に活動しているからこそ、歌詞面で似てきた部分もありますか?
新里 あります、あります。偶然にもそれぞれが書いた歌詞に、似た言葉がいっぱい散らばっていたり。だから、アルバムが仕上がるたび、「同じ時間を過ごしている仲間なんだな」と感じますね。
―― それは今作『TIME』を聴いていても思いました。たとえば“花”にまつわるワードも多く登場します。「恋をして」の<私の人生は 咲くことのない花>、「明日種~アシタネ~」の<枝分かれした全ての道に花は咲くと信じている>、「大大大好き」の<青い夏と蕾の赤>などなど。
仲宗根 ああー、たしかに。今、言われてみて気づきました。<花>をはじめ、<海>とか<山>にまつわる自然の言葉はいつも入ってしまうね。他の沖縄のアーティストもそうなのかな?
新里 気になるね。僕たちはとくにそうだよね。
仲宗根 私たち、沖縄のなかでもより田舎に住んでいるので、とにかく自然が多いんですよ。子どもの頃の遊び方も違うと思う。私とシュン(名嘉俊)なんか、戦時中のお小遣い稼ぎみたいなことしていたから(笑)。すっぽんや鯉を捕ったり、ゴルフ場に行って球を磨いたりして。中学3年生でも秘密基地とか作っていたし。だからHY自体が、同じ沖縄のバンドとも少し違うところが多いのかもしれません。