いろいろわかる… 石原詢子 スペシャル・ロングインタビュー!

 

石原詢子、ロングインタビュー!「自分だけがそう思ってるんですかね…」自身初となる作詞・作曲を手がけた 最新シングル『五島椿』が 2023年5月24日 発売! メジャー調、真骨頂の「しあわせ演歌」! 心地よい響きの歌声で、情景が浮かび 言葉が沁みる歌!



インタビューの最後に、読者プレゼントあり!



Ishihra Junko

石原 詢子

41st Single『 五島椿 』

★ 1988年に「元祖・演ドル」として歌手デビュー!
★ 2000年に 12枚目のシングル『みれん酒』で「NHK紅白歌合戦」に初出場!
★ 2018年からは、詩吟の家元としても活躍中!

★ オリジナル ソロとして 41作目の最新シングル『五島椿』!
★ 自身が作詞・作曲を手がけた メジャー調、真骨頂の「しあわせ演歌」!
★ 言葉が耳に残る、キャッチーな曲!
★ 心地よい明るい響きの歌声で、情景が浮かび言葉が沁みてくる いい歌!

★ カップリング曲『流れる雲に』も自身が作詞・作曲を担当!
★ 昨年、配信限定リリースされた、1994年の人気曲『予感』も収録!

 

石原詢子「五島椿」ミュージックビデオ SPOT
 

石原詢子「五島椿」ミュージックビデオ


石原詢子「予感」Image Video Short Version

 
 


■ リリース情報
 
 
 
石原詢子「五島椿」

シングル CD / Digital
2023年 5月24日 発売
MHCL-3029
¥1,300
Sony Music Labels
 
<収録曲>
1 五島椿  (作詞:いとう冨士子、作曲:いとう冨士子、編曲:若草恵)
2 流れる雲に(作詞:いとう冨士子、作曲:いとう冨士子、編曲:若草恵)
3 予感   (作詞:岡田冨美子、作曲:川口真、編曲:川口真)
4 五島椿  (カラオケ・バージョン)
5 五島椿  (一般用半音下げ・カラオケ)
6 流れる雲に(カラオケ・バージョン)
7 流れる雲に(一般用半音下げ・カラオケ)
8 予感   (オリジナル・カラオケ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 




■ 石原詢子 スペシャル・ロングインタビュー

 



 アマチュアとプロとの歌の違いは、音程やリズムの正確さ、響きの豊かさなどもさることながら、なにより、その歌声の響きの明るさだと思う。「言葉の明るさ」とか「抜けの良さ」と言い換えてもいい。たとえ、暗い歌でも、プロの歌手の歌声は、例外なく響きが明るい。明るい響きの抜けの良い声でなければ、聴く人に伝わらないものだ。

 石原詢子が特徴的であるのは、歌声の響きが明るいということに加えて、同時に、響きが「とてもやわらかい」ということだ。なかなかこの 2つは両立しないものだが、石原詢子の場合、語るように歌うところはもちろん、張って歌うところでも、その響きの豊かさで、ビロードのように滑らかで、やわらかく、やさしい。そんな歌声の歌手は、あまりいない。

 1988年、アイドル歌手のようなビジュアルながら演歌を歌う「元祖・演ドル」として、シングル『ホレました』でデビューした石原詢子。1994年の『三日月情話』(7th Single)が、第27回 日本作詩大賞で優秀作品賞を受賞、翌1995年『夕霧海峡』(8th Single)がヒット、そして、1999年『みれん酒』(12th Single)がロングセールスとなり、翌2000年に NHK紅白歌合戦に初出場。2003年にも『ふたり傘』で NHK紅白歌合戦出場。今年、2023年は、デビュー35周年を迎えている。

 王道の演歌だけでなく、永井龍雲が提供したフォーク歌謡の名曲『あまやどり』(2005年、21th Single)、国安修二とのデュエット曲でロック調の歌謡曲『何も始まらないなら』(2010年)、自身が作詞した竹内まりやを彷彿とさせるようなポップスバラード『逢いたい、今すぐあなたに…。』(2011年、28th Single)、『誰より好きなのに』で知られるシンガーソングライター 古内東子 が提供したポップスバラード『ただそばにいてくれて』(2021年、40th Single)など、石原詢子は、ポップス調の歌にも定評がある。

 一方、父親が詩吟の家元だったため、幼い頃より詩吟を習い、12歳で師範代となり、2018年には、生前の父親との約束を果たし、詩吟「揖水流詢風会」(いすいりゅう じゅんぷうかい) の家元となり、現在、大阪と東京で詩吟教室を開講している。

 演歌から、ポップス、ロック、そして、詩吟と、石原詢子の歌の幅は極めて広い。

 そして、今年、2023年5月24日には、ソロ通算41作目となる最新シングル『五島椿』(作詞:いとう冨士子、作曲:いとう冨士子、編曲:若草 恵)が発売となった。新曲『五島椿』は、「いとう冨士子」のペンネームで、石原詢子 自身が作詞・作曲を手掛けている。これまでも、作詞や作曲を手がけているが、シングルの表題曲で、作詞・作曲の両方を手掛けたのは、今回が初めてだ。

 新曲『五島椿』は、メジャー調、ミディアム・テンポの歌謡曲調で、石原詢子の真骨頂とも言える「しあわせ演歌」。メジャー調の「しあわせ演歌」は、2013年のシングル『さよなら酒』(31th Single)以来、約10年ぶりとなる。

 無理のない綺麗なメロディの、言葉が耳に残るキャッチーな曲で、メロディと言葉のマッチングも良く、本当によく出来たいい歌だ。明るくてやわらかい心地よい響きの歌声と、語るような歌唱で、情景が浮かび、言葉が沁みてくる。

 カップリングには、同じく、石原詢子 自身が作詞・作曲を手掛けたマイナー調フォーク風の『流れる雲に』を収録。サビの言葉とメロディが耳に残るいい歌だ。

 さらに、1994年のアルバム曲でありながら根強い人気だった曲を28年ぶりに新録音し、昨年、2022年に配信限定シングルとしてリリースされた『予感』も CD 初収録されている。川口 真 が作曲した美しいメロディが耳に残る歌謡曲バラードで、サビのやわらかく伸びやかな歌声が心地よく耳に残る。

 

 

<もくじ>

1 自身が作詞・作曲を手掛けた新曲『五島椿』 〜「やっぱり私ってこういう明るい曲が合うのかな…」
2 五島列島に行って書いた歌詞 〜「行ってみないことには嘘になっちゃうから…」〜
3 すぐに出来あがったメロディ 〜「"ザ・演歌" にはしたくなかったんです…」〜
4 カップリング曲『流れる雲に』『予感』 〜「いい歌っていうのは歌わないと駄目だな…」〜
5 自らがジャッジするレコーディング 〜「やっぱり、やりにくかったです…」〜

6 響きが明るいのにやわらかい歌声 〜「自分だけがそう思ってるんですかね…」〜
7 35周年、思い出深い出来事 〜「すごく私の中でつらいことは…」〜
8 歌手を目指して上京 〜「若いときってそれ平気だったんですよね…」〜
9 歌手デビュー 〜「生きていればいいことがあるな…」〜
10 今と、これから 〜「そういうこともやっていきたいなって…」〜

 

 

1 自身が作詞・作曲を手掛けた新曲『五島椿』 〜「やっぱり私ってこういう明るい曲が合うのかな…」〜

ーー 2023年5月24日に発売された、ソロ通算41作目となる最新シングル『五島椿』(作詞:いとう冨士子、作曲:いとう冨士子、編曲:若草 恵)は、「いとう冨士子」のペンネームで、石原詢子 自身が作詞・作曲を手掛けている。メジャー調、ミディアム・テンポの歌謡曲調で、石原詢子の真骨頂とも言える「しあわせ演歌」。無理のない綺麗なメロディの、言葉が耳に残るキャッチーな曲で、メロディと言葉のマッチングもいい。本当によく出来たいい歌だ。明るくてやわらかい心地よい響きの歌声と、語るような歌唱で、情景が浮かび、言葉が沁みてくる。曲調は違うが、永井龍雲 が提供した 2005年のシングル『あまやどり』(作詞・作曲:永井龍雲、編曲:矢野立美)のようなイメージもある。

石原: ありがとうございます。そうですね……、どっちかって言うと、ちょっとそっち(『あまやどり』)寄りっていう感じですよね。なんか、今回、メジャー(調)演歌と言うか「しあわせ演歌」っていうのが 10年ぶりなんですけど、ちょっと封印してたと言うか、あんまりそっち寄りに行きたくなくて、全然、違う方向に、いろんなジャンルをやってみたいっていうので、ちょっと、いろんな寄り道をしたりしてたんです。

石原: でも、ファンの方から「そろそろ "しあわせ演歌" を 聴きたいな」っていうお言葉をたくさんいただいてて……、それで、今年、ライブをしたときに、昼と夜を別にして、お昼は私のオリジナル曲ばっかりやったんですけど、久しぶりに、自分のメジャー(調)の「しあわせ演歌」を歌ってみたら、「あれっ、やっぱり私ってこういう明るい曲が合うのかな……」と、自分自身でもそう思ったのがきっかけなんです。それで、まあ、今回、「自分で作ってみないか?」っていうふうに耳を疑うようなことを言われて……(笑)。それで、「明るいメジャー(調)の "しあわせ演歌" を書いてみようかな」って思って書いたのが採用されたんです。

ーー 石原詢子は、これまでにも、2011年のシングル『逢いたい、今すぐあなたに…。』(作詞:いとう冨士子)、2012年のシングル『よりそい草』のカップリング曲『一途』(作詞・作曲:いとう冨士子)、2014年のシングル『濃尾恋歌』のカップリング曲『千年先まで…』(作詞:いとう冨士子)など、作詞や作曲を手がけているが、シングルの表題曲で、作詞・作曲の両方を手掛けたのは初めてだ。今回、どういう経緯で、自身で書くことになったのだろう?

石原: いや〜、私が聞きたいぐらいです……(笑)、本当に……。なんですかね……、まあ、偶然というか〜、必然だったのかもわかりませんけど……。

石原: あの、コロナ禍で、私自身の中でもちょっとくすぶっていたこともあったのと、たまたま思いつきだったのかもしれないんですが、ソニーの高木さん(ディレクター)の方から、「詢子さん書いてみます?」って言われたので、二つ返事で「えっ、やらせてくれるの? だったらやってみたい!」っていうので、ちょっと書きためていたものと、今回、新たに作ったものと合わせて(候補曲としてディレクターに)出したんですけど、最終的に、新しく書いた 2曲に決まったんです。私自身も、たとえば(候補曲を)5曲 出したとしても、「絶対、この歌になるな……」っていうのはもう、何となくわかってたんですけど……(笑)。

ーー 書きためていた 3曲と、新たに書いた 2曲の計5曲を出したところ、新しく書いた 2曲『五島椿』と『流れる雲に』が、シングルの 2曲として採用された。表題曲の『五島椿』は、無駄のない言葉で、ストレートにイメージが伝わる歌詞に、素直で耳に残るメロディと、まるで職業作家が書いたような見事ないい歌だ。言葉の揃え方や、耳に残るメロディのところに耳に残る言葉が乗せてあったりと、言葉とメロディのマッチングも完璧だ。

石原: あははは……(笑)、ありがとうございます。でも、結構、書き直しましたよ……(笑)はい。


2 五島列島に行って書いた歌詞 〜「行ってみないことには嘘になっちゃうから…」〜

ーー 新曲『五島椿』は、いわゆる詞先(メロディより先に歌詞を作ること)で作られた。

石原: はい、詞を先に書きました。というか、先にタイトルというか、「テーマはもうこれ!」って決めてたんです。「なぜ五島列島の五島の椿だったのか?」っていうのも、これも本当に偶然で……、あの、2年前に知り合った長崎出身の方が長崎の話をよくされていて、別に五島の出身じゃなくて大村の出身の方なんですけど、その中でも、とくに五島の話をよくされてたんです。「五島の椿っていうのがとても有名で、そっから油が取れたりとか、お茶が出たりとか、もう捨てるところがないんだよ……」とか、すごく語られる方で、それが、まず一つの目のきっかけだったんです。

石原: それで、そのあと、今度は、たまたま、五島出身の方と食事する機会があって、「なんで、こんなに五島の話ばっかり聞くのかな?」と……。で、テレビ見てたら(朝ドラの)『舞いあがれ!』も五島の話だったし……、なんか、それで気になっていて、ネットで五島列島のことを調べていくうちに、「やっぱり、これは "椿" だ!」と思ったのがきっかけです。

石原: それで、「五島の椿」をテーマに「しあわせ演歌」とするならば、そういう人たちと繋がってきた縁(えにし)っていうものをテーマにしようということで、「縁結びの花」という意味で「縁結花」(むすびばな)っていう造語を作って、サビは、もうそれに決めてあったんです。

ーー サビの「♪五島〜 椿は〜 むすび〜ば〜な〜」は、一度、聴いただけで覚えてしまうくらい耳に残る。そのあとの、毎コーラスのサビの最後も、「♪私の胸に咲く 恋の花」「♪心に凛と咲く 恋の花」「♪ふたりのために咲く 恋の花」と、うまく言葉が揃えられていて耳に残るし、サビの直前の張るところも、毎コーラス「♪生きてゆく」「♪そばにいる」「♪ついてゆく」と、うまく書かれている。無駄のない、見事な言葉選びで、まるで、職業作詞家が書いたような歌詞だ。

石原: あ〜、ありがとうございます……。でも、最初に出来たのは 1行目なんです……、「♪白い灯台 島の風」のところ。

ーー この「白い灯台」とは、長崎県五島市、福江島にある「大瀬埼灯台」のことだ。

石原: そうです、そうです。2月に五島に行って「大瀬埼灯台」も見て、そのあと、一気に書き上げたんです。もう、行ってみないことには嘘になっちゃうから……。

石原: 実は、20年前にも行ってるんですけど、たしか、そのときも、コバルトブルーのすごい綺麗な海で「なんか素朴で自然豊かなとこだな〜」っていう、素朴感がすごくイメージに残ってて、最初は、そのイメージで書くつもりだったんですけど、「いやいや、やっぱり行ってみなきゃ」って思って、2月の頭に 2泊3日で行ってきて、それでもう自分の中で、ワードだけを書き留めてきて……、やっぱり、大瀬埼灯台とか教会とかは、もう外せないなと……。ただ、「教会」って言葉は無理だったので、教会の読みを「ここ」に変えたんです。

ーー 作詞・作曲をするときのペンネーム「いとう冨士子」は、母親の名前だ。

石原: はい、そうです。「いとう」は漢字なんですけど、もうそのまま母の旧姓です。母が生きた証を何か形にしたいなっていうので、母の名前をそのままペンネームにしました。


3 すぐに出来あがったメロディ 〜「"ザ・演歌" にはしたくなかったんです…」〜

ーー 歌詞もさることながら、作曲でも非凡な才能を感じさせる。素直で、無理のない、しかも、耳に残るメロディは秀逸だ。曲は、ピアノで作っているのだろうか?

石原: あっ、ピアノは弾くってほどじゃないんですけど……。最初は、自分の口で「♪ラ〜ララ ララララ〜」って歌ったのを片手で弾いて、それを録音しておいて、知り合いの人に譜面に起こしてもらうっていう感じでやってもらいました。

ーー メロディはすぐに出来たと言う。

石原: 曲は早かったです。詞の方が苦労しました。あの、1番はできても、2番が……、やっぱり字数合わせが難しかったですね。やっぱその辺が素人なんだな〜っていう……。

ーー そうは言うが、よくできている。言葉とメロディーのマッチングもすごく良く、歌詞カード見なくても景色が見える。

石原: ありがとうございます。なんか、メジャー(調)演歌を作るにあたって、「ザ・メジャー演歌」っていうんじゃなくて、もっと、なんて言うんだろう……、まっ、フォークまでは行かないにしても……。

ーー たしかに、『五島椿』は、「演歌」と言うより、ポップス調の歌謡曲に近い。

石原: そうです、そうです、はい、長崎は異国情緒の雰囲気があるので、そういうふうにしたかったんです。

ーー メロディを作るにあたって、影響を受けたと意識している人はいるのだろうか?

石原: それは……、あんまりないですね……。やっぱり「似てしまわないように」っていうことは気をつけたりはしたんですけど、やっぱり、こう……流れですもんね。流れですので、「こうやって行っちゃうと、あの曲に似ちゃうな」っていうのが 1ヶ所ぐらいあって、そこだけ直しましたけど、それ以外はもう何か「流れ」でしたね。

ーー 『五島椿』は、アレンジもいい。シンプルながら、楽曲が自然と盛り上がるように作られている。メロディの裏にさりげなく入っているストリングスなど、意識しないとその存在を認識できないが、それほど自然で、気持ちよく歌を盛り上げている。『かもめはかもめ』(研ナオコ)、『サイレント・イヴ』(辛島美登里)、『for you…』(髙橋真梨子)、『哀愁のカサブランカ』(郷ひろみ)、『難破船』(中森明菜)、『ラヴ・イズ・オーヴァー』(欧陽菲菲)、『愛燦燦』(美空ひばり)、『すずめの涙』(桂銀淑)、『夜桜お七』(坂本冬美)、そして、石原詢子の『逢いたい、今すぐあなたに…。』などのアレンジを手掛けた、ドラマティックな編曲を得意とする名アレンジャー 若草 恵 によるものだ。

石原: そうです。(若草 恵)先生にも、私はその専門用語もわからないし、楽器の名前もよくわからないんですけど、ただ、島に行ったときに自分が感じたものを音にしてもらいたくって、何となくこのイメージで伝えたんです。

石原: 五島の椿って、島を守る、いわゆる防風林になってるんですよ。椿って「強い葉っぱの木」(強葉木=つばき)とも書くんですよね。それぐらい頑丈で折れないっていうことから、北海道で言うとポプラみたいな感じで、島を守るために防風林の代わりに植えるんですけど……、なんて言うか、島を守っているっていうので、「ちょっと力強い部分もイントロに欲しい」ってお願いしたんです。

石原: あとは、教会が多くって、やっぱりこの異国の香りがするので、「異国感を少し出してほしい」って言ったら、ポルトガルギターを入れてくださって、イントロの頭も「♪ダダダ〜ン」っていう、ちょっと「始めますよ」っていうような防風林じゃないですけど、風をシャットダウンするような、そういうのもニュアンス的に出してくださったので、もう私の想像をはるかに超える仕上がりで、聴いた時には「来たな!」と思いました……(笑)。

ーー こんなにいい歌が作れるのであれば、ぜひ、今後も、作詞・作曲を続けていってほしい。

石原: そうですね〜、許されるなら、続けていきたいと思います。

ーー 新曲が出たばかりで気の早い話だが、次のシングルも、自身が作詞・作曲した歌を期待してしまう。

石原: ありがとうございます。まあ、そうやって言ってもらえれば……、頑張ります、はい。

 

4 カップリング曲『流れる雲に』『予感』 〜「いい歌っていうのは歌わないと駄目だな…」〜

ーー 今回、カップリング曲として収録されている『流れる雲に』(作詞:いとう冨士子、作曲:いとう冨士子、編曲:若草 恵)も、同じく、石原詢子 自身が作詞・作曲を手掛けた。マイナー調、3フィンガー・ギターのフォーク風で、キャッチーないい歌だ。

石原: これは、アレンジのほうで、歌謡曲っぽくするかフォークっぽくするかで、すごく悩んだんです。でも「どちらも合わさったような感じにしてもらいたいな」っていうので、「フォークっぽくも、歌謡曲っぽくもない……、でも、演歌っぽくはしない」っていう……。やっぱり、「『ただそばにいてくれて』と『予感』があって、これがある」っていうような形を作りたかったので。

ーー この『流れる雲に』も詞先で作られた。

石原: はい、詞先です。ただ、この「♪ふわり ぽっかり 浮かぶ雲」っていうのは、「ふわり ぽっかり」っていう歌詞を頭に入れたかったので、メロディも「♪ターララ タラララ」って、もうそこはもう決まってたんです。で、次の「♪浮かぶ雲」というところも、「(メロディを)上げたいな」とか、そういうイメージで書いていきました。

ーー サビの「♪流れる雲に身をまかせ」が耳に残る。

石原: ありがとうございます。本当は、タイトルを『流れる雲に身をまかせ』ってしたかったんですけど、みんなに「それ……『時の流れに身をまかせ』に似てるからやめた方がいい」って言われて……(笑)、「いいのに〜っ」と思ったんですけど……(笑)……はい。

石原: あの……、私、幼い頃に、雲を見るのが大好きで、ランドセルしょって学校から帰ってるときに、リコーダーを吹きながら、ずっと雲を見てたので、そのときのイメージを、大人になったときに変えて作ったんですよね。雲を題材にしたかったんです。まあ、それが恋愛だとしたら「くっついたり離れたり」とか、夫婦だったりしても、そういう何か雲の形が変わっていくのと同じように時も変わっていくけど、「だけど、ずっと一緒にいる」っていう……。

ーー もう1曲、カップリング曲として収録されている『予感』は、もともと、1994年に発表されたアルバムに収録されていた曲で、当時、NHK『サンデー経済スコープ』のエンディング・テーマにもなっていた。根強い人気曲だったため、昨年、2022年に 28年ぶりにボーカルを新録音し、配信限定シングルとしてリリースされた曲で、今回、オリジナル・カラオケとあわせて CD 初収録となった。尾崎紀世彦「さよならをもう一度」、布施明「積木の部屋」、新沼謙治「嫁に来ないか」、由紀さおり「手紙」、弘田三枝子「人形の家」、金井克子「他人の関係」などを作った 川口 真 が作曲。美しいメロディが耳に残る歌謡曲バラードで、とくに、サビの「♪少女のような〜 あどけない心で〜」の部分が、やわらかく伸びやかな歌声で心地よく耳に残る。

石原: 前回、デジタル(配信限定)だけだったので、今回、CD に入れさせていただいているんですけど、これはホントにいい歌だと思います。すごく素敵な歌です。

石原: 私も本当に好きな歌で、ず〜っと「シングルにしよう」って言ってたんですけど、「もうアルバムの中の1曲として出してる曲だから、活動もできないし……」って言われてたんですけど、去年、「今のタイミングだったら出せます」って言われたので、「出しましょうよ!」っていうことで……、はい。

石原: これも、ライブで何十年ぶりに歌った時に「いい歌だね〜」って言われたから、「シングル化しようか」って話になっていったので、「やっぱりこういういい歌っていうのは歌わないと駄目だな」と思いましたね。

 

5 自らがジャッジするレコーディング 〜「やっぱり、やりにくかったです…」〜

ーー 以前のインタビューで、石原詢子は、レコーディングの前に、その歌を作りこんでいくことはしないと話していた。「歌の世界観を入念に作ってレコーディングに臨むと、技術で固められた歌になってしまう気がしてしまうため、レコーディング当日は、新鮮な気持ちで歌の世界観を伝えられるように」という考えでのことだ。作家が書いた曲を歌う場合には、歌録りのレコーディングの時、その作曲家が、歌い方の細かいアドバイスなどディレクションをしてくれる。しかし、今回、自分が作家でもあるため、そういう人はいない。

石原: そうですね……、やっぱり、やりにくかったです。「これでいいのかな?」っていう不安と言うか……、ここばっかりは、さすがに「歌手・石原詢子としてこれでいいのかな?」っていう……。作家でありながら、歌手でもあるので、ちょっと不安というか、「これでいいの?」っていうようなのは正直ありました。

ーー カバー曲と違って、オリジナル曲にはお手本がない。どう歌っても自由だが、逆に、正解がないから難しさもある。それでも、作曲家が書いたものであれば、作曲家が歌ったデモテープがあったりすることも少なくないため、その歌い方を、ある程度、指針にすることはできる。

ーー しかし、今回のシングルでは、作家のデモもなく、作家のディレクションもないから、全てを自分で決めて、自分で正解を作らなければならないから難しい。迷った時、ディレクターが方向を示してくれたとしても、最終的に決めるのは自分になる。

石原: はい、そうですね。ただやっぱり、自分の中で「こうやって盛り上げていく」っていう過程を自分で作って(作詞・作曲して)いるので、そこは、やっぱり、やりやすかったというか……。「ここはもうメイン」っていう形で気持ちをそこに持っていくための頭の詞だったりとかしますし、やっぱり、自分で肌で感じたものを書いてるから情景も浮かぶので……、すごくその辺は……、情景は浮かびやすかったんですが、「う〜ん、これでいいのかな……」っていうのはありました……(笑)。でも、レコーディングは、3〜4回(歌っただけ)で終わりましたね。

ーー 歌録りを 3〜4回 歌っただけで終われるというのは早い方だ。しかし、「もっといいものを……」と思って何度も何度も歌うと、綺麗に整った歌にはなっていくが、歌えば歌うほど、最初にあった魅力的な部分がなくなっていったりするものだ。だから、ホイットニー・ヒューストンや美空ひばりも、数回しか歌わなかったそうだ。

石原: はい、そうなんですよね〜。

ーー 新曲『五島椿』のミュージックビデオは、五島列島で撮影された。

石原: はい、先日、五島まで行って来ました。はい。本当は、その日はゴールデンウィーク前の私の休みだったので、五島に遊びに行こうと思っていたのに、「そこでプロモーションビデオを撮りましょう!」って言われて、「え〜っ、プライベートの時間なのに……」って……(笑)、2日間 取られたんです(笑)。

石原: でも、もうね〜、暴風雨だったんですよ〜、あははは……(笑)。「あれ使えるのかしら〜?」と思っちゃうんだけど。髪の毛がボーボーになってると思います……(笑)。撮影する日はもう風がすごくて、次の日は暴風雨で、それで、福江島だけじゃなくて新上五島の方まで行こうとしたんですけど、船の便が欠航しちゃったんですよね。南風だと欠航するらしいんですね。進まないんですって、船が。それで、ステンドグラスが有名なんで、その日は、室内で撮りました。

石原: 結局、(新上五島には)次の日に行ったんですけど……、新上五島の方に行ったことがなかったので、1日だけちょっと観光して、それも町役場の人が案内してくださって……。五島の歌を歌ってくれるっていうことで、すごく喜んでくださって、すごく島の人たちはみんな親切でした。



6 響きが明るいのにやわらかい歌声 〜「自分だけがそう思ってるんですかね…」〜

ーー 石原詢子がユニーク(唯一)であるのは、歌声の響きが明るいということに加えて、同時に、響きが「とてもやわらかい」ということだ。なかなかこの 2つは両立しないものだが、石原詢子の場合、語るように歌うところはもちろん、張って歌うところでも、その響きの豊かさで、言葉がクリアでヌケがいいのに、ビロードのように滑らかで、やわらかく、やさしい。なかなかそんな歌声の歌手はいない。

ーー 新曲『五島椿』でも、出だしから、笑顔で歌っている顔が浮かぶような明るい声で。言葉が伝わってきて、景色が浮かんでくる。さらに、自分で歌詞を書いてるから思い入れがあるはずなのに、歌に感情を入れすぎていないところが見事だ。だからこそ、伝わってくる。歌に感情をあまりに込められると、おしつけがましくなったり、聴く方の感情が入る余地がなくなるものだ。

石原: ああ〜、はい。あの……、曲調っていうか、その流れに、それこそ身を任せてる感じですね。それが、やっぱり、メジャー(調の曲の)の良いところでもあり難しいところでもあると思うんですけど、一見、聴くと、「メジャー(調)演歌」って、すごく簡単そうに聴こえるんですけど、いざ歌うとなると、ものすごく難しかったりするんですね。そういうのを払拭したいなっていうのも自分の中でもあるので、「リキまず、流れに任せて」っていう感じで歌いました。

石原: で、今回、悩んだのが、キーですね……。「半音上げるか……」っていうのを、すっごい悩みました。結果的には、みんなの意見も取り入れつつ、いつもだったら半音上げるのに、上げなくて、下げた状態のままにしました。だから、リキんでないんだと思います……、張らずに……。私からすると物足りないんですけどね。

石原: やっぱり、(サビの頭の)「♪五島〜」ってところも、自分の一番気持ちいいとこでやりたいんですけど、でも、そうしてしまうと、今までの曲とあまり変わらなくなるから、「下げた音にしましょう」という……、微妙なとこでした。

ーー 言葉がクリアでヌケがよく、かつ、やわらかいのは、小さい頃から、詩吟をやっていたからだろうか?

石原: いや……、どっちかって言うと、詩吟はキンキンする方なんですよね。だから、キンキンさせないようにする努力は結構しました。やっぱり、若いときの曲っていうと、やっぱり張ると「キンキンする〜」っていうのが目立ってたんですけど、やっぱり、なんて言うか、年齢とともにカドが取れてるんですかね……(笑)。

ーー そうは言うが、張ったところも、チカラでなく響きで歌っているから、やわらかいし、聴く方もチカラが入らず心地よく聴ける。たとえば、『みれん酒』のサビの「♪なみだも 枯れた〜」の張っているところも、キンキンなどしていないし、むしろ、やわらかく聴こえる。

石原: あ〜、そうですか〜? へえ〜、やっぱり「メジャー(調)演歌」だからですかね……。『夕霧海峡』とか聴いてると、やっぱ「キンキンするな〜」って思いますけど……、私だけが思ってるんですかね? すごい高いし、「わざわざ、こんなに高くしなくてもいいのに」って思いましたね。

ーー 『夕霧海峡』でも、そんなエッジが立ったような硬い感じは、聴いている方としては全く感じない。

石原: え〜っ、自分だけがそう思ってるんですかね……。やっぱり、他の方が聴いてくださるのと、私が思ってるのとは、若干、違ったりするのかもしれませんね〜。

 

7 35周年、思い出深い出来事 〜「すごく私の中でつらいことは…」〜

ーー 1988年、アイドル歌手のようなビジュアルながら演歌を歌う「元祖・演ドル」(演歌のアイドル)として、シングル『ホレました』でデビューした石原詢子。今年、2023年は35周年を迎えている。35年も歌手をやっていれば、いろんなことがあっただろうとは思うが、あえて、これまでの歌手人生で最も思い出深かった出来事を聞いてみた。

石原: そうですね〜……、う〜ん……、やっぱり、紅白に出た時はうれしかったですね〜。前の年に「出れるかもしれない」って結構言われてて、でも駄目だったので、あまりにもショックが大きかったんですけど、まあ、その分、次の年に決まったときは、喜びもまた倍でしたし……。でも、夢のようなあのステージで歌えるっていうことが、すごく幸せだったことの反面、やっぱり、両親がその前に亡くなってしまっていたので、すごく私の中でつらいことは、もうそれ以外にはないですね。

ーー 紅白初出場は、最も嬉しい出来事でもある反面、その姿を両親を見せることが出来なかったというつらさもあった。

石原: まあ、振り返ってみると、あのとき、なんか「(歌手を)もうやめようと思ってたな……」とかって……。やっぱり、なかなかうだつが上がらない、やってもやっても空回りばっかりしてるときも、デビュー当初ありましたし、でも、何かそういう、ちょっと「嫌だな〜」「やめようかな〜」って思っていると、何となくいい仕事が入り込んできたりとか、テレビで作詩大賞に選ばれる(『三日月情話』)とかっていうのが来て、「う〜ん……、もうちょっと頑張れるかな……」「あ、なんか、もうちょっといけるかな……」っていう繰り返しでしたね。

ーー 1988年にデビューしたものの、最初のころは、思うようには売れなかった。毎回、「もうダメかもしれない、やっていけないかもしれない……」と思っていたと言う。それが、1994年、7枚目のシングル『三日月情話』で、第27回 日本作詩大賞の優秀作品賞を受賞したころから、徐々に風向きが変わっていった。翌 1995年には、続く 8枚目のシングル『夕霧海峡』がヒット。そして、1999年、12枚目のシングル『みれん酒』がロングセールスとなり、翌 2000年に NHK紅白歌合戦に初出場、2003年にも、17枚目のシングル『ふたり傘』で NHK紅白歌合戦に出場している。

ーー 1995年の8枚目のシングル『夕霧海峡』は、「この歌がダメだったたら潔く諦めよう」と思っていた曲だ。しかも、8月2日の発売日の1週間前に母親が亡くなり、発売日の 1週間後には父親が亡くなるという激動とも言える時期だった。

石原: はい、そうです……。それまで、「もうここまでかな……」と、「もうこれ以上やってももう駄目かもしれないな……」って……。次から次へと新人の子も出てくるし、なんかいつも指をくわえて見てるような状態だったので、引き際も肝心かなと……、親も言うし……。それに、お母さんもあんまり体調よくないし「(田舎に)帰ろうかな……」と思うと、そういういい仕事が入ってきて、また続けていっての繰り返しで……。

石原: で、親が死んじゃったから、「もうここしかない」っていうので、両親のいない故郷には「もう帰れる場所はないんだ」と……、あらためて「この曲で頑張るしかない」と自分自身を奮い立たせました。それまでは、キャンペーンの後で即売をする時も、以前は遠巻きに見てくれていた方々が、徐々に近くに集まってくださったり、人数がどんどん増えていった時に、「たくさんの方にこの曲を届けられているな」って実感できて嬉しかったですね。

石原:『夕霧海峡』の発売後は、お休みもないくらい毎日キャンペーンで全国を回る日々でした。忙しかったことで淋しさを紛らわすこともできましたし、もうね、すがりつくような、もう食らいついて離れないぐらいの気持ちでやってきましたけど……。そのときは、なんかつらかったと思うんですが、今振り返ると全然、あれもまた楽しかったんだろうな〜って思います。

 

8 歌手を目指して上京 〜「若いときってそれ平気だったんですよね…」〜

ーー 岐阜県揖斐郡池田町に生まれた石原詢子は、父親が詩吟の家元だったため、4歳のころより詩吟を習い、12歳で師範代にもなっている。父のことが大好きで、厳しいお稽古に「辛いなぁ」と感じたこともあったようだが、詩吟は「歌手・石原詢子」にとっての土台となっていると言う。そして、小学生の時、テレビで『津軽海峡冬景色』を歌う 石川さゆり を見たことがきっかけで「演歌歌手になりたい」「石川さゆりになりたい」と思った。

石原: そうです。あの当時は、ベストテン番組にしても、アイドルも演歌も何も全部一緒だったじゃないですか。だから、全然、違和感も何もなかったんですけど、アイドル全盛の頃にも関わらず、やっぱり(石川)さゆりさんの歌声に気持ちが入っていったっていうのは、やっぱり詩吟をやってたっていう影響も大きいと思うんですけど、やっぱり好きだったんですよね……、演歌がね。

石原: あと、『氷雨』は、すごく好きでしたね……、はい。もう、やっぱり、ベストテン番組でも、ずっと上位に長くいらっしゃったので、やっぱ自然に耳に入ってきて……。あの頃、やっぱり、『さざんかの宿』とか『みちのくひとり旅』とかは、もう体に染みついてますよね。島倉(千代子)さんとか(美空)ひばりさんとかになると、やっぱり、全然もう雲の上の人だったので、演歌歌手になりたいと思うようになってから聴くようになった感じですよね。

ーー 当時、演歌以外でも、キャンディーズ、ピンクレディー、沢田研二、高田みづえ、松山千春、中島みゆき、浜田省吾 らも好きだったと言う。だが、初めて人前で歌ったのは、やはり演歌だった。

石原: あ〜、一番最初に、お客さん……というか、詩吟の教室の発表会のアトラクション……、みんなカラオケをやったりとかするときに、初めてみんなの前で歌ったのは『岸壁の母』だったんです。それが、唯一、父親が教えてくれた歌で、それを人の前で初めて歌ったんです。セリフ入りでやってたみたいですよ……(笑)、あんまり覚えてないですけど。意味も全くわからないで歌ってましたね……(笑)。

ーー しかし、歌手を目指すことに、父親は大反対した。その反対を押し切り、「2年間やってダメだったら帰る」という父との約束のもと、高校を卒業すると同時に歌手を目指して岐阜県から上京した。新聞販売店に住み込みで新聞配達をしながら、午前中はうどん屋で働き、午後からは歌や芝居のレッスン、その合間を縫ってコンビニ、居酒屋、レンタルビデオ店など、アルバイトを掛け持ちしていた。

石原: はい、してました。夕刊は配達ができなかったので、朝刊だけやってたんですけど、レッスンが夕方以降だったりとかしたので、その間 3時間あいたりとかする時間に自分でシフトを考えて、バイトをいろんなの掛け持ちでやってました。レンタルビデオ店とか……、そうですね、でも、居酒屋の方がお金がいいってことがわかって……(笑)、でも、夜だと(次の日の)朝刊があるので、だから、レッスンが終わったあと 9時くらいからやって、12時の終電で帰れるように働いてました。

ーー 新聞配達の仕事だけでも大変なのに、そんなハードな生活で、さぞつらかっただろうと思う。

石原: そうですね〜、朝が弱かったので、起きるのが一番つらかった……、寒いのと(笑)。雨もイヤしたけど、雪の日はもう本当に……、しもやけできてましたしね。今ね、しもやけなんて作ってる人いるのかしらって思いますけど……(笑)。

ーー いつ寝ていたのだろう?

石原: 寝ないです。12時過ぎに帰って、3時半に起きて朝刊を配って、それでまたすぐバイト行ってました。コンビニとかうどん屋さんとかやってましたね〜。移動中とか寝てましたね、電車も立ちながら寝てましたもん……(笑)、若いときってそれ平気だったんですよね。

 

9 歌手デビュー 〜「生きていればいいことがあるな…」〜

ーー そんなハードな生活をしていた中、チャンスは、わりとすぐにやってきた。歌のレッスンの時に、CBSソニー(原 ソニーミュージック)のプロデューサーに声をかけられ、「一度スタジオで歌ってみないか?」と言われた。

石原: 上京して 1年ちょっと……、1年2ヶ月くらいだった気がしますね。

ーー スタジオには、CBSソニー(原 ソニーミュージック)のディレクターと、のちに最初の所属事務所となるスリースタープロの専務が見に来ていた。

石原: その時は、『演歌みち』(松原のぶえ)と『浮草ぐらし』(都はるみ)、それと『津軽海峡冬景色』(石川さゆり)を緊張しながら歌いました。手応えは、なかったですね〜。「多分、駄目だろうな」って……。ソニーって聞いた時、「ハマショー(浜田省吾)と同じ〜? 百恵ちゃん(山口百恵)と同じ〜?」って思って、そのソニーから選ばれるわけないと思ったので……。

石原: でも、そしたら、3日後ぐらいに、「またスタジオに来て」って言われて、そのときにもうスリースタープロ(前所属事務所)の専務さんと、ソニーの偉い人たちと会って……、お化粧も何もしてない状態で、「お化粧ぐらいしてこいよ」とかって言われたんですけど……(笑)、「化粧道具なんか持ってません」っていう感じでしたけど、その場で、事務所とレコード会社に所属できることが決まりました。

ーー そうして、トントン拍子でデビューが決まり、上京して 2年足らずの 1988年に、ポップス演歌の『ホレました』で CBSソニー(現.ソニーミュージック)から歌手デビューした。

石原: その「歌を聴いてみたい」って言われてスタジオに行ってからデビューするまでは、もうあっという間でした。そこから早かったですね。それから 1年は経ってないですね、10ヶ月くらい……。すぐにプロダクションも……、チェッカーズさんのいる会社(前所属事務所のスリースタープロ)が演歌部門を作るっていうことで……、もう、あっという間でした。曲も決まって、もうレコーディングしてって感じでしたね。

ーー デビューが決まると、歌手になることを猛反対していた父親にも「よく頑張ったな」と褒められ、「これからがもっと大変だぞ、初心を忘れないで謙虚に頑張りなさい」と、その後は応援してくれるようになった。

石原: はい、あんなに反対していた父のそんな言葉に驚きました。

ーー 演歌歌手の多くは、作曲家の弟子だったりするが、石原詢子の場合、デビュー当時は、とくに、特定の作家の弟子ではなかったため、作家に縛られることなく、自由にいろんな作家の作品を歌うことができた。のちに、市川昭介や、二葉百合子に師事するようになった。

石原: 二葉(百合子)先生のところは……、もう 16年目に入ったころですかね……。それは、(坂本)冬美さんが「(二葉百合子)先生に相談してみたら?」っていうふうに言ってくださって、たまたま、東北で(二葉百合子)先生とご一緒する機会があったときに、そのお話をしたら、「じゃあ、うちにいらっしゃい」っていうふうに声かけてくださったので……、それからですね、はい。

ーー 初めて人前で歌った『岩壁の母』の二葉百合子だ。

石原: そうです、そうです。巡り巡って「まさか!」って思いましたね、自分でも……。先生にも、その話をしたら「縁だねぇ〜」っておっしゃってました。

ーー そして、2021年には、「歌手になりたい」と思ったきっかけとなった 石川さゆり と、テレビ番組『人生、歌がある』(BS朝日)で共演し、石川さゆり本人を前に『津軽海峡冬景色』を歌った。それまで、現場で一緒になることはあっても、本人の目の前で『津軽海峡冬景色』を歌うなどということはなかった。

石原: なかったです……。『人生、歌がある』では、一番最初は、さゆりさんのトリビュートコーナーで、さゆりさんが横で聴いているという状況で歌わせていただいたんですけど、さゆりさんも、途中から一緒に歌ってくださって、もう心臓がバックバックしちゃって、「生きていればいいことがあるな」とかって思いました。

石原: で、そのあと、『新・BS日本のうた』(2022年、NHK BSプレミアム)で、今度は、さゆりさんと一緒に『津軽海峡冬景色』 を歌わせていただいて……、もうマックスでしたね、喜びも緊張も……、足が震えてました。

 

10 今と、これから 〜「そういうこともやっていきたいなって…」〜

ーー 最近、楽しみとして聴いている音楽を聞いた。

石原: あの……、私、カントリーが好きなので、カントリーミュージックを聴くと幸せな気持ちになります……(笑)。アラン・ジャクソンが大好きで……、まあ、カントリーというよりアラン・ジャクソンが好きで、もうコンサートもわざわざアメリカまで行ってます。

石原: ニューヨーク州って言われたので、「ニューヨークなら直行便もあるし……」って思ってたら、と〜んでもなくて、そっから乗り換えて、車で 3時間くら行ったなんにもない野っ原に特設ステージを作ってて、そこでカントリー・フェスティバルっていうのをやってたんです。すごかったですね〜。で、彼がたまたまソニーに移籍されて、ニューヨーク支社の人にお願いしてもらって、会いに行ったんです……(笑)。

石原: 会わせてもらえるっていうので、もう英語を一生懸命覚えて、もう言うことも全部丸暗記して行ったんですけど、身長が 2メートルぐらいあるんですけど、見た瞬間、もう真っ白になっちゃって……(笑)、「ファン心理ってこういうことなんだ……」と思って、結局、なんにも喋れませんでした……(笑)。でも、嬉しかったですね。もう15年くらいたちますけど、一生、心に残る旅でした。

石原: あと、ほかに聴いてるのは……、やっぱりハマショー(浜田省吾)とか……。きのう、映画館にも行ってきました(浜田省吾の1988年の野外ライブ映画「A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988」)。だけど、「誰も立たないし、誰も手を上げない〜!」って思いながら……(笑)。劇場によってあるんですよね、「拳突き上げ上映会」とか……、それに行きたい……(笑)。

石原: あと、車の中では、中島みゆきさんとか、松山千春さんの歌とか……、やっぱりフォークが圧倒的に多いですね。YouTube とか Bluetooth で飛ばすときも「70年代のメドレー」とかにして聴いてます。

ーー 2018年には、「50歳になったら揖水流を復活させて欲しい」という生前の父親との約束を果たし、詩吟「揖水流 詢風会」(いすいりゅう じゅんぷうかい) を復活させ、家元となり、現在、大阪・東京で詩吟教室を開講している。

石原: そうですね、コロナの間はリモートとかもやってましたけど……、大変ですけど、楽しいですよ。まあ、半分ぐらいの人がファンの人なんですけど……(笑)、でも、やっぱり、本当にこの詩吟に関わりたいなっていう人が残っていくような感じになっていくので、皆さん一生懸命頑やっていらっしゃる姿を見ると、自分とも置き換えて、「もっと自分の仕事も頑張らなきゃな」っていうふうに思いますね。

ーー 「初心者クラス」から、健康を維持する目的の「趣味・健康クラス」、技術と能力を高める「上達クラス」、将来的に師範を目標とする「育成クラス」、そして、コロナ禍で新設された「リモートクラス」がある。

石原: はい。みなさん、とても上手にやってきてます。それで、ようやく今年「初吟会」がやれたんです(2023年2月17日に東京、3月6日に大阪)。それで、今度は、昇段試験がようやくやれるようになったので……、もう5年になるので、昇段試験をして段を作っていって、「育成クラス」の人には師範代を目指してもらいたいなと。

ーー 今後、やってみたいことを聞いた。

石原: ああ……、そうですね〜、ひとつは、前回はデジタル(配信限定)のリリースだったんですけど、CD化して新曲を発売するのは久しぶりで、やっぱり、この CD を皆さんの手に持っていただくっていう活動も久しぶりなので、やっぱりそこを今中心にやっていきつつも、その作詞・作曲の活動も続けて、これっきりではなくやっていきたいです。

石原: それと、ここ 2年ぐらい続けているライブハウスでの活動、やっぱりカバーのライブを続けていきたいなと思いますね。私が影響を受けてきた曲ってすごくあるので、そういった歌を残していく継承者のひとりとして、やっていきたいなって……、うん。

石原: あと、いろんな人とコラボしたいですね。全然、違うジャンルの人と一緒にコラボライブしたりとか、曲を作ってみたりとか、そういうこともやっていきたいなって思います。

 

(取材日:2023年5月9日 / 取材・文:西山 寧)

 
 
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