―― お三方はプライベートでもよく会うそうですが、たくさんの作詞家の方々が定期的に集まるような機会ってあるんですか?
hotaru それが実は意外とないんですよね。よく作曲家同士とかミュージシャン同士とかは飲んだりしているんですけど、何故か作詞家同士っていうのはほとんどないです。多分、上の世代は上の世代であったと思うんですけど、僕ら世代はあんまりないというか。
RUCCA 僕ら3人も知り合ったのは、それぞれ共通の知人の作曲家に紹介してもらったことがきっかけだもんね。でも今の時代はSNSがあるので、Twitterのフォローだけはしていて、会ったことはないけど存在はずっと知っているという状態でした。実際に会う前は、名前だけで勝手にhotaru君に女性的なイメージを持っていたんだよね。
hotaru そうそう、僕はずっと女性説があったんですよ。そこまで顔も出してなかったから、1年前くらいまでずっと「hotaruさんって男なんだ!」って言われてました。
渡辺翔 作詞家は中性的な名前の方がやりやすいってよく言いますよね。女性名義で別のペンネームを持っている方も結構いたりするので。やっぱり聴く人に「こんな優しい歌詞を男が書いていたんか」って思われたくない気持ちもあるのかな。
hotaru リスナー的に本当に「これ男が書いたのか!」ってマイナスな影響があるのかはわからないですけどね。でも気にする人は気にするし、ディレクターさんにも女性的な名前の方が良いかもって言われたんですよ。RUCCAさんは?
RUCCA 僕も似たような理由でこの名前をつけましたね。初めてやった仕事が『ダ・カーポII』っていう恋愛アドベンチャーゲームだったから、いかにも男性的な“溝口貴紀”という漢字のフルネームはあんまり…って話に当時なりまして。それで中性的なRUCCAというペンネームにしました。
hotaru 上の世代だと、畑亜貴さん、こだまさおりさん、大森祥子さん、森由里子さん、松本隆さん、秋元康さん、松井五郎さんなど、わりとみなさん全員、本名っぽいですよね。いかにもペンネーム的なローマ字表記の名前を使っているのは、もしかしたら僕ら世代から下なのかもしれないですね。
渡辺翔 そういえばずっと思ってたのですが、作詞家の女性は美人が多い。
hotaru たしかに!作詞家の女性は【魔女】っぽいって言われたりしますね。オシャレなだけじゃなくて、独特でセレブリティーな雰囲気があるというか。
渡辺翔 ね。なんとなく、コンプレックスがあったり、日々が満ち足りてなかったり…って方のほうが良い歌詞が書けそうなイメージあるじゃないですか。
hotaru 逆に美人で自信がある女性のほうが、力強くてカッコいい女性像を描けるから、作詞家として残って活躍していくのかもしれないですね。僕は“可愛い女性像”っていうのはなんとか技術で書けるようになったと思うんですけど、まだ“カッコいい女性像”は書きにくいんですよ。たとえば、只野菜摘さんが書く女性像ってすごくカッコいいんですけど…。
渡辺翔 わかる。男が書くとその像って薄くなりがちだよね。
hotaru そうなんですよ。ステレオタイプな真実味がない感じになっちゃう。どちらかというと失恋とか、好きな男の子に声をかけることができないとか、女々しい歌詞のほうが男性の作詞家は得意な気がする。経験あるから気持ちもわかるしね。そもそも詞を書く男ってナイーブな一面があるんじゃないですかね。松本隆さんとか松井五郎さんもそういうイメージがあります。
―― ちなみに、作詞家の方はどれくらい自分の実体験を歌詞に入れるものなのでしょうか。
渡辺翔 恋愛系なら入れる時もありますね。僕の歌詞はよく“女々しい”って言われるんですけど、理由は多分、それが実体験をもとにしているからだと思っていて。あと、基本的に僕が出すのは作曲コンペで、歌詞は求められてないから、そういうときにこそ自分のことを書いたりするんですね。でも、そのパーソナルな部分を書いた曲のほうが、そのまま歌詞も採用されたりすることが多いので、実体験って強いんだろうなって思います。
RUCCA そうかぁ。僕はほとんどフィクションで作っているかもなぁ。というより、失恋とか後ろ向きなラブソングをほとんど書いてないかもしれない。弱い主人公は書くけど、忘れられない系の曲はないような気がする。
渡辺翔 恋愛じゃないにしても、実体験を入れることってない?なんか過去の嫌な経験とか。
RUCCA あ~、嫌な経験かぁ。それなら…たとえば僕は、すげぇ親父と仲が悪かったんですよ。
hotaru この質問、結構エグりますね。
RUCCA 親と関係が悪いっていうのは、中学生くらいの自分にとってすごく未来に閉塞感があるわけじゃないですか。そういう気持ちは身に覚えがあるので、たとえフィクションで書いても、同情だと思われるようなテイストにはならないですね。だから実はそういう暗いのは得意なんですけど、まぁ暗い楽曲の依頼ってあまり来ませんね(笑)。
渡辺翔 そういえば前に僕らともう一人、作詞家4人で呑んだときに家の話をしたら、わりとみんな家庭環境が良くなかったんだよね…(笑)。もしかしたらこれが作詞家になるための条件なんじゃないか?(笑)って思うくらいに、あまり明るくない話が4人分あったんですよ。僕もやっぱり学生時代は良くなかった。話すと「すげー大変だね」って言われたりします。
hotaru 意外とみんなそれぞれの闇を抱えているんだなって。
RUCCA でももちろん、そのまま引きずっている人はきっと作詞家にはなっていなくて、何かしらみんな書くことで消化しているんですよね。そういう家庭環境だったからこそ書けるものがあるんだと思います。
hotaru 僕はどの曲にも絶対、多かれ少なかれ実感が反映されているんですけど、まさにRUCCAさんの言うとおり、上手くいかなかった気持ちを書くことで埋め合わせている感じがありますね。だから恋愛も反映します。一回失恋したら何曲分かのネタが生まれる感じ。
渡辺翔 ただ、作詞家を目指している方の詩を読むと実体験を入れすぎて痛いだけの歌詞になっちゃっている人も意外と多くないですか? hotaruくんはどうやってバランスを取っているの?
hotaru そこはまず何より先に仕事がありますね。だから、たとえ自分が失恋して“これ書きたい”って思っていても、失恋というテーマが振られてこない限りは、実体験を掘り起こすことはない。合うテーマが来たときだけ、テーマから逸れないように実感の込もったフレーズで強くするイメージです。そこのバランスが取れるようになってきたから、仕事になったのかもしれないです。最初の頃はそれができなくて、自分の好きなものばっかり書いて、コンペに落ちての繰り返しだったので。テーマに沿ってないのに「絶対これ俺のほうが良い歌詞じゃん」って思っているみたいな。求められるものと、自分の書きたいもののすり合わせができるようになってきたのが20代半ばとか、それくらいからでしたね。
RUCCA 最初の頃って客観性とかまだ備わってないしね。いっぱい仕事を経験して出したから、ちゃんとフィードバックがあって、育ったんだと思うよ。
hotaru そうですね。めちゃくちゃ失敗もしたし、期待に答えられなくて依頼が別の作詞家にいっちゃったとかもあったし、そういう悔しさを積み重ねながら自分はやってきました。だからこそ、今は自分が書きたいものにちょうど合うテーマが来ると「よっしゃ!」って気持ちになりますね(笑)。そういうときの歌詞はディレクターにもとくに「良いっすねぇ」って言ってもらえるんです。
渡辺翔 作詞家になりたい人って、そこを目指したいって気持ちは強いと思う。身近な誰かに届けたいから、作詞家になりたいって気持ち。
RUCCA 入口はそうだよね。メジャーな曲を通して、特定の人にちょっと「このやろう!」って言いたいとか。みんなが聴いているこの曲でぶつけたい、みたいな。そうじゃないとわざわざ詞なんて書こうと思わないですよ(笑)。それで世の中に認められていくにつれて「見返してやりたい」とかって気持ちが、違うものに変わっていくんでしょうね。
hotaru だから動機としては、作詞家もアーティストと近い人が多いんじゃないですかね。誰かに何か伝えたいことがあった。そこから入って、徐々に“作詞家”としてのスキルを磨いていくんだと思います。作詞家は与えられたテーマをいかにリアリティのあるもの、説得力のあるフレーズにして、提供したアーティストや作品を魅せるかということが第一なので。そのときに実体験は、想像を補強してくれる武器になると思います。