誰かを置いてきぼりにしないように。

―― またこの歌詞は、設定を縛りすぎてないと言いますか、たとえば“産んでくれてありがとう”というようなフレーズが使われていません。世の中には、いろんな母の形があって“産みの母=母”ではなかったりもしますので、そういう意味でも“広くて優しい”歌詞ですね。

なんか…たとえば「サクラ~卒業できなかった君へ~」という卒業ソングを書くときもそうだったんですけど、まず“卒業って誰もができているわけじゃない”って考えたんですね。「卒業おめでとう!」という新たな旅立ちの歌はたくさんあるんですけど、一方で卒業できなかった子が取り残されていたりとか。そういう現状を、サイン会だったりお手紙だったりで教えていただいていたのもありましたし、私の身近にもそういう子がいましたし。私は、そういう方たちにこそ曲を届けたいという想いが強くて、それが自分の歌の在り方だと思っているんですね。

だから「母へ」の歌詞を書くときも、どこか頭の片隅にいろんな方の想いがあったのかもしれません。これは私の母への歌だけれども、もうお母さんが亡くなっていて直接想いを伝えられない方とか、お母さんが生きていらっしゃっても、心が離れている方とか。こう…誰かを置いてきぼりにしないようにという気持ちは、無意識のうちに歌詞に表れているような気がしますね。

あなたほど立派な人はいない
昼夜問わず働いて それでもいつも笑っていた
自分のことで涙を見せない
そんなあなたを 何度も泣かせてごめんね
母へ」/半崎美子

―― 今のお話を聞くと、歌詞に綴られているのが“ありがとう”ではなくて<ごめんね>であるところにも広さを感じました。

そう、そうなんです。もちろん自分にとって“ありがとう”は大前提としてあるし、この<ごめんね>には“ありがとう”も含まれていると思うんですよ。でも、やっぱり悔いもすごくあって。そういう方も多いんじゃないかなって。実際、自分が38年間生きてきたなかのいろんなことを振り返って、今頃わかったことやその重みを感じてみたら、歌詞がブワッと出てきたとき<ごめんね>のほうが先だったんですよね。

正直、実家にいたとき“母の涙”というと悲しませてしまった印象しかなくて。たとえば、あんまり大きな声で言えることでもないですけど、子どもの頃に私が悪さをして、母がご近所に謝りに行ったりとか、学校の先生に呼び出されたりとか、そういうこともありましたし(笑)。父や母に思いっきり反抗して、すごく傷つくような言葉を投げてしまったこともありましたし。だからうれし涙なんて見たことがなかったんですよ。

だけど、今こうしてメジャーデビューして音楽活動をしているなかで、喜ばしいことがあったとき「よかったねぇ…」って母が涙しているのを見て、あぁやっとこういう涙を見ることができたなって。そういう私自身の今の嬉しさと、過去の母の涙に対する後悔も混じっているのが<そんなあなたを 何度も泣かせてごめんね>というフレーズですね。

―― 美子さんが音楽活動をなさるときも、かなり心配されたのではないでしょうか。

photo_01です。

すっごく心配していましたね。とくに父が猛反対していたこともあって、大学を中退して音楽活動をするために出て行くときは、ほぼ家出同然で。父とは当時、疎遠状態になりました。母は応援して、連絡をくれていましたけど、やっぱり「お父さんも心配しているよ」って言っていました。本当に迷惑も心配もたくさんかけたと思います。

私は、パン屋さんに住み込みで働きながら音楽活動をしていたんですけど、母は店長さんとかにも挨拶に来てくれたんです。北海道から、小さい体でメロン6個とラーメン6箱を抱えて、バスのステップを上がるのに苦労しながら。ある日、パン屋さんの仕事の休憩に入るために2階に上がったら、もう母は帰っていたんですけど、私の大好きなエビドリアと手紙が置いてあって、もう…大号泣したのを覚えています。

―― めちゃくちゃ素敵なお母さんであることが、ひしひしと伝わってきます。そんなお母さんの性格や生き方が、美子さんにも繋がっているなと思う面はありますか?

結構たくさんありますねぇ。一途にものごとに取り組む姿勢とか。私は子どもの頃、わりと飽き性だったんですよ。でも、母の仕事や子育てに対する真面目で一生懸命な姿を見てきたからか、今の自分には母の真っ直ぐさがリンクします。あとは、自分の意志を絶対に曲げない頑固なところもそうですね。母は「すべてを敵に回してでも、子供を守る」みたいなひとで、そうやって自分の信念を決して疑わないところは、私も同じです。

あなたほど強い人はいない
言葉でなく生き方で 全てを教えてくれた
自分ばかりでまわりが見えない
こんな私を いつでも守ってくれたね
母へ」/半崎美子

―― <言葉でなく生き方で 全てを教えてくれた>というフレーズもありますが、逆にお母さんの“言葉”で印象的なものというと…?

今、パッと思い浮かんだのは「気にするんじゃない!」ですかね(笑)。それは結構、言っていました。たとえば私が誰かから何か言われて、落ち込んでいたりすると「気にするんじゃない!」って。こう…言葉でも常にどっしりと構えてくれていたなぁと思います。

―― ちなみに、ニューシングルのカップリング「歓びのうた」は“母目線の歌”でもあり、この「母へ」と対になっているのがまた素敵です。

そうなんです!「母へ」というタイトルのこの作品に、絶対「歓びのうた」を入れたかったんです!根底にあるのは同じ想いなので。あとは、生まれてくる命の等しさとか尊さとか愛おしさが伝わればいいな、命の誕生を喜ぶ世界であってほしいな、という願いも込めましたね。

―― そして、もう1曲のカップリング「心の活路」に綴られている<誰かのためこの路を引き返せるだろうか あなたは迷いもせず戻るだろう>というフレーズの<あなた>は“母”にも“子”にも当てはまる気がしました。

そこ気づいてもらえてすごく嬉しいです。サイン会には結構、お母さんの介護で大変な方とかも来てくださるんですね。あと病院や養護施設で歌っていく中でも、自分の子供や親に今を捧げている方にもたくさん出会います。だけどその方達の姿勢に、私は心を動かされて。大切なひとのために生きることが、自分の喜びであるような。その関係の尊さが、ずっと胸の内にあったからこそ「心の活路」を作ったとき、いろんなひとたちの顔が浮かんで、このフレーズが出てきたんです。

―― 現在、ニューシングル「母へ」発売記念企画として“みんなでつくろう『お母さんに贈るうた』キャンペーン”もなさっていますが、たくさんの“お母さんとの思い出エピソード”が届いているそうですね…!

はい、すっごいたくさんご投稿いただいて。すべての投稿を読ませていただいているんですけど、もうね…みなさんの言葉があまりに愛に溢れていて、本当にそれぞれのお母さんとの歴史が凝縮されていて、泣きながら曲を書きました。まず、ああいう形で想いを文字にして送ってくださったこともすごくありがたかったです。

10歳未満の子とかも投稿してくれていたんですよ。「お母さんの誕生日ケーキの生クリームを作るのが難しくて。それからみかんとパインを乗せて…」っていう可愛いのもありましたし。「震災のときに、母や避難所のひとたちが毛布で包んでくれて…」という思い出を綴ってくれている子もいましたし。本当に十人十色の「母へ」があるんだなぁと再確認しましたね。

―― ありがとうございました!最後に「母へ」を聴くみなさんにメッセージをお願いします。

私の歌を聴いて涙を流してくれたり、手紙を書いてくれたり、サイン会に並んでくれたり、という方々と出会ってきて、行動って“前に進む一歩”なんだなと思うようになったんですね。泣くことも、想いを文字や口にすることも、すごく前向きな一歩だなって。だから「お母さんに何か言葉をかけてみようかな」とか「お父さんに手紙を書いてみようかな」とか「自分の幼少期を振り返ってみようかな」とか、みなさんにとっての何かひとつのきっかけにこの「母へ」がなれたら本望です。


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