第102回 石川さゆり「津軽海峡・冬景色」
photo_01です。 1977年1月1日発売
 年末になると、演歌を聴きたくなるのはなぜだろう? このジャンルに日本の伝統を感じ、来るべき正月の様々な行事の“予行演習”をしたがるからだろうか。例えば女性演歌歌手の着物姿に自分の晴れ着姿を重ねたり、歌詞に登場する盃やお酒をお正月のお屠蘇(おとそ)に重ねたり…。そしてもちろん、聴きたくなくても演歌が聴こえてくるのが年末の世相だ(その代表格は、もちろん『NHK紅白歌合戦』)。

そんなわけで、今回は当コラムには珍しい選曲です。この曲を。石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」。作詞は阿久悠、作・編曲は三木たかし。でもこの作品なら、ジャンルとか関係なく、幅広い層からの支持がある。カラオケした時の爽快感・達成感はハンパない。歌詞が[さよならあなた]に差しかかると、ヒトはみな同じように“切ない表情”になるし、そのあとの[ああ](実際には♪アァアア~と伸ばす)では、とびきり恍惚とした表情になっている。

「津軽海峡・冬景色」と、中黒(「・」)が入るのがイイ

 細かいことだが、この歌は“津軽海峡冬景色”ではなく、途中に「・」が入る。実際にサビを聴いてみると、確かに石川さゆりはここで一呼吸、つまり「・」の部分も表現しつつ歌唱している。

この一瞬の間がいいのだ。その瞬間、極北の地へと旅を続ける主人公が抱える忸怩(じくじ)たる想いが、束となり聴き手の心に転送される。“津軽海峡・冬景色”とだけ歌われ、一切の説明がないからこそ、この七文字が何万語もの意味をなすのだ。

津軽海峡を渡る前、主人公は横浜にいた

 もともとこの作品は、アルバムのなかの1曲だった。1月から順番に歌い綴るカレンダー形式の全12曲入りコンセプト・アルバム『365日恋もよう』の1曲として発表された。その際、1月から順番に楽曲制作されたとは限らないが、この曲に大団円的な迫力、クライマックス的高揚感があるのは、そんな制作過程も関係してのことだろう。

アルバムの資料をみてみると、その手前、つまりカレンダーの11月のところに置かれたのは「横浜暮色」という作品である(残念ながら筆者は未聴)。つまり主人公は、北へ旅する前、横浜にいたということになる。そう。彼女はそんな足どりを辿った(なにやらサスペンス調ドラマのようなだけど…)。

阿久悠が考えた、歌手・石川さゆりの活かし方

 「津軽海峡・冬景色」は、三木たかしの曲が先に出来ていて、あとから阿久悠が詞を乗せている。その際、阿久が考えたのは、石川さゆりという歌手はどのような曲調だと活きるのか、ということだった。

CD5枚組セット『人間万葉歌 阿久悠作詞集』のライナーノーツから、ご本人の言葉を引用させていただく。
「演歌にしては濁っていない声ですから、べたーって粘って七五調よりは、三、三、三と転がっていくような詞の方がいいんじゃないか、と」(取材・北沢夏音氏)

この発言を読んだからではないのだが、確かにこの曲には、歌の背景となる気候や風土の重みとは反対の、“軽(かろ)み”も伝わってくる。三、三、というリズムは、どこかカンツォーネのようでもあるからだろうか。カラオケしていて心ときめくのはそんな仕掛けもあってのことだろう。

引用したライナーノーツのなかで、阿久はこんな裏話も披露している。1977年の元旦に「津軽海峡・冬景色」がリリースされ大ヒットしたあと、同じ年に三部作が作られている。これに続く「能登半島」と「暖流」である。

この2曲に関しては、詞のほうが先だった。で、彼は一計を案じ、他の2曲を「津軽海峡・冬景色」とほぼ同じ字数構成で書いたという。それを作曲家に告げると、メロディも似通ったものになることが危惧されたため、黙っていた。時代を彩る超名曲を連発しつつ、こんな遊び心を発揮する余裕もあった。いや、余裕があったからこそ、時代の空気感をつぶさに観察できたのかもしれない。

主人公は相手を追ったのか? 想い出を捨てに行ったのか?

 この歌には印象的なフレーズがいくつか登場する。真っ先に挙げるべきが先述した「津軽海峡・冬景色」というサビの歌詞兼タイトルの部分だ。さらに他にもみていこう。

まず冒頭の[夜行列車 おりた時から]である。そこは[雪の中]だが、この鮮やかな場面転換は、川端康成の『雪国』的とも言える。“トンネル”の代わりが[夜行列車]というわけだ。

次は主人公が連絡船で出会う人々。[誰も無口で]と表現されている。実に印象に残る。主人公は旅人でありストレンジャーだ。旅先に知り合いなど誰もいない。なので地元の人々が、無個性でモノトーンな群衆に見えた。でも、“無口”の理由はこうだろう。むやみに口を開くことも憚れるくらい、あたりは凍てついてるということだ。ひょっとして、“無口”にはさらなる意味もあるのかもしれない。つまり、北に住む人々の県民性を差している、ということだ。

ここで問題なのは、彼女の旅の目的だ。「誰かを追いかけてきたのか?」、はたまた、「想い出を捨てるためにやってきたのか?」。さてどうだろう。歌詞からは、どちらにも解釈できそうだ。

でもこの歌で救われるのは、[さよならあなた 私は帰ります」と歌われているからだろう。この主人公は、ちゃんと帰るのだ。なんか、ホッとするのである。このまま道内を巡るだけじゃなく北方領土とかまで渡って行ったらどうなるんだ…。まさかそれはないだろうが、帰るということは、心の整理もある程度ついたのだ。良かった。本当に良かった(いや…、失ったものもあるのだし、そこまで良くはないのだけど…)。

阿久悠が描いてきた女性像は、彼以前の歌謡曲の“日陰の女”“耐える女”などではなく、女性の活躍を推進する社会に生きる人々だ。「津軽海峡・冬景色」の主人公は、きっと旅から帰ったあと、また逞しく恋に仕事に張りのある人生を送ったことだろう。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

お蔭様で『Mr.Children 道標の歌』は多くの方々に読んでいただいております。でも、普段は経験しないことであるベストセラー・ランキングなどに入ると、不思議な気分でもありました。僕の本は題材がMr.Childrenという国民的バンドであるものの、純粋に彼らの音楽性を追っかけた“読むベスト・アルバム”なのですが、それが人気女優さんの写真集などと同じ土俵でランキングされているのですから…。ただ、これもいい経験です。普段、出した作品をランキングされることを避けられないアーティストの方々の気持ちが、すこし分かった気もしました。