第103回 YOASOBI「夜に駆ける」
photo_01です。 2019年11月16日発売
 2021年、最初にとりあげるのはYOASOBIの「夜に駆ける」である。似たタイトルの作品としては、スピッツの「夜を駆ける」というのもある。つくづくタイトルは重要だと思うのは、“に”と“を”でまったくニュアンスが違ってくるからだ。

スピッツのほうは地面を蹴ってく背景として「夜」が存在するイメージだが(実際にそんな歌詞だ)、YOASOBIの場合、「夜」は四次元空間であるかのような未知の広がりを感じさせる。

小説を音楽にする…、とは?

 「Billboard JAPAN」のランキングにおいて、2020年の総合楽曲チャートのナンバー・ワンに輝いたのが「夜に駆ける」だった。あのランキングにはネット環境の様々な実績が加味される。この曲の印象的なPVは、気の遠くなるくらいの回数、再生され続けている。まさに昨年、もっとも“ポピュラー”だった一曲だ。

しかし、曲は知ってるけど彼らの姿を見たことがない人が大半であった。やっと観ることができたのは、大晦日の紅白歌合戦。実は僕も、そのとき初めて彼らを見た。歌を大切にしつつも音楽的な冒険を厭わない、そんな印象の二人に思えたし、新しいアーティストながら、実に逞しく感じた。

彼らは巨大な本棚がそびえる前で演奏していた。中継場所は大手出版社のミュージアムだが、なぜ本棚かというと、そもそもYOASOBIは、「小説を音楽にする」というコンセプトから誕生したユニットだからだ。

でも実際の話、「小説を音楽にする」とはどういうことなのだろう。小説と音楽(この場合、歌詞を伴うJ-POP)の共通性といえば、それは言葉である。でもそれだけならば、「小説を題材に曲を作る」だけに終わってしまう。

YOASOBIの場合、有名作品の威光を借りて、二次的に音楽作品を生んだわけではない。小説の投稿サイトが、コラボする相手だった。あくまで投稿サイトゆえ、アマチュアの域をでない作品もあるだろう。でも、だからこそ時代の気分をリアルに反映するもの多いと言えるし、まさにそれ共有しようと試みたのが、このプロジェクトの重要な部分だったのではと想像する。

原作を読んでみた

 それは星野舞夜が投稿サイト「monogatary.com」に発表した「タナトスの誘惑/夜に溶ける」である。文学の世界では“ショート・ショート”と分類される、とても短い作品だ。ただ、このタイプの小説には決まり事があり、短いながらも読者をハッとさせる意外な結末、どんでん返しが必要であり、この作品もそうだった。

死への願望(タナトス)を抱いた少女と主人公との恋愛を描くようでいて、終盤に思ってもみない展開が用意される。実はその少女は[「死にたい」というあなたの思いから生まれてきた、あなたの目にしか映らない幻想]に過ぎなかったのである(この部分、実際の小説からの引用)。

YOASOBIの二人は、この小説からどんな閃きや刺激を得たのだろう。まずは曲のタイトル。小説のなかに「夜に駆ける」という表現は出てこない。しかし、[夜空に向かって掛け出した][夜空へと、どこまでも駆けて行ける]というフレーズは見受けられる。「夜に駆ける」も、その関連から生まれたのだろう。ただ、冒頭にも書いた通り、“夜に”という、この“に”がイメージを膨らませている。

歌詞の後半に、[君は優しく終わりへと誘う]というフレーズが出てくる。ここは小説とのつながりを感じさせる。小説の上で、実は相手の少女は、実際に存在する人格ではなく、自分の“「死にたい」という思いから生まれた幻想”なのだが、それゆえに導き出されたのがこの表現とも考えられる。

しかし、あくまでいま書いたことは、このコラムらしく、歌詞カードとにらめっこして感じたことなのであって、実際に曲を聴いている最中の心境は、また別のものだ。なにしろ「夜に駆ける」は、疾走感に溢れた曲調だからである。

歌詞・サウンド・歌唱が相まって生まれる世界観

 この曲は、滑らかなメロディに乗せ、[沈むように]と歌い始められる。ここは前奏(ヴァース)の部分にあたるが、ここだけでもボーカルikuraが印象深い声質の持ち主であり、確かな声のトレース能力を持つことが伝わっていく。

ここがあることで、聴き手は安心して歌の世界観に入って行けるのだ。しかしカラオケする際には、もちろんここが最初の“関門”にもなるわけだが…。オリジナル音源を聴くと、息を吸うブレスの音もハッキリ聞こえ、それも含めて、全体が“音楽”としての完成度の高さを示している。

疾走感は、この曲の大きな魅力だ。歌詞の話から離れるが、それを支えるのはメロディアスなリフを奏でるキーボードの演奏だ。フレーズの継ぎ目がテンポ食いぎみに聞こえてきて、さらにスピードを増加させる。歌が始まった途端、RとLのまんなかあたりにベチベチと響くベースの音が登場し、良いアクセントとなる。楽曲の作者であるAyaseは、アレンジャーとしてもアイデア豊富なヒトのようだ。

さらにこの作品の巧みなところは、疾走感といっても単調なものではないところである。実に人間的なウネリをともない伝わってくる。まさに心拍数の高鳴りの、自然な上昇と下降とでも言おうか、このあたりは曲と歌詞の兼ね合いもあって表現されていく。

[いつだってチックタック]のあたりはスタッカートが効いた跳ねる感覚だ。でもそのあとの[ありきたりの]からは、敢えて平坦な印象に留めている。突っ走るけど行き切らず、程よい揺り戻しがあり、それがつまり、人間的なグルーヴにも繋がっていく。

Ayaseは『夜に駆けるYOASOBI小説集』(双葉社)のなかのikuraとの対談で、このような主旨のことを言っている。そもそも原作は、人間の死という軽々しく扱うことが出来ないテーマを含む内容であり、そこに題材をとれば重苦しい楽曲になりがちだが、敢えて「キャッチーな曲にしたかった」そうなのだ。逆の感覚をぶつけることで、本来のテーマを際立たせようとしたという。

音楽は、結果として、どんな効用を聴き手に与えるかが総てだろう。この曲を聴いている数分間、日々の不安をそれぞれ胸に抱えつつも、ワクワクした気分にもなるのも事実なのだ。辛さや痛さも抱えた歌だからこそ、それを越えて伝わるワクワクを、みんなは信じようとして,それを信頼して、この楽曲への支持は、大きく広がったのだろう。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

2020年とともにコロナとお別れ…なんていうことにはまったくならず、緊張感ある日々が続いている。やがてお正月。2020年は在宅時間が長かったので、[家でゴロゴロ=正月]という、連年なら存在するであろう感覚がなくなっていた。しかも昨今は、テレビの正月番組よりNetflixのドラマの続きを観たりするものだから、なおさら薄れる正月気分、なのであった。