第111回 岩崎宏美「思秋期」
photo_01です。 1977年9月5日発売
 このコラムの選曲は、もちろん季節も意識しているのだが、そんなわけで、「そろそろ秋だよな」と思ったのである。

秋を意識すると、文章もつぶやき風になった。やっぱ秋の歌を取り上げたいよな…。夏と違って、秋は内面へ向かうのよね。昔からよく言う。秋は「もの思う季節」…。

ここまで頭が回転した時点で、作品が決まった。岩崎宏実の「思秋期」だ。今月は、この名作を聴きながら、この季節を思うことにしましょう。

正確に書くと、この作品は“秋を思う”のではなく“秋に思う”歌だ。季節が巡り、秋になり、この歌の主人公は、過ぎ去りし春や夏のことを思っている。

70年代の作品なので、データ的なことも紹介しておく。「思秋期」は、1977年9月5日にリリースされた岩崎宏美の11枚目のシングルだ。

ちなみに、このあと14枚目のシングルが「シンデレラ・ハネムーン」(78年)で、28枚目のシングルが「聖母たちのララバイ」(82年)だった。

作詞は阿久悠で、作曲は三木たかし。このコンビの作品は、以前も取り上げた。石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」だ。

同じ人達の作品とは思えないくらい世界観が違うが、歌謡界の真の実力者は、実に多才で多彩なのである。

岩崎宏美という逸材

 岩崎宏美というボーカリストは、十代の女性歌手が「アイドル」という枠組みから排出されていた70年代にあって、他より頭ひとつ抜けた実力者だった。

ピッチの正確さから歌を雑味なく伝えることが可能であり、作家陣が詞やメロディやアレンジに込めた想いを、ロスなく届けた。

彼女の声質自体は、細やかでありつつ憂いや潤いを併せ持ち、歌詞の言葉を繋がりよく表現することができた。歌は習っていただろうが、習ったことを十代の頃から使いこなしていた。

そして、そのあたりの特質が遺憾なく発揮されたのが「思秋期」だったのだ。

阿久悠みずから「名曲だと思っている」作品

 この歌の作詞者の阿久悠は、『愛すべき歌たち-私的歌謡曲史』(岩波新書)のなかで、こう書いている。「この歌は今でも名曲だと思っている。曲もいいし、自分のことながら詞もいいと自慢できる」。

今更いうまでもなく、多くの歌手に数多くのヒット作を提供した人だ。その立場なら、普通、特定の歌にここまでハッキリ言わないのではなかろうか? でも、それだけこの作品には、達成感があったのだろう。

青春とは〇〇〇〇の例え方が巧みである

 歌詞をみてみよう。サビにたびたび登場するのが「青春」というワードだ。まず、「青春」は[こわれもの]と表現される。[愛しても傷つき]と補足される。ここではつまり、青春とは薄いガラス細工、みたいなイメージだろうか。

さらに「青春」は、[忘れもの]とも表現されている。こちらは、[過ぎてから気がつく]と補足される。渦中にあっては、特別さを感じないもの、ということだろうし、気づいてからでは取り返しつかないのが、これらの日々ということだ。

2021年に改めてこの歌を聴いてみて、この歌における「青春」の二文字は、古色蒼然としてないことが確認できる。丁寧に、言葉の中身を解釈し直しているので、言葉が死んでないのだ。

十八から十九へ

 彼女がこの作品をリリースしたのは高校を卒業した年(1977年)である。レコーディングは同年6月ころだった。歌の主人公は、岩崎と同年齢という設定だ。歌詞にハッキリ[私十八]と歌われている。そのあと、[やがて十九に」と歌う。

このあたりを70年代的に表現をするなら、「ひとりの女性が少女から大人へと成長していく様を記録」したのがこの作品ということ。

で、実はこの主人公、高校時代、けっこうモテている。[ふとしたこと]で口づけした[あのひと]がいた。卒業式前日に[心を告げにきたひと]もいたのだ。モテてる(笑)。しかし、実はこれは終盤への伏線だ。

何年か後、紅茶を飲む主人公

 この歌は、まるで丁寧に折られた布地のように、聞くものを哀愁で包んでいく。ごちゃごちゃ解説などせず、イントロからアウトロまで、ひたすら歌に浸っているのが正解だ。

こんなこと書くと筆が進まなくなるが、一緒に歌う、とかではない。浸る、だ。ただただ岩崎宏実の名唱に耳を傾けるべきなのだ。そのご褒美として、曲が終わったあとの余韻が素晴らしい。

ちょっと様子がちがってくるのが、ラスト近く[ひとりで紅茶のみながら]からのパートだ。[お元気ですかみなさん]と歌いかけている。

この歌から得た情報の範囲内で推測するなら、この“みなさん”には、高校時代に口づけした[あのひと]や、卒業式前日に[心を告げにきたひと]も含まれるだろう。

彼らに対して[お元気ですかみなさん]と語りかけるのは、「青春」という[忘れもの]が客観化して、すでに心の奥にしまわれているからに違いない。

筆者の個人的な感想で恐縮だが、この歌を初めて聴いたときは、十八から十九という、濃密な時間こそが歌の感動ポイントだった。しかし時間が経って聴いてみたら、[ひとりで紅茶のみながら]のところが、ずいぶん違って聞こえたのだ。

ある年齢の人達にとって、もっともウルッとくるポイントか、ここの一行なのではなかろうか。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

昨年は11月に『Mr.Children 道標の歌』を上梓させて頂きましたが、今年もまもなく本を出します。とあるアーティストに関する本です。ただ、現状は発表ぎりぎりで、もしフライングしちゃうとアレなので、奥歯にモノが挟まった言い方で申し訳ないです。それにしても、何年この稼業をやってても不思議なのは、高気圧だと原稿が進まず、低気圧だと捗ることです。今回の単行本執筆期間中もそうでした。