1991年11月10日発売
私事で恐縮ですが、このたび、『槇原敬之 歌の履歴書』という本を上梓させて頂きました。版元はぴあ(株)さんです。
コロナ禍で大きな打撃をうけた音楽業界ですが、音楽を“読む”というのもリッパなエンターテインメントではないかと思い、昨年書かせて頂いたのが『Mr.Children 道標の歌』であり、そして今年、毎朝4時ごろ起きて、せっせと書いたのがこの本です。お陰様で、既に重版を達成いたしました!
今更ながら思ったのは、槇原敬之には名曲が多数ある、ということです(いやホント、今更でスミマセン)。しかも彼の場合、他のソングライターが気づいていない感情に、ビシビシ届いていく歌が多い。シンプルな言い回しであっても、言葉の厳選がなされ、豊かな情報量が伝わるのも特徴です。
今回取り上げる「冬がはじまるよ」にも、そんなところがあります。この歌は、冬の到来を告げる季節感溢れる作品でありつつも、他にはないラブ・ソングの形をしています。
晩秋から初冬の歌ではあるが、実は…。
最初に書いておきます。「冬がはじまるよ」は、タイトルを重んじるならば、晩秋から初冬にかけての歌、ということになります。
作者の槇原は、冬が大好きだそうです。そんな季節の到来が待ち遠しくて、その喜びを、もぅみんなに伝えたくて、思わず心の中で“冬が始まるよぉ~”と叫んでしまったことが、このタイトルの起源。
でも、単なるアナウンスだけなら、テレビのお天気コーナーと同じになってしまう。ちゃんとこの歌には、極上のストーリーテリングが施されていて、ドキドキ・ワクワクする胸キュン・ソングに仕上がっています。
繰り返しますが、タイトルに寄せて考えたなら、冬の到来を歌った作品です。しかし、歌詞全体を眺めるなら、そこには幅広い時間の経過が描かれています。そのあたりを詳しく見ていくことにしましょう。
主人公の“段取り力”は、どれほどだったのだろう
1番のAメロは[8月の君の誕生日]という歌詞から始まっていきます。そのあと、歌が発表された当時、とても話題になったフレーズが聞こえてきます。主人公は相手に、[半袖と長袖のシャツ]を同時にプレゼントするのです。
それは本人曰く、[一緒に過ごせる為の おまじない]ということなのですが、この場合の“半袖”“長袖”は、もちろん生地の長さを表しつつ、時間の比喩でもあるでしょう。だからこそ、印象深く響くのです。
この彼は用意周到で段取りを怠らないタイプのようですが、その一方で、“段取り”なんて余裕の行為ではなく、主人公はただ自信がなかっただけ、とも解釈できます。
そうせざるを得ない理由が、Bメロで明かされる。実際のところ、相手の気持ちをいまいち把握しきれてない様子なのです。
というのも、この相手は[突然泣きだしたり]もするわけです。涙の理由は不明。でも、そんな行動を持て余しているわけじゃなくて、[わくわくするようなオドロキ]と受け止めている。ここはポイントです。
[わくわくするようなオドロキ]って、平易な言葉だし、なんとなく耳を通過していきまけど、槇原ならではの表現でしょう。“オドロキ”であるなら、普通は“ハラハラ”とかのはずだけど、そこに敢えて、“わくわく”を持ってきたのが効果的です。
まさにここに、新鮮な気持ちで恋愛を続ける極意が隠されている。この歌のなかでも,ひときわ印象に残るフレーズといえるでしょう。
ビールのCMソングだったことの効用は
そもそもこの歌は、サッポロビールの「冬物語」という銘柄のCMソングとして流れました(1991年)。[ビールを飲む横顔がいいね]というフレーズも、ばっちりサビに登場します。このあたりは、最初からビールありきの“お題拝借”だったのでしょう。
となれば歌の登場人物は、飲酒可能な年齢で、必然的にこの歌は、ティーンの甘酸っぱい恋愛とは違っていったのです。
でも、大人は大人だけど、主人公が恋愛の初心者だったとしても、歌は成立します。去年はクリスマス・ケーキを売るバイトをしていたという設定だし、そんな彼に、遂に今年、恋人が出来た、というシチュエーションです。
でも、サビの最後のところの[これからも僕を油断させないで!]は、ある程度、恋の経験値があってこそ言える言葉ではないでしょうか。恋愛というのは、最初はいいけどすぐさま倦怠期を迎えるものだし、それを承知してるからこそ、こんなことを言うのでしょうし…。
半袖、長袖、最後に出てきたセーターの意味
半袖、長袖と季節が巡り、最後はセーターが登場します。ただ、この時点で世の中は、未だニットの季節ではなくて、二人のうち、ニット所有者は主人公のみ。[窓をあけて 星をながめる時]には部屋の温度が低下し、その場合のみ、ニットが必要となる設定です。
[僕のセーターを貸してあげる]という部分には注目でしょう。半袖や長袖は相手へのプレゼントでしたが、セーターに関しては、束の間とはいえ、“二人の共有物”になることを願いつつ登場させています。
槇原は、歌にそんな仕掛けをしたのです。真の意味で二人が一緒になるための鍵を握るのが、つまりはこのセーターだったのです。
実際、この貸し借りのシーンのあと、[幸せでいるため]にはどうすればいいのかを,いま[考えているから]とも歌っている。さらにセーターは,“共有物”になることを願いつつ、さらに踏み込んで書くならば、二人の間でまだお揃いになっていないもの、欠落しているものの象徴としての役割も担わしているのです。
なお、途中に出てくる[旅行雑誌]など、小道具も効いています。二人は仕事も忙しそうだし、冬のバカンスが叶わない可能性もある。[旅行雑誌]は、その可能性も含め、ここに登場させている。表現のディテールも、考え抜かれた歌なのでした。
コロナ禍で大きな打撃をうけた音楽業界ですが、音楽を“読む”というのもリッパなエンターテインメントではないかと思い、昨年書かせて頂いたのが『Mr.Children 道標の歌』であり、そして今年、毎朝4時ごろ起きて、せっせと書いたのがこの本です。お陰様で、既に重版を達成いたしました!
今更ながら思ったのは、槇原敬之には名曲が多数ある、ということです(いやホント、今更でスミマセン)。しかも彼の場合、他のソングライターが気づいていない感情に、ビシビシ届いていく歌が多い。シンプルな言い回しであっても、言葉の厳選がなされ、豊かな情報量が伝わるのも特徴です。
今回取り上げる「冬がはじまるよ」にも、そんなところがあります。この歌は、冬の到来を告げる季節感溢れる作品でありつつも、他にはないラブ・ソングの形をしています。
晩秋から初冬の歌ではあるが、実は…。
最初に書いておきます。「冬がはじまるよ」は、タイトルを重んじるならば、晩秋から初冬にかけての歌、ということになります。
作者の槇原は、冬が大好きだそうです。そんな季節の到来が待ち遠しくて、その喜びを、もぅみんなに伝えたくて、思わず心の中で“冬が始まるよぉ~”と叫んでしまったことが、このタイトルの起源。
でも、単なるアナウンスだけなら、テレビのお天気コーナーと同じになってしまう。ちゃんとこの歌には、極上のストーリーテリングが施されていて、ドキドキ・ワクワクする胸キュン・ソングに仕上がっています。
繰り返しますが、タイトルに寄せて考えたなら、冬の到来を歌った作品です。しかし、歌詞全体を眺めるなら、そこには幅広い時間の経過が描かれています。そのあたりを詳しく見ていくことにしましょう。
主人公の“段取り力”は、どれほどだったのだろう
1番のAメロは[8月の君の誕生日]という歌詞から始まっていきます。そのあと、歌が発表された当時、とても話題になったフレーズが聞こえてきます。主人公は相手に、[半袖と長袖のシャツ]を同時にプレゼントするのです。
それは本人曰く、[一緒に過ごせる為の おまじない]ということなのですが、この場合の“半袖”“長袖”は、もちろん生地の長さを表しつつ、時間の比喩でもあるでしょう。だからこそ、印象深く響くのです。
この彼は用意周到で段取りを怠らないタイプのようですが、その一方で、“段取り”なんて余裕の行為ではなく、主人公はただ自信がなかっただけ、とも解釈できます。
そうせざるを得ない理由が、Bメロで明かされる。実際のところ、相手の気持ちをいまいち把握しきれてない様子なのです。
というのも、この相手は[突然泣きだしたり]もするわけです。涙の理由は不明。でも、そんな行動を持て余しているわけじゃなくて、[わくわくするようなオドロキ]と受け止めている。ここはポイントです。
[わくわくするようなオドロキ]って、平易な言葉だし、なんとなく耳を通過していきまけど、槇原ならではの表現でしょう。“オドロキ”であるなら、普通は“ハラハラ”とかのはずだけど、そこに敢えて、“わくわく”を持ってきたのが効果的です。
まさにここに、新鮮な気持ちで恋愛を続ける極意が隠されている。この歌のなかでも,ひときわ印象に残るフレーズといえるでしょう。
ビールのCMソングだったことの効用は
そもそもこの歌は、サッポロビールの「冬物語」という銘柄のCMソングとして流れました(1991年)。[ビールを飲む横顔がいいね]というフレーズも、ばっちりサビに登場します。このあたりは、最初からビールありきの“お題拝借”だったのでしょう。
となれば歌の登場人物は、飲酒可能な年齢で、必然的にこの歌は、ティーンの甘酸っぱい恋愛とは違っていったのです。
でも、大人は大人だけど、主人公が恋愛の初心者だったとしても、歌は成立します。去年はクリスマス・ケーキを売るバイトをしていたという設定だし、そんな彼に、遂に今年、恋人が出来た、というシチュエーションです。
でも、サビの最後のところの[これからも僕を油断させないで!]は、ある程度、恋の経験値があってこそ言える言葉ではないでしょうか。恋愛というのは、最初はいいけどすぐさま倦怠期を迎えるものだし、それを承知してるからこそ、こんなことを言うのでしょうし…。
半袖、長袖、最後に出てきたセーターの意味
半袖、長袖と季節が巡り、最後はセーターが登場します。ただ、この時点で世の中は、未だニットの季節ではなくて、二人のうち、ニット所有者は主人公のみ。[窓をあけて 星をながめる時]には部屋の温度が低下し、その場合のみ、ニットが必要となる設定です。
[僕のセーターを貸してあげる]という部分には注目でしょう。半袖や長袖は相手へのプレゼントでしたが、セーターに関しては、束の間とはいえ、“二人の共有物”になることを願いつつ登場させています。
槇原は、歌にそんな仕掛けをしたのです。真の意味で二人が一緒になるための鍵を握るのが、つまりはこのセーターだったのです。
実際、この貸し借りのシーンのあと、[幸せでいるため]にはどうすればいいのかを,いま[考えているから]とも歌っている。さらにセーターは,“共有物”になることを願いつつ、さらに踏み込んで書くならば、二人の間でまだお揃いになっていないもの、欠落しているものの象徴としての役割も担わしているのです。
なお、途中に出てくる[旅行雑誌]など、小道具も効いています。二人は仕事も忙しそうだし、冬のバカンスが叶わない可能性もある。[旅行雑誌]は、その可能性も含め、ここに登場させている。表現のディテールも、考え抜かれた歌なのでした。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
僕はメガネを掛けているのだが、先日、メガネが曇らない専用のマスクを発見し、さっそく購入した。ちょっとした仕掛けがあり、鼻の形に合わせるワイヤーの裏に、メッシュ状の1センチほどの折り返しがついていて、それを鼻の位置に合わせ、立てる感じに装着すると、息がメガネにいかず、ホントに曇らないのである。これは必需品だと感じ、近所のドラッグストアを探し、もう一箱買ったのだった。そんなわけで、視界良好の状態で、年末まで突っ走ります!
僕はメガネを掛けているのだが、先日、メガネが曇らない専用のマスクを発見し、さっそく購入した。ちょっとした仕掛けがあり、鼻の形に合わせるワイヤーの裏に、メッシュ状の1センチほどの折り返しがついていて、それを鼻の位置に合わせ、立てる感じに装着すると、息がメガネにいかず、ホントに曇らないのである。これは必需品だと感じ、近所のドラッグストアを探し、もう一箱買ったのだった。そんなわけで、視界良好の状態で、年末まで突っ走ります!