第129回 玉置浩二「メロディー」
photo_01です。 1996年5月22日発売
 玉置浩二にインタビューしたのはたった一回きりであり、しかもだいぶ前の話である。その時のことを、今更ここで書いたとしても、今現在の彼を知る手助けにはならないだろう。

でも、あまりにも印象的だったので、その後も記憶が薄れることはなかった。そして、自分の人生において印象的な出来事というのは、ついヒトに話したくなるものなのである。


職業柄、様々なアーティストにインタビューしてきた。おしゃべりな人、無口な人、理路整然と話す人、それとは逆に、感覚的な人。玉置浩二の場合はどうだったのかというと、まず冒頭、彼からこんなリクエストが伝えられたのだ。

「面と向かって話すより、並んで話そう」。

取材場所は都内のレコーディング・スタジオだった。僕はこの提案を受け入れ、我々はミキサー卓の前に並んで座り、それぞれ前方(ガラスの向こうがスタジオの内部)を見つめながら会話を始めた。改めて言うが、これは雑誌の取材。視線を交わさずインタビューするなんて、通常、有り得ないことだった。

面食らった。しかしすぐさま、これもいいもんだなと思い始めた。よくドラマなどで、主人公たちがカウンターに並び、しみじみとした会話を交わすシーンがある。そこでの台詞は、腹を割った本音であったりもする。

初対面の、しかもこれは取材なので、しみじみと本音を、ということではなかったが、お互いが前方を見つめたインタビューは、むしろ程よい距離感を生み、取材は成功であった。なので感謝している。でも、どうして彼が「並んで話そう」と言ったのか、その真意は今も不明のままだ。

稀代の名曲「メロディー」について

 彼のキャリアといえば、昨年末に37年ぶりの紅白出場を果たした安全地帯も名高いが、今回はソロ名義の作品のなかから選んだ。まっさきに思い浮かんだのは「メロディー」である。

まっさきに、と書いたが、それはあくまで、今現在の状況を踏まえてのことだ。今でこそ彼の代表曲のひとつだが、そもそも10枚目のシングルとして1996年にリリースされた際は、すぐ大評判となったわけではなかった。むしろ次のシングル「田園」のほうが、即座に人気に火がついた。

コンサートで歌っていくうち、じわじわと浸透していったのだ。こうした“じわじわ作品”の特徴はふたつある。まず、歌のテーマが普遍的であること。そして、当の本人が、“歌い飽きない”作品であることも重要である。その典型的な作品が「メロディー」だろう。

シンプルな構成のバラードだが、歌い回しの端々に、計算し尽くされた感情表現が施されている。日本最高峰の歌唱力のヒトならではの奥深さが響く。

計り知れない冒頭の“あんなにも”

 歌いだしからして素晴らしい。[あんなにも 好きだった]。いきなり“あんなにも”とか言われても、普通だったら“どんなになのさ?”と聞き返したくなるが、そこは玉置の類まれなる声質とピッチ感により、一切の疑問が吹き飛ぶ、というか、即座に納得させられる。

この歌の主人公にとって、どんだけ重要なものだったのかが分かってしまい、いきなり深く胸に染み込んでいく。そういう歌はなかなかない。ここでの[あんなにも]は、導入にしてクライマックスと言える。

ライブの場合は、ここでその場の聴衆のすべての耳が掴まれてしまうだろう。玉置はステージに居て、おそらく自分が強力な磁石に生まれ変わり、辺りの砂鉄をすべてを吸い寄せるが如きゾクゾクを、その瞬間、感じているはずだ。

「メロディー」なんて歌は、おいそれとは書けない

 この歌は、かつての恋人を懐かしんで歌っているようにも聴こえるが、今の自分とあの頃を対比し、胸に問いかけているようにも聴こえる。さらに、仲間たちへ向けて歌われたものでもある。

歌詞のなかで重要なのは、タイトルになっている“メロディー”という言葉だ。ただし、巷によくある“君が口ずさんだあのメロディ”みたいな使い方とは決定的に異なる。もっと重たい。

こういうタイトルで歌を書き、実際に歌のなかで“メロディー”という言葉を発するにあたっては、それ相当の覚悟と準備が必要だったろう。彼が選んだのは画期的な方法だ。それがどんな“メロディー”なのかの説明ではなく、言葉自体を豊かにメロディアスに歌ってみせるのだ。“ディー”で音程を上げ、そこをファルセットにしている。

唯一、具体的なのがピースマークのエピソード

 [あの頃]という表現があり、[あの歌]も出てくるが、漠然としてるといえば漠然とした詞の世界観ではある。そんななか、唯一具体的なのは、[なつかしい この店]で[寄せ書き]のはしに[ピースマーク]を書いたというエピソードのところだ。

なぜここで、あえて[ピースマーク]を出したのだろうか。60年代に平和の象徴として若者たちの間で流行したこのデザインは、音楽と社会が密接だった時代を思い起こさせる。

玉置は60年代よりあとの世代だが、このエピソードを書いたのは、音楽をやり始めた頃の、無垢な志への懐かしもあってのことだろう。[大切な ものなくした]という表現も出てくる。

最後にまとめとして書く。この歌の“メロディー”が指し示すのは、特定の旋律ではない。あの頃に好きだった人や自分自身、仲間たちそのものが“メロディー”なのである。それだけ音楽が大切だった。人間と音楽が、まるで同化してしまうほどに…。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

“三年間まったく袖を通さなかった服はもう着ないんだから思い切って処分しなさい” とかいうけど、なかなか思い切れない。断捨離という言葉も日常語になったとはいえ、 難しい。今回も、「捨」てようとする服が「離」れたくないと懇願してくるのを「断」 れず、そのまま収納する結果になった。