第146回 「シティ・ポップ特集II」
 さて今回は、再び“シティ・ポップ”を取り上げる。ブームは収束するどころか、ますます拡大している。なにしろ巷では、「シティポップ花火」なるものも開催されているのだ。もはや“シティ・ポップ”というコトバ自体が、音楽のマーケティングにおける必須ワードと言える。

しかしこのジャンル、実態は定かじゃない。「70年代後半から80年代にかけて流行した、都会的センスのポップ・ミュージック」という説明は間違いじゃないが、フォーク・ソングが廃れ、ニュー・ミュージックが台頭した時期とも重なり、「“シティ・ポップ”と“ニュー・ミュージック”はどう違うの?」と問われたら、まったく別物とも言いがたいのだ。

このあたり、さらに検証していくことも可能だが、ここはストレートに、僕個人が思う“シティ・ポップ”の名曲を紹介したい。今回は、その第二弾としてお読み頂ければと思っている。

「スローなブギにしてくれ (I want you)」の衝撃

photo_01です。 1981年1月21日発売
南佳孝「スローなブギにしてくれ (I want you)」

 映画化された片岡義男の同名小説が存在し、公開の際に制作されたのがこの主題歌だ(1981年)。作詞は松本隆である。

歌うのは、作曲者でもある南佳孝。彼の歌は、実に深みがある。程よく熟成されたお酒のように、人々を酔わせる。それでいて、どこかにミントの欠片のような爽やかさを併せ持つのだ。

松本隆による、ハードボイルドな歌詞が素晴らしい。いきなり“Want you”と、相手に対して“本題”から迫る歌い出し。それは今も斬新なままだ。

[マッチひとつ擦って]相手の顔をみるということは、薄暗い場所が連想され、飲んでいるのが[強いジン]なので、此処はBARだと特定される。

でも、“Want you”はあくまで英語。この歌では、最後にちゃんと[おまえが欲しい]と日本語でも意志を伝えている。この男、一切、ブレていない。

余計なモノはない。ジンは飲むが、オリーブは口に含むかもしれないが、BARでピザを頼んだりとか、そういう余計なことはしないのだ。

さっきハードボイルドと書いたが、全体に漂う乾いた情感こそが、この場合、“シティ・ポップ”的だ。映画の原作の片岡義男の小説も、乾いた語り口に独特の魅力がある。松本隆が、原作を意識したかどうかは不明なのだが。

ちなみにマービン・ゲイというソウル・シンガーの曲に「I Want You」というのがある。でも南佳孝の歌のほうが、相手に対して自信満々だ。80年代前半の日本の、イケイケだった時代感が伝わってくる。

シングルのはずが、気づけば「ロング・バージョン」

photo_01です。 1983年11月1日発売
稲垣潤一「ロング・バージョン」

 さて次は、稲垣潤一の「ロング・バージョン」(1983年)を取り上げる。作詞は湯川れい子、作曲は安部恭弘である。安部は他にもセンスのいい作品を多数残している。なかには“シティ・ポップ”の典型と言えるものも少なくない。

さっそく歌詞のポイントを見ていこう。“ロング・バージョン”とはいったい何なのか、ということが重要だ。このコトバ、音楽でも映像でも、通常より長尺に仕立てたもののことを指す。でもこの場合、ズバリ、恋愛のことである。

歌の中に対義語として登場するのは[シングル・プレイ]。てことは…。大人の読者の方はもうお分かりだろう。

つまりこの歌の男女は、当初、ワンナイト・ラブのつもりだったが、いつしか恋愛感情が“長尺”化した。今現在、彼らの関係は“ロング・バージョン”真っ盛りなのである。もうなんつーか、色っペー歌なのです。

[さよなら言う]のは[最後のチャンス]という切迫した状況だけど、[想いとうらはらな指]の存在が、主人公の意志をぐらつかせている。もう一回、書いておこう。実に実に、色っぺー歌だ。

なお、[乾いた都会の荒野]というフレーズも登場する。でも、そこが決め手で“シティ・ポップ”と言いたいわけじゃない。室内の調度品である[コピーのシャガール壁に]というのも印象的。稲垣の歌やサウンドも含め、総合評価としてこのジャンルの鉄板だと思う。

最後に大貫妙子の「都会」を聴いてみる

photo_01です。 1977年7月25日発売
大貫妙子「都会」

 思えば“シティ・ポップ”の再評価は、海外の愛好家の後押しもあってのことだった。ただ、もともと日本でそう思われていたものと、海外で再評価されたものには誤差がありそうだ。日本語が分からないはずの海外の人達は、歌の内容が都会っぽいとかってこととは無関係に、まずはサウンドの心地よさに反応したのだろうし。

あるネットの記事を読んでいたら、大貫妙子さんのことを“シティ・ポップの女王”と書いていたものがあった。僕は彼女に80年代以降何度か取材しているが、“シティ・ポップの女王”だと意識したことは一度もない。どうやらこれも、海外の愛好家の後押しの気がする(TVの『YOUは何しに日本へ?』で、彼女のアルバムをわざわざ海外から探しにきたファンが取り上げられたことも関係しているのかも)。

でも、彼女には、ご本人が作詞・作曲をした、ずばりタイトルが「都会」という作品がある。せっかくなので、これを最後に取り上げてみることにしよう。そもそもは、アルバム『SUNSHOWER』(1977年)の1曲として世に出されたものである(のちにシングル・カットもされている)。

さっそく「都会」の歌詞を眺めてみると、これはけして、この街の生活を謳歌するものではなかった。[眠らない夜の街]で繰り広げられる様々な生態を[値打ちもない華やかさ]ともディスっているのだ。

でも、単に虚無感なりを描くのではなく、そこからの決別というのも垣間見せている。そうした世界から[私はさよならする]と歌う。ここにこの歌の価値がある。

解釈の仕方は様々だが、この歌はどうやら、東京で生まれ育った彼女が、この街のパブリックイメージとして描かれがちなことに対して、東京者としての批判性を発揮したものと受け取れる。

事実、最後には[その日暮らし]はやめにして[家へ帰ろう]と歌う。

この場合の“その日暮らし”とは、「流行り廃りが激しいトレンドに身を委ねること」なのだと解釈してみた。いっぽう“家へ帰ろう”は、その反対だ。「確かな自分を持つこと」ではなかろうか。

「都会」は“シティ・ポップ”かもしれないが、実に骨太なメッセージを含む歌だった。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

近所の盆踊り大会へ行くと、様々なイベントが用意された、ちょっとした野外ライブイベントであることが分かった。区の民謡連盟の人達はお揃いの浴衣で夏の風情を醸し出し、そこから一転、アニソンで踊る時間帯にはコスプレイヤーの姿も。最後にまた宣伝を。拙著『いわゆる「サザン」について』(水鈴社)、いよいよ8月21日に発売です。宜しくお願いいたします!