さて今月は、竹内まりやである。以前、何度か取材でお目に掛かったことがあるが、意志と柔らかさを兼ね備えた、実に素晴らしい方、という印象であった。
で、彼女と言えば、ひところ「プラスティック・ラブ」という楽曲が世界で大人気であるという話題をよく耳にした。昨今はそういうことが、再生回数なりという具体的な数字で示されるし、日本国内で制作されたポップ・チューンが認められるという事実は、実に誇らしいものと感じた。
ただ、歌詞を扱う当コラムとしては、こんなことも書いておきたい。「プラスティック・ラブ」は海外の大学の日本語科の生徒や日本語学校中心に火がついたわけではなく、ヒットの原因は、あくまで山下達郎プロデュースのもと、きちっとアレンジされ、腕利きたちにより演奏された、そのサウンドが効いたからだろう。
もちろん、彼女のボーカルの豊かさ・切なさといったことは、歌詞の意味が分からなくても伝わる。それは我々が、ふだん洋楽を聴いている時と一緒だ。しかもこの歌、ラストの数行は、英語詞なのだ。
歌の主人公が、どんな恋愛観の人物なのかぐらいなら、充分に伝わる数行だ。ここだけでも歌(詞)に感情移入することは可能なのも大きかっただろう。
でも、ふとこんなことも考えた。とはいえ海外の人達は、作詞家・竹内まりやの凄さを、ちゃんと知ってるわけじゃない。そこはやはり、日本語が母国語のわれわれ日本のまりやファンの特権とも言える。
で、彼女と言えば、ひところ「プラスティック・ラブ」という楽曲が世界で大人気であるという話題をよく耳にした。昨今はそういうことが、再生回数なりという具体的な数字で示されるし、日本国内で制作されたポップ・チューンが認められるという事実は、実に誇らしいものと感じた。
ただ、歌詞を扱う当コラムとしては、こんなことも書いておきたい。「プラスティック・ラブ」は海外の大学の日本語科の生徒や日本語学校中心に火がついたわけではなく、ヒットの原因は、あくまで山下達郎プロデュースのもと、きちっとアレンジされ、腕利きたちにより演奏された、そのサウンドが効いたからだろう。
もちろん、彼女のボーカルの豊かさ・切なさといったことは、歌詞の意味が分からなくても伝わる。それは我々が、ふだん洋楽を聴いている時と一緒だ。しかもこの歌、ラストの数行は、英語詞なのだ。
歌の主人公が、どんな恋愛観の人物なのかぐらいなら、充分に伝わる数行だ。ここだけでも歌(詞)に感情移入することは可能なのも大きかっただろう。
でも、ふとこんなことも考えた。とはいえ海外の人達は、作詞家・竹内まりやの凄さを、ちゃんと知ってるわけじゃない。そこはやはり、日本語が母国語のわれわれ日本のまりやファンの特権とも言える。
1987年11月28日発売
「駅」はなに駅で乗車し、なに駅で降車したのか?
彼女の作品のなかで、一番有名なのは「駅」だろう。中森明菜への提供曲だが、作者本人の歌唱バージョンも有名だ。改めて、この作品の歌詞を眺めてみることにしたい。
どういう歌なのか。まず、ワン・コーラス目である。主人公は、夕方の駅で[見覚え]のある人物と偶然、出会うのである。なぜ[見覚え]があったかというと[昔愛してた]人だったからだ。
で、久しぶりなのに主人公が相手を判別できたのは、当時、彼が着ていたのと同じレインコート姿だったからなのだ。ずっと着ているということは、そのコートはかなりの上物であることが想像できる(英国のアクアスキュータムとか、そのへんのメーカーを想像した)。
二年の間に生じた、お互いの変化
ツー・コーラス目に行こう。1番に[昔]とあったので、けっこう前のことかと思ったら、実は[二年の時]だったことが判明する。で、ここで主人公は、自分と相手との変化に着眼する。
自分の変化は[髪]、ヘアスタイルであり、相手の変化は[まなざし]。いやはやこのあたり、相手の変化のほうが根が深そうである。一人の人間の[まなざし]が変化してしまうというのは、相当なことだ。
さらにこの変化は、ポジティヴというよりネガティブなものなんじゃないかと想像した。二年前より彼の目がキラッキラしてたとしたら、こういう書き方はしない。実際この相手は[うつむく横顔]を主人公に見せている。
彼が乗車したあと、自分は[ひとつ隣]に乗ることとなる。たまたまなのか、自分の存在を相手に気づかれないためのことなのか、そのあたりは不明だが、夕方の混んだ時間帯ゆえ、ホーム上での自由な往来もままならないだろうし、ここでは“たまたま説”を採っておくことにする。
このツー・コーラス目は、二人の過去を解明する意味で重要だ。主人公は[今になって]、当時の相手の気持ちを[初めてわかる]と独白しているのだ。具体的にどういうことなのかというと、[私だけ 愛してた]という事実である。
これはいったい、どういうことなのだろうか。[私だけ]とわざわざ書いているということは、当時、他にも選択肢があったということだろう。
とってもオーソドックスな解釈をするなら、かつて主人公と相手と、さらにもう一人の女性が、登場人物として存在していたことだ(平たく言えば三角関係)。
この歌が教えてくれること。それは…、今が一番!
[ラッシュの人波]以降のエンディングは、色々な想像が出来る書き方になっている。[消えてゆく 後ろ姿]というのは、主人公が車内から相手のことを見送っているということだろう。ラッシュアワーのなかに吸い込まれていくレインコートの背中が目に浮かぶ。
いっぽう、主人公は主人公で、自分の最寄り駅で下車する。彼女が改札をくぐる頃には[雨もやみかけた]わけで、[ありふれた夜]がやってくると、そう歌っている。
もちろんこの[雨]というのは比喩でもある。思いがけず、かつて恋愛関係にあった相手と遭遇した主人公の、心のざわめきを表現し、それももう、改札を出た頃には[やみかけた]と言っているわけだ。
いま現在の彼女には自分を大切にしてくれる人がいるのだろうし、歌を聴き終わって思うのは、相手より自分のほうが、おそらく人生の勝者っぽいことである。
ただ、彼女が今後も“勝ち続ける”ために必要なのは、いっけん[ありふれた]もののなかに、特別な価値を見出していくことだろう。
焼け木杭に火がつくことなく鎮火した歌であり、でもだからリアルな歌なのだ。
恋愛には、餅つき大会のお餅みたいなところがある。つきたての柔らかい時しか、思い通りの形に出来ない。時間が経てば、ひび割れていくしかないし、今更形を変えるなんて不可能なのだ。
さて最後に。この歌の主人公の彼女のことは、もはやどうでもいい。心配なのは、[うつむく横側]の“アクアスキュータム君(仮称)”のほうだろう。
この歌が発表されてからずいぶん経つが、彼は元気で居るのだろうか。もう混んだ電車なんかに乗る必要のない、悠々自適の生活をしているならいいのだが。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
先日、とある仕事で某ビルへ出掛けたのだが、上階で取材を終え、エレベーターが一階に着き、ドアがあくと、ぎりぎり入れられるかなくらいの大きなクリスマスツリーを、運搬するところだった。思わず衝突しそうになる。運んでた人達は、中から人が出てくるとは思わなかったようだ。でも、モノがツリーだっただけに、「危ないな、気をつけてよお~」みたいにはならなかった。僕も彼らも、その瞬間、にっこり笑顔に。これもクリスマスが近づき心が柔らかくなっていたからこそだと思った。
先日、とある仕事で某ビルへ出掛けたのだが、上階で取材を終え、エレベーターが一階に着き、ドアがあくと、ぎりぎり入れられるかなくらいの大きなクリスマスツリーを、運搬するところだった。思わず衝突しそうになる。運んでた人達は、中から人が出てくるとは思わなかったようだ。でも、モノがツリーだっただけに、「危ないな、気をつけてよお~」みたいにはならなかった。僕も彼らも、その瞬間、にっこり笑顔に。これもクリスマスが近づき心が柔らかくなっていたからこそだと思った。