第152回 槇原敬之
 槇原敬之のデビュー35周年企画は昨年から続いているが、今年は彼の自主レーベルの15周年でもあり、この12日に『Buppu Label 15th Anniversary “Showcase!”』というベスト・アルバムがリリースされる。そこで今回は、このアルバムから僕自身お薦めの名曲について書かせて頂く。

photo_01です。 2011年7月27日発売
一曲目は「林檎の花

 歌の登場人物は「君」、さらに「彼」と「彼女」であり、歌詞に直接登場しないが、みんなのことを見つめる“自分”も存在し、語り部の役割を果たしていく。

この歌のなかで槇原は、[恋と愛はまるで違う]と前置きし、その差は[林檎とその花」みたいであると言っている。通常、愛はそこかしこに様々な濃淡で存在し、それが恋という成就を果たし、ラブ・ソングの歌詞になっていくが、この歌は違うのだ。

恋も大事だが、前段階の愛こそが、もっと大事だと歌っている(ように僕には聞こえる)。

林檎の花」のなかの主なエピソードは、写真にまつわるものである。そして、カメラのファインダーが切り取る“フレーム”は、実は心の中にも存在することを伝えている。

「君」は「彼女」と同じ“フレーム”のなかに居られることを、とても愛しく感じるのだ。なお、この歌の最後には、座布団を一枚差し上げたくなるような可愛らしいオチも用意されている。

photo_01です。 2012年10月24日発売
二曲目は「ゼイタク

 いつも一緒にいる相手がそこに居なくて、勝手が違うし戸惑う主人公…。これは「もう恋なんてしない」と共通する部分でもあるが、あの歌は別れを描いており、今回は継続中(相手は旅行中)の関係を描いている。

主人公は束の間、独り身の気ままさを満喫し、それを贅沢と思う。ところが、そんなものにはすぐに飽きる。やがて、本当の贅沢に気づくのだ。

居るべき人が居てくれる、その空間こそが、掛け替えのないものであることに…。

喪失感のなか、ベランダで煙草を燻らせるシーンが秀逸だ。[煙草の螺旋階段]に、自分の溜息よ[のぼっていけ!]と指図する場面がある。吐き出した煙が実際に螺旋階段のようだったかは不明である。

でも、“そう見えてしまったくらい、想いは切実だったのだろう。それにしてもこの部分の描写はズバ抜けてる。映画の特撮のようにコトバを操るのが槇原敬之なのである。

photo_03です。 2014年2月26日発売
三曲目は「Life Goes On~like nonstop music~

 本当の自分らしさへ辿り着けない人へのメッセージを含む歌である。だとすると、“押しつけ”や“お節介”になる危険性もあるが、この歌の場合は心配ご無用だ。ひところ流行った“励ましソング”のようでいて、ちょっと違う。敢えて言うなら“気づかせソング”である。

固まった価値観を打破するためのヒントとして、こんな描写が出てくる。[モデルみたいな彼女]と[ずっと背の低い彼]とが、仲良く街を歩いていたのである。

常識から抜け出せない頭で考えるなら、「釣り合わないカップル」に見えるだろう。でも二人は、お互いに魅力を感じるからこそ行動を共にしているハズ。既製品の“らしさ”で判断せず、自由に感性を解き放す大切さを教えてくれるのだ。

photo_03です。 2016年12月14日発売
四曲目は「運命の人

 今回のベスト・アルバムのなかでも正統派バラードの白眉である。主人公には好きな人がいる。しかしその彼女は、主人公の友人に想いを寄せる。現状、三者のなかで成就した恋はひとつもない。この状態のままイントロからアウトロまで、静かに感情が流れていく。ただ“それだけ”の歌と言える。

歌詞の書き方が特徴的だ。映画でいうならワンカット(長回し)の手法が使われる。想いを寄せる友人のことを[聞きだそう]と、彼女は主人公を[焼き鳥屋]に誘う(もし誰かとのデートなら、別の店と思われる)。そして主人公は、帰り道が同じ方向ゆえ、彼女を送っていく。

途中、通りかかった洋服屋のウィンドウでのシーンが切ない。彼女は主人公に質問してくるが、それはつまり、[男心のサンプリング]をしたいがため。主人公は、自分のことより彼女の恋の成就を願い、その質問に[真面目に答えて]しまうのだった。

ここ、切ない。もう、切ないというコトバがすり切れちゃうほど、何度も何度も書き記したくなるほど切ないシーンなのである。

3月から始まる今回のベストを引っ提げてのツアーで、「運命の人」は歌われるのだろうか? もしそうなら、大判のハンカチ必携だろう。

photo_03です。 2019年2月13日発売
五曲目は「In The Snowy Site

 この原稿を書いているのは大寒波の真っ只中。大雪の被害が心配だ。ただしこの歌の場合、めったに雪が降らない東京の雪景色を描いている。

積雪の多い地方の方が呆れるほど、この街は雪に脆弱だ。数センチで大騒ぎする。街が機能を失う景色のなか、傘を差し、外を歩く主人公の姿が描かれている。

悪天候ではあるが、彼は[こんな日がたまにあるほうがいい]と呟く。世の中というのは、すべて思い通りにいくわけではない。そのことを[思い出せる]大切な日だと、そう受け止めるのだ。マイナスも時にプラスに転じることを知っている、マキハライズムが色濃く出ている描写である。

雪で動きを止めた周囲とは反対に、主人公の心は回転数を上げたようだ。そして、[たぶん君を好きになる]というコトバが浮かぶ。積雪による、“すべてが思い通りにいくわけではない”ことを悟った筈だが、だから余計、この呟きに決心も感じる。

彼は相手に、何らかの意思表示をするかもしれない。まだ日陰に雪が残る、数日以内に…。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

これからの人生は健脚であることが重要と考え、散歩をよくしているが、歩くと文章が思い浮かぶという利点もあり、もはややめられなくなっている。で、歩くには歩きやすい靴、ということで、探して買ったのだが、インソールを交換するとさらに歩きやすくなる場合もあり、現在、研究中なのであった。