サカナクションの「怪獣」は、歌詞を考察することに喜びを感じる人間にとって、非常に歯ごたえのある楽曲である。
改めて紹介するまでもないが、NHKで昨年10月からこの3月まで放送されたアニメ『チ。―地球の運動について―』のオープニング・テーマとして親しまれ、そのままチャートを席巻することとなった大ヒット作品だ。
もちろんアニメと歌は無関係ではなく、作者の山口一郎は、原作に触れ、インスパイアされ、しかしそこに囚われることはなく、己から沸き立つイメージを重ねつつ完成させている。 なお、彼がうつ病を抱えつつ楽曲制作に邁進する姿は、同局でドキュメンタリーが制作され放送された。しかし僕は、“だからこの作品はこうなのだ”という読み解きはせず、いつものように、コトバのみと向き合い、書いていくことにしたい。
改めて紹介するまでもないが、NHKで昨年10月からこの3月まで放送されたアニメ『チ。―地球の運動について―』のオープニング・テーマとして親しまれ、そのままチャートを席巻することとなった大ヒット作品だ。
もちろんアニメと歌は無関係ではなく、作者の山口一郎は、原作に触れ、インスパイアされ、しかしそこに囚われることはなく、己から沸き立つイメージを重ねつつ完成させている。 なお、彼がうつ病を抱えつつ楽曲制作に邁進する姿は、同局でドキュメンタリーが制作され放送された。しかし僕は、“だからこの作品はこうなのだ”という読み解きはせず、いつものように、コトバのみと向き合い、書いていくことにしたい。


まずはタイトルの「怪獣」について
このコトバは様々に解釈出来るが、こちらに危害を加えるほど強靭なパワーをもつ“生命体”を指すのが一般的だ。しかし演歌歌手の島津亜矢さんを「歌怪獣」と呼んだ場合、ここでの“怪獣”は“類い希なる才能の持ち主”というポジティヴな意味となる。サカナクションの場合、何を意味するのだろうか? でも思うに、ネガティヴのようで、ポジティヴな使い方である気がする。
この二文字、まず歌の冒頭で、[暗い夜の怪獣]という形で登場する。この場合、コトバの比重は“暗い夜”にある。アニメ『チ。―地球の運動について―』との関連でいうなら、宇宙が舞台だと想像できるし、だとしたら、例えば[暗い夜の怪獣]を、このように解釈するのはどうだろう?
地球という小さな惑星で暮らす我々にはコントロールしようのない、宇宙の成り立ちや、時間や距離の起源といった絶対的な存在を、“怪獣”と表現しているのだ。
そのあとの展開においても、そんな感じである。[赤と青の星々]を“怪獣”は[だんだん][順々に]食べていく。つまり、それらを超越した存在だということ。ちなみに、この場面に散りばめられた表現が、[未来から過去][昨日までの本当]のような、時間にまつわるものであることは偶然じゃないだろう。
スミマセン。ここでミルクティーを一口(砂糖入り)。いやはやこれを書いていて、なにか壮大な、いや、壮大なんてコトバでは表せない、もっと深淵な、どでかい気分になっちゃった。
しかもそれが、無限に知覚が拡張していく、みたいな柔らかい感覚ではなく、一定の緊張感とともに届いてくるのがこの歌の新しさ、素晴らしさなのだろう。
[何十螺旋の知恵の輪]は未だ解けない
さて、歌の最初のほうで“怪獣”は[叫ぶ]けど、そのあと辿り着いたのは[知る]だ。ここはもしや、人類の誕生を意味するかもしれない。他の動物にはない人間だけのモノ…、それは思考力。ここに登場するキラーフレーズが[何十螺旋の知恵の輪]である。
このコトバからイメージするのは、DNAに乗っかった遺伝子情報の二重螺旋構造、みたいなこと。しかし[知恵の輪]と、パズル形式にするのがポイントだ。未だ理想などとはほど遠く、争いを繰り返すのが人類。でも(その“知恵の輪”が)[解けるまで行こう]と書いてくれている。前向きになる、勇気を授かる、そんな歌詞になっている。
[丘の上]の[寂しさ]を[朝焼け]で[忘れてる]
次に、[丘の上で星を見ると]以下の部分。ここ少し難解でもある。宇宙というより地球の地上の感覚。そこを踏みしめる、我々自身の行いに関する記述である。
なぜ[丘の上で星を見ると][寂しさ]を覚えるのだろう。少し難解と書いたが、ここで重要なワードは[寂しさ]だ。でもだからといって、「友達も都合悪いっていうし、今度の日曜日、行くとこないし、寂しいな」とかっていうのとは異質の感情なのだ。僕はユーミンでいうところの「悲しいほどお天気」の“悲しい”に近い感覚だと思うのだが、さてどうだろうか。
サカナクションの場合は丘で星を見るわけなので、たとえば自然と共生するネイティヴ・アメリカンのことを引き合いに出したりしてみよう。彼らは朝や夕に祈りを捧げ、一日の区切りのなかで魂の浄化させていく。そんなイメージにも近いと思うのだが…。
[この世界は好都合に未完成]ってどういうこと?
歌の後半に登場するのは[実]や[花びら]といった植物に関するワードで、特に[花びらは過去]というのが他の歌ではみられない表現だ。
でも花が散るだけじゃなく[実]というコトバも添えてあることで、先へ繋がっていく。[怪獣]じゃなく[懐柔]なんてコトバ遊びもある。[寂しさ]が[淋しさ]という表記にもなっているがが、この使い分けは不明。そしてエンディングへと、この歌のなかでもっともキャッチィと思われる、あのフレーズが炸裂するのである。
[この世界は好都合に未完成]。これは棒読みじゃだめだ。“♪このせかぁ~いは こうつごぉ~に み か~んせ~ぃ”とメロを伴って印象深くなる。とてもポジティブな表現だ。“未完”てことは先がある。さらに“都合”も悪くない。そしてそして、再び[怪獣]が登場する。
もはや最後は、主人公が[怪獣]になりきり、この世を司ろうとするかのようだ。気力充実&勇気凜々。 歌の冒頭の[暗い夜の怪獣]も、実は主人公の化身であったことが、歌の結びである[また怪獣になるんだ]でハッキリとする。好都合は続く。[好都合に光ってる]という表現も出てくるぞ。光! 探していたのはそれだった。
この歌を聴くなら、最初から最後まで、漏れなく聴きましょう。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
大仕事を終えた後は仕事場を整理整頓することにしている。でないと、次へと向かえない。と、いうか、
前の仕事の資料が散乱しており、それらの片付けは必須なのである。開いたままの雑誌や本が、
まるで組み体操のように、数冊下向きに重なってたりもする。“彼ら”にご苦労様と声かけつつ、
一冊ずつ、所定の場所に戻すのである。
大仕事を終えた後は仕事場を整理整頓することにしている。でないと、次へと向かえない。と、いうか、
前の仕事の資料が散乱しており、それらの片付けは必須なのである。開いたままの雑誌や本が、
まるで組み体操のように、数冊下向きに重なってたりもする。“彼ら”にご苦労様と声かけつつ、
一冊ずつ、所定の場所に戻すのである。