第156回 宇多田ヒカル「Mine or Yours」
 今回は、宇多田ヒカルの新曲「Mine or Yours」について書かせていただく。MVは実に斬新な演出によるものであり、また歌詞は、すでにネット上で話題沸騰である。ちなみにこの歌のタイトルは、“Mine”と“Yours”というふたつの所有代名詞で成り立っているが、もちろんそこには、大きな意味が込められているのだろう。

なお、一部で“選択的夫婦別姓制度応援ソング”みたいにも言われているけれど、まあ歌というのは、特定のフレーズを切り取られ、そこだけ語られる運命を併せ持つわけである。

それは仕方ないこと…、でもあるが、本コラムは本コラムらしく、この歌をまんべんなく味わっていくことにしよう。もちろん、この話題に関しても、のちほど触れさせていただくが…。

photo_01です。 2025年5月2日配信
ちょっと意外な始まり方に引き込まれる

 この歌、いきなり自己憐憫とも受け取れる始まり方をする。で、最初のほうに出てくる[君を泣かせるやつ]の“やつ”というのは、自分自身のことのようだ。なぜ自分をそんなふうに言うのだろうか? このあたりから、作品に引き込まれていった。

でもこれ、昨日は君を泣かせてしまったけど、時間が経って、自分を客観視し始めている証拠かもしれない。そして歌は、[自分を大事]にできないのならなんにも[守れない]と続いていく。

考えるまでもなく、自分のことすらおぼつかないなら、相手を守るなんて到底ムリ。そんなこといちいち歌に書かなくても分かってるよと、そう呟いたヒトもいただろう。でも、分かり切っていることを敢えて歌うのも、ポップ・ソングのひとつの役割なのだろう。

これは緑茶のCMソングである

 次に僕が注目したいのは[君はコーヒー 僕は緑茶]というフレーズだった。2年連続アンバサダーを務める「綾鷹」のCMソングだということを踏まえると、もちろん緑茶が登場するのは“職業ソングライター”としてクライアントとのタイアップをまっとうに果たした結果であるし、このあたりの“お題拝借”をいかに粋にこなすかも注目すべきことなのだ。

それが、“君は緑茶 僕も緑茶”とかっていうのじゃないからイイのである。ていうか、それではガチ過ぎて耳が気持ちよくない。この部分にしても、伝えたいことがあってこうなったのだろう。

「君」と「僕」の関係性を描いた部分だ。二人は近くにいる。一緒に居て、大切にすべきはどういうことだろうか。やはり、精神的に繋がっていることがまず大事なのである。やることやなすことが、何でもかんでも同じじゃなくてもいい。

それをごく日常のありふれた選択、一息つきたい時に手にするカップの中身の液体を例に、こう表現しているわけだ。改めて、この歌のタイトルに“Mine”と“Yours”の二語があることを想い出そう。

それぞれが相手のこと、自分の所有物だと勘違いしたらもうオシマイなのだし、お互いの居場所にしてもそうだ。

道を選ぶ 道を失う こんな考え方もあったのか!

 さらに[どの道を選ぼうと]のあたりも実に印象に残る。歌は、こんなこと言っている。道を選ぶという選択は、[選ばなかった道を失う寂しさ]とセットになっているというのだ。これはいったいどういうことなのだろう!? これまで考えてみなかった感覚ともいえる。

巷によくある例なら、「道を選べる」こと自体、つまり「選択の余地がある」イコール「人生の可能性」と結びつけられる。でも本作は、そんな常套表現ではない。ただ前に進むだけじゃなく、[選ばなかった道]へと引き戻される。

ここで言う[道を失う寂しさ]とはどういうことなのだろうか。よく考えて、この言葉を噛みしめてみることが必要なようだ。あまり他ではお目にかからないインパクトのある“感覚”だ。さすが宇多田ヒカルである。

さて、ここらで最後にあの話題を

 冒頭でも触れたが、「Mine or Yours」の歌詞には、ハッキリと選択的夫婦別姓制度が成立することへの願い・支持が歌われている。この制度についてはだいぶ前から議論されてきたが、自民党の一部支持団体が反対しているため、それを配慮して自民党がなかなか法案を通そうとしない、というのが一般的な見立てである。

これは保守をはき違えた行為としか思えない。そもそも、必ずしも夫婦別姓にしなきゃいけないわけではない。そうしたい人には自由を与えるということなのだから、少しでも民主的な考えの持ち主なら、反対の理由など無いはずだ。なのに、世の中には(かつての井村屋のあずきバーより)コッチコチの人達が居るわけなのである。

宇多田ヒカルは、この状況を忸怩たる想いで眺めていたからこそ、今回、はっきり自分の歌のなかで意思表示したのだろう。自分で書いて、自分の声で歌うという、誤解しようのない行為に出たのだ。

ただこれは意見書とかではなくあくまで歌詞なので、こんな受け取り方も可能だろう。この部分は個人の意見というより、ただ単に、現代日本の姿がたまたま“映り込んだ”という捉え方だ。

しばしば優秀なポップ・ソングは、鏡のように世情を映すというし、その場合、ソングライタ―個人の意見を超えていくところがある。

いずれにしても、ひとつの歌が多方面で話題になるのは歓迎すべきことだ。歌はメディアでもある。久しぶりに、そのことを証明する名曲が誕生したのだ。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

かなり前に原稿を書かせていただいていた雑誌が懐かしくなり、丸々三年分、合計36冊、古本屋さんや
フリマのサイトを探してみたところ、意外とあっさり揃ってしまった。そのうち二年分は、メルカリに同じ方が出品してたのを譲ってもらっただけだった。たまたまタイミングが良かったのだろう。他の出品はなかったし。かつてご縁があった雑誌とは、今もご縁がある、ということなのだろうか。