秋から始まったドラマのなかでも高視聴率を続ける『逃げるは恥だが役に立つ』。あの番組で役者としてはもちろん、主題歌の「恋」を歌い、さらに“恋ダンス”も全国規模でブームを起こし、まさにまさに絶好調なのが星野源である。今回、「恋」にしようか迷ったけれど、本コラム初登場ということもあり、彼がお茶の間でも知られるキッカケとなった「SUN」を選ぶことにした。
そういえば昨年の大晦日、星野源はこの曲で紅白出場を果たした。注目されたらされたで、みんなの関心は彼の中身へと向かっていった。でもホンモノだった。表現者としての矜持が、体のなかにぎっしり詰まった男であることが判明した。それが今年のさらなる快進撃へと繋がったのである。
星野源がホンモノである理由
彼が歩んできた道のりを簡単に振り返ってみよう。そもそも星野源は、演劇で頭角を現わした。ただでさえ激しい批評に晒される世界で地歩を固めたわけだ。一方、学生時代の仲間と組んだサケロックというバンドも音楽通には知られていた。歌のないインスト・バンドという形をとりつつ演奏だけで“歌って”みせて、評価が高かった。もちろんシンガー・ソング・ライターとして「くせのうた」などの名作を、また執筆活動などでも着実に読者を得ていた。単に「CDも出しました」、「エッセイ集も出しました」というのとはまったく違う次元の話だ。ひとつひとつ、そのジャンルで揉まれ、鍛えられてきた。その集合体こそがいま現在の星野源のホンモノの中身なのだろう。
パフォーマンスをする前に、彼は「星野源でーす」と、律儀に名乗ってから始めることが常である。目の前にいるのが自分を知ってる人達であっても知らないない人達であっても、彼はそうやって登場してくる。なぜなのか。おそらく…。常にブランニューな自分で居たいからではなかろうか。知ってる人にも知らない人にも、気持ち的にはいつも初対面。新鮮なトキメキを届けるためにも、敢えてそうしているのではなかろうか。
夜明けの太陽が出てくるイメ−ジ
ではさっそく「SUN」のことを。この歌を聴いて元気が出た、励まされた、という人は多い。僕もその一人である。でも人間というのは、ただノリのいい曲を聴けば元気になれるわけではない。この曲が人々をそうさせたのには理由がある。
まず「SUN」は、誰かに励ましの言葉をおくる内容ではない。むしろこの歌の主人公こそが、励ましてもらいたいと願い、それが少しずつ叶えられていく“兆し”が描かれている作品だ。ここがポイントだろう。だからイイのだろう。なぜなら歌の主人公と聴き手は、同じ立場といえば同じ立場で居られるし、なのでこの作品は、お節介な感じも鬱陶しい感じも与えることなく、大いにその効能を発揮することが出来るのだ。効能とは、主人公とともに、“兆し”を体験することに他ならない。
歌詞を細かく見ていこう。まず“壊れそうな夜”とか“頬に小川流れ”という、かなり重大な困難に苛まれている様子が伺える。でもこのふたつと対になって、空は晴れてたり鳥は歌ってたりという言葉も置かれていて、さきほども書いた通り、困難を抜け始めている“兆し”を感じ取ることが出来る。でもだとしたら、この歌のなかに出てくる「君」とは誰のことなのかが気になる。
実は、名指ししているのである。星野源のティーンの頃のアイドルであるマイケル・ジャクソンだ。歌の途中で“Hey J”と、彼のイニシャルが出てくるのである。“あのスネアが”と、楽器のドラムのことが出てくのは、マイケルの楽曲のことか、またはライヴ・パフォーマンスの一場面が主人公の頭に蘇るたびに、勇気へとつながるということだ。さらに歌詞を眺めれば、“月の上も”という言葉もあって、これは“ムーン・ウォーク”に引っ掛けたものだとも推測される。
ただ彼は、「自分の好きなものをいっぱい詰め込んだ曲」だと言っていたので、他にも僕には気づかない要素が隠されているのかもしれない。もちろんそれは、歌詞ということだけでなく、楽器のフレーズとかアレンジ面においても…。
と、こう書いておいてなんなのだけど、歌というのは様々に受け取れるから楽しい。もしかして「君」は、主人公の大切な人かもしれないし、曲のタイトルにもなっている、太陽のことかもしれない。そう受け取れないこともない。だとしたら、サビに出てくる“君の声”は、陽の光のことだろう。
彼にインタビューした時、「まず、夜明けの太陽が出てくるイメージがあって、そこから言葉を当て嵌めていく作業をしたらこの歌になった」と言っていたので、この「君」が太陽のことであっても不思議ではないのだ。さらにこの歌がライブで歌われたなら、「君」とは目の前の観客のことでもある。もちろんそうであるなら、“君の声”とはみんな声援のことだ。
死生観、といっても重苦しいものではなく…
「SUN」は元気をくれる曲だけど、もうひとつ、僕が注目する歌詞がある。それは、“僕たちはいつか終わるから 踊るいま”、というフレーズだ。単にハッピーなものを書こうとしてたら出てこない表現である。特に“いつか終わるから”というのは、特に…。この歌を書きつつ、彼は人生の儚さというか、そこから転じて、日々を愛おしく生きることの大切さにも行き着いたのかもしれない。楽しく生きなきゃ後悔する…。でもこれは、実体験からのものでもある。
その人生は、順風満帆だったわけではないからだ。ご存知の方も多いだろうが、突然の病魔に襲われ、活動休止を余儀なくされた時期を経験しているのだ。その頃は、あれだけ好きだった音楽なのに、聴く気も起こらなかったという。とはいえ外に遊びにも行けないし、やはり心を癒やす何かが必要で、少しずつ、聴き始めたそうなのだ。しかし、いかにも自分を癒してくれそうな優しい音楽を聴くと、さらに落ち込んでしまったという。ではアッパーな曲ならいいのかといえば、逆に辛くなってしまった。自分とはかけ離れたものに感じられ、取り残された気分になったからだ。
そんな中、唯一というか、その心境のなかでも楽しく聴けたのが、70年代の終わりから80年代の頭くらいのソウル・ミュージックだったそうだ。具体的にはアース・ウィンド・アンド・ファイヤーやエモーションズ、そして彼のアイドルであるマイケル・ジャクソンなどの作品だ。「SUN」の曲調というのは、これらのサウンドにインスパイアされたものなのである。そして“僕たちはいつか終わるから 踊るいま”、というフレーズも、その時の実感から生まれたわけだ。
彼は病魔にも打ち勝った。自分に降り掛かった困難も、すべてをポジティブ転換したのだ。「SUN」という曲に備わっている説得力は、それゆえここに宿ったとも言える。 いやでも、じっと座って励まされているだけじゃダメなのだ。踊ろう。そもそもこの歌の“♪Ah Ah”のところなどは、体の動きも伴ってこそ成立するのだから。
そういえば昨年の大晦日、星野源はこの曲で紅白出場を果たした。注目されたらされたで、みんなの関心は彼の中身へと向かっていった。でもホンモノだった。表現者としての矜持が、体のなかにぎっしり詰まった男であることが判明した。それが今年のさらなる快進撃へと繋がったのである。
星野源がホンモノである理由
彼が歩んできた道のりを簡単に振り返ってみよう。そもそも星野源は、演劇で頭角を現わした。ただでさえ激しい批評に晒される世界で地歩を固めたわけだ。一方、学生時代の仲間と組んだサケロックというバンドも音楽通には知られていた。歌のないインスト・バンドという形をとりつつ演奏だけで“歌って”みせて、評価が高かった。もちろんシンガー・ソング・ライターとして「くせのうた」などの名作を、また執筆活動などでも着実に読者を得ていた。単に「CDも出しました」、「エッセイ集も出しました」というのとはまったく違う次元の話だ。ひとつひとつ、そのジャンルで揉まれ、鍛えられてきた。その集合体こそがいま現在の星野源のホンモノの中身なのだろう。
パフォーマンスをする前に、彼は「星野源でーす」と、律儀に名乗ってから始めることが常である。目の前にいるのが自分を知ってる人達であっても知らないない人達であっても、彼はそうやって登場してくる。なぜなのか。おそらく…。常にブランニューな自分で居たいからではなかろうか。知ってる人にも知らない人にも、気持ち的にはいつも初対面。新鮮なトキメキを届けるためにも、敢えてそうしているのではなかろうか。
夜明けの太陽が出てくるイメ−ジ
ではさっそく「SUN」のことを。この歌を聴いて元気が出た、励まされた、という人は多い。僕もその一人である。でも人間というのは、ただノリのいい曲を聴けば元気になれるわけではない。この曲が人々をそうさせたのには理由がある。
まず「SUN」は、誰かに励ましの言葉をおくる内容ではない。むしろこの歌の主人公こそが、励ましてもらいたいと願い、それが少しずつ叶えられていく“兆し”が描かれている作品だ。ここがポイントだろう。だからイイのだろう。なぜなら歌の主人公と聴き手は、同じ立場といえば同じ立場で居られるし、なのでこの作品は、お節介な感じも鬱陶しい感じも与えることなく、大いにその効能を発揮することが出来るのだ。効能とは、主人公とともに、“兆し”を体験することに他ならない。
歌詞を細かく見ていこう。まず“壊れそうな夜”とか“頬に小川流れ”という、かなり重大な困難に苛まれている様子が伺える。でもこのふたつと対になって、空は晴れてたり鳥は歌ってたりという言葉も置かれていて、さきほども書いた通り、困難を抜け始めている“兆し”を感じ取ることが出来る。でもだとしたら、この歌のなかに出てくる「君」とは誰のことなのかが気になる。
実は、名指ししているのである。星野源のティーンの頃のアイドルであるマイケル・ジャクソンだ。歌の途中で“Hey J”と、彼のイニシャルが出てくるのである。“あのスネアが”と、楽器のドラムのことが出てくのは、マイケルの楽曲のことか、またはライヴ・パフォーマンスの一場面が主人公の頭に蘇るたびに、勇気へとつながるということだ。さらに歌詞を眺めれば、“月の上も”という言葉もあって、これは“ムーン・ウォーク”に引っ掛けたものだとも推測される。
ただ彼は、「自分の好きなものをいっぱい詰め込んだ曲」だと言っていたので、他にも僕には気づかない要素が隠されているのかもしれない。もちろんそれは、歌詞ということだけでなく、楽器のフレーズとかアレンジ面においても…。
と、こう書いておいてなんなのだけど、歌というのは様々に受け取れるから楽しい。もしかして「君」は、主人公の大切な人かもしれないし、曲のタイトルにもなっている、太陽のことかもしれない。そう受け取れないこともない。だとしたら、サビに出てくる“君の声”は、陽の光のことだろう。
彼にインタビューした時、「まず、夜明けの太陽が出てくるイメージがあって、そこから言葉を当て嵌めていく作業をしたらこの歌になった」と言っていたので、この「君」が太陽のことであっても不思議ではないのだ。さらにこの歌がライブで歌われたなら、「君」とは目の前の観客のことでもある。もちろんそうであるなら、“君の声”とはみんな声援のことだ。
死生観、といっても重苦しいものではなく…
「SUN」は元気をくれる曲だけど、もうひとつ、僕が注目する歌詞がある。それは、“僕たちはいつか終わるから 踊るいま”、というフレーズだ。単にハッピーなものを書こうとしてたら出てこない表現である。特に“いつか終わるから”というのは、特に…。この歌を書きつつ、彼は人生の儚さというか、そこから転じて、日々を愛おしく生きることの大切さにも行き着いたのかもしれない。楽しく生きなきゃ後悔する…。でもこれは、実体験からのものでもある。
その人生は、順風満帆だったわけではないからだ。ご存知の方も多いだろうが、突然の病魔に襲われ、活動休止を余儀なくされた時期を経験しているのだ。その頃は、あれだけ好きだった音楽なのに、聴く気も起こらなかったという。とはいえ外に遊びにも行けないし、やはり心を癒やす何かが必要で、少しずつ、聴き始めたそうなのだ。しかし、いかにも自分を癒してくれそうな優しい音楽を聴くと、さらに落ち込んでしまったという。ではアッパーな曲ならいいのかといえば、逆に辛くなってしまった。自分とはかけ離れたものに感じられ、取り残された気分になったからだ。
そんな中、唯一というか、その心境のなかでも楽しく聴けたのが、70年代の終わりから80年代の頭くらいのソウル・ミュージックだったそうだ。具体的にはアース・ウィンド・アンド・ファイヤーやエモーションズ、そして彼のアイドルであるマイケル・ジャクソンなどの作品だ。「SUN」の曲調というのは、これらのサウンドにインスパイアされたものなのである。そして“僕たちはいつか終わるから 踊るいま”、というフレーズも、その時の実感から生まれたわけだ。
彼は病魔にも打ち勝った。自分に降り掛かった困難も、すべてをポジティブ転換したのだ。「SUN」という曲に備わっている説得力は、それゆえここに宿ったとも言える。 いやでも、じっと座って励まされているだけじゃダメなのだ。踊ろう。そもそもこの歌の“♪Ah Ah”のところなどは、体の動きも伴ってこそ成立するのだから。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。なんでも2019年から一年間、日本武道館が大規模な改修工事に入るそうで、都心のコンサート会場不足は、今後もオリンピックまで続きそうです。で、ここのところ立て続けに武道館でライブを見る機会がありまして(大原櫻子、Mr.Children、コブクロ…)、やはりあそこは格別なんですね。八角形の建物ゆえ、観客同士が膝をつきあわせてアーティストを囲んでる感じがするし、どの席からも直線距離ならステージが近い。ちなみにあそこでライブをやると、(これは某アーティストから聞いた話ですが)拍手がまさに天井から降りそそぐ感じで届くそうなんです。
洋楽邦楽とわず、過去に歴史的名演が多いのは、そんな環境もあってのことなのではないでしょうか。
文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。なんでも2019年から一年間、日本武道館が大規模な改修工事に入るそうで、都心のコンサート会場不足は、今後もオリンピックまで続きそうです。で、ここのところ立て続けに武道館でライブを見る機会がありまして(大原櫻子、Mr.Children、コブクロ…)、やはりあそこは格別なんですね。八角形の建物ゆえ、観客同士が膝をつきあわせてアーティストを囲んでる感じがするし、どの席からも直線距離ならステージが近い。ちなみにあそこでライブをやると、(これは某アーティストから聞いた話ですが)拍手がまさに天井から降りそそぐ感じで届くそうなんです。
洋楽邦楽とわず、過去に歴史的名演が多いのは、そんな環境もあってのことなのではないでしょうか。