今月は、この数年間で最も成長したバンドのひとつであるONE OK ROCKの歌詞を探訪してみることにした。僕は彼らのこと、詳しいわけではないけど、ライヴでの実力なら、知っていた。特にこのバンドのボーカルの凄さは…。
かなり前だけど、ライヴ・ハウスで彼らを観たことがあって、今も印象深いのは、takaの声の、類い希なる強靭さだった。
いくら頑張ってロックを歌っても、エモーショナルにはなっても強靭という言葉にはふつうは届かないものである。もし声にも“体格”があるなら、どうしても洋楽のロック・ボーカリストの独壇場となりがちだったりもする。
でも、実に実に久しぶりに、強靭の二文字が似合いそうだったのが、見た目は細身のtakaだったわけである。別にその時、その後の彼らの快進撃を、僕が予感していたわけじゃない。しかし純粋に、その歌声を評価したくなったあの日のことを思いだしたので、まず最初に書かせて頂いた。
言葉の冒険と創意に富んだワンオク・ワールド
さて本題。彼らの歌詞を見ていこう。でもワンオクを知ってる人達は、こう言うだろう。「あのバンドは英語がメインじゃないの?」。確かにそうであり、海外でも地歩を固めつつあるここ最近は、さらにその傾向が高まっていると言えなくもない。
しかし代表作と言われるものの中にも、多数、日本語の表現として実に興味深いものがあるのだ。そんなこと、彼らのファンの方々はとってNIだろうが、そのあたりを今回、このコラムで検証してみることにする(NI=何を今更)。 彼らの作品の日本語詞から伝わってくるのは、在り来たりの表現で満足するのではなく、工夫して工夫して、自分達なりの世界観を築こうとする姿勢だ。それでいて昨今の若いバンドの“ロック詩”のような、感覚過多・意味不明なところが少ない。
個人的にこういうヒト(主に詞を書いているのはボーカルのtaka)は、大好きなのである。このコラムを読んでくださっている方達も、ワンオクのそんな部分には、興味を持って下さると思うのだが…。
ちなみに彼は、Mr.Childrenの桜井和寿をリスペクトしているらしい。在り来たりじゃない、というあたりの“言葉の冒険”に対する度胸は、彼が桜井ズチルドレンだからなのかな…、とも思ってしまう。
改めて歌ネットで検索し、彼らの曲タイトルを眺めてみた。もうそれだけで、ご飯を何杯も食べられそうだった。「過去は教科書に未来は宿題」のような、ティーンの生活感が出ている表現もイイし、「アダルトスーツ」なら、なにかのパロディのように思える。「どっぺるゲンガー」の平仮名とカタカナの出会わせ方も味があり、「燦さん星」も素敵。「燦々」の“燦”という文字、美空ひばりさんが独占使用してるのかと思ったら、意外にも、ここで出会ったわけである。
言葉っていうのは語彙とセンス。語彙は辞書のお世話になればいいけど、センスは自ら磨くしかない。しかしすでにピ~ッカピカである。「独り言ロンリーナ」。これ最高のタイトルだと思いませんか? もちろん“独り言”だから“ロンリーナ”なわけだけど、こうした“軽度な意味の重複のさせ方”にもセンスを感じる。
“タイトル負け”していない「辛い+−=幸せ」
タイトルといえば、トドメは「辛い+−=幸せ」ではなかろうか。こういう数学記号を使ったものといえば、モロに昭和の話になってしまうが、今もご活躍の榊原郁恵の「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」という有名なものがあったけど(ちあきなおみの「X+Y=LOVE」もあったけど…)、この作品にもそんな工夫がみられる。
でもこれ、歌詞を読んでみたら、なんとも感激してしまったわけである。単なる言葉遊びには終わっていないのだ。まず“辛い”と“幸せ”は[隣りどうし]だと歌っていて、その時点で心に重たく感じていることも、やがて時間が軽くしてくれて、その時、それは自分のなかで[経験へと変わってく]。実に素晴らしいではないか。“♪時が〇〇してくれるさぁ~”みたいに、時間の効能を表面的に歌った作品は数あれど、これだけ説得力あるものは珍しい。
ワンオクとニール・セダカは関係ある?
さらにさらにいいなぁと思ったのが「キミシダイ列車」という作品だ。“キミシダイ”はもちろん“君次第”ってことだろうが、じゃあなぜ“列車”って言葉がくっついているのか? ご本人にインタビューしたことないから分からないけど、もしロックやポップスの系譜のなかから探ると、例えば60年代だ。ニール・セダカなどの歌に、列車を題材にしたものがけっこうあった(「恋の一番列車」など…)。歌詞からは列車と断定出来ないけど、ビートルズの「涙の乗車券」も有名だ。
こういう歌と「キミシダイ列車」は関係あるのだろうかと、そう仮定してみた。例えば次の列車で“自分の元から去って行くのもキミシダイ”とか…。 でも歌詞のなかに、“列車”からの具体的な連想は見当たらない。この歌から伝わってくるのは、今、この瞬間を疎かにせず、自分らしく生きることの尊さ、なのである。じゃあ(しつこいようだけど)なぜ“列車”なのだろう? 僕の解釈では、つまり“列車”とは、後戻りできない“時間の帯(おび)”のことなのだ。
しかも必ずしも今、自分が立っているホームに停まってくれるとは限らない特急列車かも…。そんなふうに、意識的にこの単語をタイトルに使っているとも思われる。“パチモンスーツ”とか“食いぎみでいこう!”とか、カジュアルな言葉の散りばめ方も実に上手い。
アン(un)サイズ(size)ニア(nia)?
最後に「アンサイズニア」という、人気の高い作品を取り上げる。試しにこのようにアルファベット化してみたのだが、これで合っているのだろうか。さらにこれが合っているとして、その意味を探るならば、“型になど嵌まらない者達の国”、とでも訳せばいいのだろうか。いや正直、分からんのだけど…。
ちなみに歌詞のなかに“アンサー”という文字があるので、タイトルの前半部分はそういう解釈もあるようなのだけど…。どちらにしろ、正解・不正解、ということではなく、この歌から自分だけの“オリジナルな刺激”を、どれだけ受け取れるのか…、というのが肝心なところなのである。そう。リスナーとしてのアナタの価値も、そこで決まる。彼らも歌のなかで[正解もハズレ]も本当はないんだと言っているではないか(わ。上手く話が流れていってくれたです)。
この歌の結論めいた部分は、[責任を持てるかどうか]というあたりだろうか。ただここだけ抜き出すと、とてもコンサバな考え方のような気もするけど、この一行をあえてポイントして加えているところが、実はこの作品の価値を高めたのだ。
歌詞のなかで対比しているのは[当り前]と[ナンセンス]だ。“当り前”はコモンセンス。さらに[遥か先をも描いてこう]という表現も印象的である。さっき試しに“アン(un)サイズ(size)ニア(nia)”なんて解釈をしてみたけど、僕はこのタイトルは、コモンセンスに閉じこもるのではなく、時には[ナンセンス]と誹られても、自分を貫き通して、そして想像力と創造力の限界など意識せず、[遥か先をも描いてこう]と呼び掛ける歌なのだと解釈する。それこそが、“型になど嵌まらない者達”が住む場所なのである。
かなり前だけど、ライヴ・ハウスで彼らを観たことがあって、今も印象深いのは、takaの声の、類い希なる強靭さだった。
いくら頑張ってロックを歌っても、エモーショナルにはなっても強靭という言葉にはふつうは届かないものである。もし声にも“体格”があるなら、どうしても洋楽のロック・ボーカリストの独壇場となりがちだったりもする。
でも、実に実に久しぶりに、強靭の二文字が似合いそうだったのが、見た目は細身のtakaだったわけである。別にその時、その後の彼らの快進撃を、僕が予感していたわけじゃない。しかし純粋に、その歌声を評価したくなったあの日のことを思いだしたので、まず最初に書かせて頂いた。
言葉の冒険と創意に富んだワンオク・ワールド
さて本題。彼らの歌詞を見ていこう。でもワンオクを知ってる人達は、こう言うだろう。「あのバンドは英語がメインじゃないの?」。確かにそうであり、海外でも地歩を固めつつあるここ最近は、さらにその傾向が高まっていると言えなくもない。
しかし代表作と言われるものの中にも、多数、日本語の表現として実に興味深いものがあるのだ。そんなこと、彼らのファンの方々はとってNIだろうが、そのあたりを今回、このコラムで検証してみることにする(NI=何を今更)。 彼らの作品の日本語詞から伝わってくるのは、在り来たりの表現で満足するのではなく、工夫して工夫して、自分達なりの世界観を築こうとする姿勢だ。それでいて昨今の若いバンドの“ロック詩”のような、感覚過多・意味不明なところが少ない。
個人的にこういうヒト(主に詞を書いているのはボーカルのtaka)は、大好きなのである。このコラムを読んでくださっている方達も、ワンオクのそんな部分には、興味を持って下さると思うのだが…。
ちなみに彼は、Mr.Childrenの桜井和寿をリスペクトしているらしい。在り来たりじゃない、というあたりの“言葉の冒険”に対する度胸は、彼が桜井ズチルドレンだからなのかな…、とも思ってしまう。
改めて歌ネットで検索し、彼らの曲タイトルを眺めてみた。もうそれだけで、ご飯を何杯も食べられそうだった。「過去は教科書に未来は宿題」のような、ティーンの生活感が出ている表現もイイし、「アダルトスーツ」なら、なにかのパロディのように思える。「どっぺるゲンガー」の平仮名とカタカナの出会わせ方も味があり、「燦さん星」も素敵。「燦々」の“燦”という文字、美空ひばりさんが独占使用してるのかと思ったら、意外にも、ここで出会ったわけである。
言葉っていうのは語彙とセンス。語彙は辞書のお世話になればいいけど、センスは自ら磨くしかない。しかしすでにピ~ッカピカである。「独り言ロンリーナ」。これ最高のタイトルだと思いませんか? もちろん“独り言”だから“ロンリーナ”なわけだけど、こうした“軽度な意味の重複のさせ方”にもセンスを感じる。
“タイトル負け”していない「辛い+−=幸せ」
タイトルといえば、トドメは「辛い+−=幸せ」ではなかろうか。こういう数学記号を使ったものといえば、モロに昭和の話になってしまうが、今もご活躍の榊原郁恵の「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」という有名なものがあったけど(ちあきなおみの「X+Y=LOVE」もあったけど…)、この作品にもそんな工夫がみられる。
でもこれ、歌詞を読んでみたら、なんとも感激してしまったわけである。単なる言葉遊びには終わっていないのだ。まず“辛い”と“幸せ”は[隣りどうし]だと歌っていて、その時点で心に重たく感じていることも、やがて時間が軽くしてくれて、その時、それは自分のなかで[経験へと変わってく]。実に素晴らしいではないか。“♪時が〇〇してくれるさぁ~”みたいに、時間の効能を表面的に歌った作品は数あれど、これだけ説得力あるものは珍しい。
ワンオクとニール・セダカは関係ある?
さらにさらにいいなぁと思ったのが「キミシダイ列車」という作品だ。“キミシダイ”はもちろん“君次第”ってことだろうが、じゃあなぜ“列車”って言葉がくっついているのか? ご本人にインタビューしたことないから分からないけど、もしロックやポップスの系譜のなかから探ると、例えば60年代だ。ニール・セダカなどの歌に、列車を題材にしたものがけっこうあった(「恋の一番列車」など…)。歌詞からは列車と断定出来ないけど、ビートルズの「涙の乗車券」も有名だ。
こういう歌と「キミシダイ列車」は関係あるのだろうかと、そう仮定してみた。例えば次の列車で“自分の元から去って行くのもキミシダイ”とか…。 でも歌詞のなかに、“列車”からの具体的な連想は見当たらない。この歌から伝わってくるのは、今、この瞬間を疎かにせず、自分らしく生きることの尊さ、なのである。じゃあ(しつこいようだけど)なぜ“列車”なのだろう? 僕の解釈では、つまり“列車”とは、後戻りできない“時間の帯(おび)”のことなのだ。
しかも必ずしも今、自分が立っているホームに停まってくれるとは限らない特急列車かも…。そんなふうに、意識的にこの単語をタイトルに使っているとも思われる。“パチモンスーツ”とか“食いぎみでいこう!”とか、カジュアルな言葉の散りばめ方も実に上手い。
アン(un)サイズ(size)ニア(nia)?
最後に「アンサイズニア」という、人気の高い作品を取り上げる。試しにこのようにアルファベット化してみたのだが、これで合っているのだろうか。さらにこれが合っているとして、その意味を探るならば、“型になど嵌まらない者達の国”、とでも訳せばいいのだろうか。いや正直、分からんのだけど…。
ちなみに歌詞のなかに“アンサー”という文字があるので、タイトルの前半部分はそういう解釈もあるようなのだけど…。どちらにしろ、正解・不正解、ということではなく、この歌から自分だけの“オリジナルな刺激”を、どれだけ受け取れるのか…、というのが肝心なところなのである。そう。リスナーとしてのアナタの価値も、そこで決まる。彼らも歌のなかで[正解もハズレ]も本当はないんだと言っているではないか(わ。上手く話が流れていってくれたです)。
この歌の結論めいた部分は、[責任を持てるかどうか]というあたりだろうか。ただここだけ抜き出すと、とてもコンサバな考え方のような気もするけど、この一行をあえてポイントして加えているところが、実はこの作品の価値を高めたのだ。
歌詞のなかで対比しているのは[当り前]と[ナンセンス]だ。“当り前”はコモンセンス。さらに[遥か先をも描いてこう]という表現も印象的である。さっき試しに“アン(un)サイズ(size)ニア(nia)”なんて解釈をしてみたけど、僕はこのタイトルは、コモンセンスに閉じこもるのではなく、時には[ナンセンス]と誹られても、自分を貫き通して、そして想像力と創造力の限界など意識せず、[遥か先をも描いてこう]と呼び掛ける歌なのだと解釈する。それこそが、“型になど嵌まらない者達”が住む場所なのである。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。
先日、さいたまスーパーアリーナで開催された、「スタ☆レビ大宴会~6時間大コラボレーションライブ~大抽選会付き」に行ってきました。で、6時間と銘打たれていたけど、それでは終わらないのでは(ちなみに開演は午後1時)と思ってたら、案の定、途中、休憩タイムはあったけど、8時間近くやってたのではないでしょうか。つまりこれ、ひとつの“屋内フェス”。コラボの相手はスキマにヤイコに松たか子に岸谷香に森高に美里にマーチンに小田さん、あ、杉山清貴、KAN、馬場俊英、そして放牧中のいきものの水野良樹もシークレットで登場。感心したのは各ボーカリストがそれぞれ、揺るぎない自分の歌の家元だったことと、
すべての曲、スタ☆レビがずっと伴奏してたこと。根本要のギター・ソロも、10年分くらい聴けました。
文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。
先日、さいたまスーパーアリーナで開催された、「スタ☆レビ大宴会~6時間大コラボレーションライブ~大抽選会付き」に行ってきました。で、6時間と銘打たれていたけど、それでは終わらないのでは(ちなみに開演は午後1時)と思ってたら、案の定、途中、休憩タイムはあったけど、8時間近くやってたのではないでしょうか。つまりこれ、ひとつの“屋内フェス”。コラボの相手はスキマにヤイコに松たか子に岸谷香に森高に美里にマーチンに小田さん、あ、杉山清貴、KAN、馬場俊英、そして放牧中のいきものの水野良樹もシークレットで登場。感心したのは各ボーカリストがそれぞれ、揺るぎない自分の歌の家元だったことと、
すべての曲、スタ☆レビがずっと伴奏してたこと。根本要のギター・ソロも、10年分くらい聴けました。