それは2月16日のMステに、あいみょんが初出演した時のことだった。曲は「君はロックを聴かない」。彼女が歌い終わったあと、司会のタモリさんが映された。“おっ、やるな”。サングラス越しに、そんな表情に思えた。タモリさんは音楽マニアでもあるし、いつでもこんな表情をするわけではないだろう。
「君はロックを聴かない」を聴いたとき、ふと思い浮かんだのが神聖かまってちゃんの「ロックンロールは鳴り止まないっ」という歌だった。似ているわけじゃないけど、音楽を切実なものと感じてる主人公が登場する部分では“近い歌”でもあるだろう。
特別なことは起こらない、ラブソング未満のラブソング
「君はロックを聴かない」は、男の子が女の子にドーナツ盤(レコードのシングル盤のこと)でお気に入りのロックを聴かせてあげる歌だ。そしたら彼女が立ち上がり、一緒に踊った、とか、そのあと二人で冬の浜辺を歩いた、とか、そういう展開は一切ない。聴かせただけといえば、まさにそれだけの歌である。
[真面目に針を落とす]という表現が出てくる。最近はアナログ流行りだし、若い方のなかにもレコード・プレイヤーを扱ったことがあるヒトも居るだろうが、アレはそもそも真面目にやらないと、針が上手にレコードの溝に乗らない。さらにこの場合、気になる女の子に聴かせてあげるんだし、いつもより慎重だったことが想像できる。
[フツフツと鳴り出す]の“ふつふつ”は、お湯が沸くときなどに使われる形容だが、音楽がイントロから立ち上がり、エネルギーを発散し始めることを指している。それと同時に、このレコードが何度も愛聴されたもので、プチプチとスクラッチ・ノイズも再生されてしまう状態を表しているとも受け取れる。
で、ここからが肝心だが、タイトルにもある通り、「君はロックを聴かない」かもしれないのに、男の子は女の子に聴かせようとする。気に入ってくれるかどうかの自信はない。歌詞の前半では、聴かないと[思いながら]とか[思うけど]という表現を使っている。さらに後半では、ロックを[聴かないこと知ってるけど]と、もはや断定調に変わる。
ドーナツ盤だから、1曲のみで終わる。その間、時間にして数分間のストーリーである。結局、相手の彼女がどう反応してくれたのかは、最後まで不明だ。繰り返すが、ただそれだけといえば、それだけの歌である。
“ロックなんか”と繰り返されるうち、いつしか身につまされ、夢中になる歌
それだけなのだが、心に残る歌なのだ。歌詞に重要なポイントがある。タイトルは「君はロックを聴かない」だけど、歌詞では[ロックなんか聴かない]と表現しているのである。この“なんか”が、実に胸に刺さる。様々な想いが、胸の奥へと広がっていく。
ロックを聴くヒトと聴かないヒトでは、何が違うのだろうか。考え方が違うだろうし、ファッションも違うだろう。ロックを聴いているヒトには、自らそれを選び取ったという自負があるはずだ。だからこそ逆に、安易に自分の趣味を、他人に押しつけたりはしないだろう。
レコードを聴かすことには、「好きだ」と告白する以上の意味が…。
それでも気になる女の子には、ぜひ聴かせたいと決めたからこそ、“ロックなんか”という、へりくだった表現が選ばれたのかもしれない。男の子自身は、決して“なんか”とは思ってない。ロックという音楽を“命”のように大切にしてる。この場合、好きなレコードを女の子に聴いてもらうという行為は、言葉で「好きだ」という以上の精神的に重たい意味を持っている。
敢えてこの歌には“スペース”を
アルバム『青春のエキサイトメント』や既発シングルなど聴くと、彼女は実に柔らかな言語感覚の持ち主であることが分かる。チクっとした言葉もマルっとした言葉も自由自在だ。「君はロックを聴かない」にしても、もっと微に入り細に入り、様々な歌詞の装飾も可能だったろう。でも、敢えてそれはしなかったのではなかろうか。その結果、聴き手が思い入れや独自の解釈ができるスペースが、たくさん用意された歌となった。
ファースト・アルバム『青春のエキサイトメント』の“傑作性”とは?
ここでしか出逢えない詞の視点が満載で、名曲揃いなのが『青春のエキサイトメント』である。インディーズ時代のほうがぶっちゃけ感はあるけど、そのままやりたきゃメジャーに来る理由はない。よく多くの人達の耳に触れ、だからって萎縮せず、見事に“あいみょんらしさ”を更新出来ているのが、このメジャー・ファースト・アルバムなのだ。
衝撃のデビュー曲「生きていたんだよな」について書くと、そもそもこのタイトルからして、本来日本語にはない現在完了形っぽいニュアンスで、自ら死を選んだこのセーラーの少女に対する哀悼を表している。J-POPファンのなかには、ユーミンの「ツバメのように」を想い出す人もいるかもしれない。あぶないから離れろは[集合の合図]なのだという、集団心理に対するニヒルな観察も鋭い。
「いつまでも」という作品もいい。メジャーへ進出した自分よガンバレみたいな歌と受け取れる。イタい経験自慢みたいなことが、そのまま説得力となる安直な風潮に対して、疑問を投げかける歌詞でもある。世の中にある[表現]というのは[同情で成り立ってんのかなあ]というのは、僕自身も常々想ったりすることでもある。
詞のコラムなので、それを中心に書いたが、ボーカリストとしてのあいみょん、作曲のほうもあいみょんにも、大きな可能性を感じる。特にボーカルは、作品によってキャラが少し変化する歌声を披露している。自分のなかに様々なボーカリストが“住んで”いるなら、それがそのまま、楽曲作りの多様さへもつながるだろう。
確かどこかのインタビューで、日本語の表現の巧みさという意味においては官能小説に惹かれる、といった発言をしていたと思う。これも非常に共感できる話だった。インディーズの頃の作品だが、「いいことしましょ」には、そんなテイストもある。彼女のことなら、まだまだ色々と書けそうだが、次の機会に。
「君はロックを聴かない」を聴いたとき、ふと思い浮かんだのが神聖かまってちゃんの「ロックンロールは鳴り止まないっ」という歌だった。似ているわけじゃないけど、音楽を切実なものと感じてる主人公が登場する部分では“近い歌”でもあるだろう。
特別なことは起こらない、ラブソング未満のラブソング
「君はロックを聴かない」は、男の子が女の子にドーナツ盤(レコードのシングル盤のこと)でお気に入りのロックを聴かせてあげる歌だ。そしたら彼女が立ち上がり、一緒に踊った、とか、そのあと二人で冬の浜辺を歩いた、とか、そういう展開は一切ない。聴かせただけといえば、まさにそれだけの歌である。
[真面目に針を落とす]という表現が出てくる。最近はアナログ流行りだし、若い方のなかにもレコード・プレイヤーを扱ったことがあるヒトも居るだろうが、アレはそもそも真面目にやらないと、針が上手にレコードの溝に乗らない。さらにこの場合、気になる女の子に聴かせてあげるんだし、いつもより慎重だったことが想像できる。
[フツフツと鳴り出す]の“ふつふつ”は、お湯が沸くときなどに使われる形容だが、音楽がイントロから立ち上がり、エネルギーを発散し始めることを指している。それと同時に、このレコードが何度も愛聴されたもので、プチプチとスクラッチ・ノイズも再生されてしまう状態を表しているとも受け取れる。
で、ここからが肝心だが、タイトルにもある通り、「君はロックを聴かない」かもしれないのに、男の子は女の子に聴かせようとする。気に入ってくれるかどうかの自信はない。歌詞の前半では、聴かないと[思いながら]とか[思うけど]という表現を使っている。さらに後半では、ロックを[聴かないこと知ってるけど]と、もはや断定調に変わる。
ドーナツ盤だから、1曲のみで終わる。その間、時間にして数分間のストーリーである。結局、相手の彼女がどう反応してくれたのかは、最後まで不明だ。繰り返すが、ただそれだけといえば、それだけの歌である。
“ロックなんか”と繰り返されるうち、いつしか身につまされ、夢中になる歌
それだけなのだが、心に残る歌なのだ。歌詞に重要なポイントがある。タイトルは「君はロックを聴かない」だけど、歌詞では[ロックなんか聴かない]と表現しているのである。この“なんか”が、実に胸に刺さる。様々な想いが、胸の奥へと広がっていく。
ロックを聴くヒトと聴かないヒトでは、何が違うのだろうか。考え方が違うだろうし、ファッションも違うだろう。ロックを聴いているヒトには、自らそれを選び取ったという自負があるはずだ。だからこそ逆に、安易に自分の趣味を、他人に押しつけたりはしないだろう。
レコードを聴かすことには、「好きだ」と告白する以上の意味が…。
それでも気になる女の子には、ぜひ聴かせたいと決めたからこそ、“ロックなんか”という、へりくだった表現が選ばれたのかもしれない。男の子自身は、決して“なんか”とは思ってない。ロックという音楽を“命”のように大切にしてる。この場合、好きなレコードを女の子に聴いてもらうという行為は、言葉で「好きだ」という以上の精神的に重たい意味を持っている。
敢えてこの歌には“スペース”を
アルバム『青春のエキサイトメント』や既発シングルなど聴くと、彼女は実に柔らかな言語感覚の持ち主であることが分かる。チクっとした言葉もマルっとした言葉も自由自在だ。「君はロックを聴かない」にしても、もっと微に入り細に入り、様々な歌詞の装飾も可能だったろう。でも、敢えてそれはしなかったのではなかろうか。その結果、聴き手が思い入れや独自の解釈ができるスペースが、たくさん用意された歌となった。
ファースト・アルバム『青春のエキサイトメント』の“傑作性”とは?
ここでしか出逢えない詞の視点が満載で、名曲揃いなのが『青春のエキサイトメント』である。インディーズ時代のほうがぶっちゃけ感はあるけど、そのままやりたきゃメジャーに来る理由はない。よく多くの人達の耳に触れ、だからって萎縮せず、見事に“あいみょんらしさ”を更新出来ているのが、このメジャー・ファースト・アルバムなのだ。
衝撃のデビュー曲「生きていたんだよな」について書くと、そもそもこのタイトルからして、本来日本語にはない現在完了形っぽいニュアンスで、自ら死を選んだこのセーラーの少女に対する哀悼を表している。J-POPファンのなかには、ユーミンの「ツバメのように」を想い出す人もいるかもしれない。あぶないから離れろは[集合の合図]なのだという、集団心理に対するニヒルな観察も鋭い。
「いつまでも」という作品もいい。メジャーへ進出した自分よガンバレみたいな歌と受け取れる。イタい経験自慢みたいなことが、そのまま説得力となる安直な風潮に対して、疑問を投げかける歌詞でもある。世の中にある[表現]というのは[同情で成り立ってんのかなあ]というのは、僕自身も常々想ったりすることでもある。
詞のコラムなので、それを中心に書いたが、ボーカリストとしてのあいみょん、作曲のほうもあいみょんにも、大きな可能性を感じる。特にボーカルは、作品によってキャラが少し変化する歌声を披露している。自分のなかに様々なボーカリストが“住んで”いるなら、それがそのまま、楽曲作りの多様さへもつながるだろう。
確かどこかのインタビューで、日本語の表現の巧みさという意味においては官能小説に惹かれる、といった発言をしていたと思う。これも非常に共感できる話だった。インディーズの頃の作品だが、「いいことしましょ」には、そんなテイストもある。彼女のことなら、まだまだ色々と書けそうだが、次の機会に。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新たな才能は、今日も産声をあげます。そんな彼らと巡り会えれば、己の感性も更新され続けるのです。
まだ細かいことは書けないのですが、興味深い仕事を立て続けにこなしまして、集中力は持つのだろうかと思ったのですが、けっこう順調で、新たな自信になりました。ところで…。このコラムで取り上げたback numberの「瞬き」について、多くの反響を頂いたようで、みなさま本当にありがとうございます! この流れに便乗するわけではないのですが、先のドーム・ツアーに関するレポートを、こちらの「エンタメ・ステーション」さんにて書かせて頂いてますので、よろしかったら読んでくださいませ。宣伝でしたー。
音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新たな才能は、今日も産声をあげます。そんな彼らと巡り会えれば、己の感性も更新され続けるのです。
まだ細かいことは書けないのですが、興味深い仕事を立て続けにこなしまして、集中力は持つのだろうかと思ったのですが、けっこう順調で、新たな自信になりました。ところで…。このコラムで取り上げたback numberの「瞬き」について、多くの反響を頂いたようで、みなさま本当にありがとうございます! この流れに便乗するわけではないのですが、先のドーム・ツアーに関するレポートを、こちらの「エンタメ・ステーション」さんにて書かせて頂いてますので、よろしかったら読んでくださいませ。宣伝でしたー。