2015年9月30日発売
今回はサカナクションの2015年の作品「新宝島」を取り上げよう。この作品は、映画『バクマン。』の主題歌として制作されたが、そのことを意識して聴くと、夢を目指し奮闘する若きマンガ家の姿を描いたあの作品の主題歌ならではの表現も見うけられる([描く]、などはまさに…)。
意味よりノリで勝負だが無意味ではない
どちらかというとこの曲は、パッと聴いた時の印象としては、意味よりノリで勝負するタイプだろう。別の言い方をするなら、迅速に届けられたコトバが、あとからじっくり、受取った人間の頭のなかで荷解きを済ませ、心に響いてくるタイプの楽曲である。そしてそれは、我々の日常生活における、心地良い刺激や励ましのメッセージへと変わっていく(例えば[君を連れて行く]という力強い表現など特に)。
なぜこの歌はこんなタイトルなのか?
もちろん[宝島]とは、この歌の登場人物達が目指す場所である。タカラジマの“ラ”にアクセントを置いたメロディへの乗せ方もお洒落。聴き慣れたコトバを、ピカピカに磨き直す。
よく言われるのは、手塚治虫の名作に、同名のものがあるということだ。でも、そのことだけを示して、“ほーら”と、種明かししたような気分になってしまっては、歌の作者である、山口一郎に失礼だろう。この話、さらに続ける。
もし山口が手塚にあやかったものがあったのなら、それはなんだろう? こう考えるべきだ。そこで注目すべきは、「新宝島」の“新”の部分。ちょっと説明する。あのマンガは世界中で愛され続けてきたスティーヴンソンの「宝島」を、そのまま描いたわけじゃない。独自の解釈を、大いに加えたものだった(原作は酒井七馬)。だからこそ、「新宝島」なのである。
これを音楽に置き換えるならどうだろう? つまりは“和製ポップス”ということだ。海外の文化に影響されつつも、日本独自の感覚もミックスさせ、ここにしかないオリジナルを作る…。その想いにおいて、両者は共通すると言えるだろう。
“次”、“次”といいつつ、停滞する感じがクセになる
ここからは、歌詞でポイントとなる部分をみていこう。でもそれは、いきなり冒頭の部分だ。冒頭から、心地良い緊張感に包まれる。ちなみにバンドの演奏は、印象的なリフに支えられ、このリフが、泣き笑いの感覚(長調とも短調ともつかない深みのあるサウンド)に支えられ、私達はグイグイ引き込まれていく。
そんな中、いきなり耳がクギヅケなのが、[次と][その次と][次の]という“ツギツギ攻撃”だ。次って言われると人間、もちろんその先に目線を移そうとするのだが、ここでのメロディの感覚は、その場所に停滞する雰囲気でもある。
でもここで充分にバネを縮めて縮めてエネルギーを蓄えて、サビでぴょ~んと、一気に解放されるのだ。[君を連れて行く]という表現が、嘘偽りないものであることを実感するのである。
あれは『Gメン'75』+スクールメイツなのか!?
久しぶりに「新宝島」のMVを観たら、最後にそのことも書きたくなったのでオマケである。いま観ても、非常に完成度が高い。ディテイルを疎かにすると、そこから解れていくのが完成度というモノだが、その点、このMVはメンバーの演奏シーンから彼らが各々のPCをみつめるシーンへの転換、および、ダンサーがポンポンで描くハートの形まで抜かりない。
ドリフのパロディ、みたいな紹介もされるが、より正確に表現するなら、これは“『Gメン'75』とスクールメイツのマッシュアップ”ではなかろうか。威風堂々と並んで歩くのが『Gメン'75』風であり、もちろんスクールメイツの面々の弾ける若さ(死語)はドリフの人気番組へのオマージュになっている。
“静”と“動”の対比もテーマだろう。このMVの一番の見どころは、後ろで踊る彼女たちのポンポンが、一瞬、前で歌う山口の頬に接触する場面であり、それでも表情を一切崩さない彼の、鉄壁のスタイリッシュさが眩しいのである。
意味よりノリで勝負だが無意味ではない
どちらかというとこの曲は、パッと聴いた時の印象としては、意味よりノリで勝負するタイプだろう。別の言い方をするなら、迅速に届けられたコトバが、あとからじっくり、受取った人間の頭のなかで荷解きを済ませ、心に響いてくるタイプの楽曲である。そしてそれは、我々の日常生活における、心地良い刺激や励ましのメッセージへと変わっていく(例えば[君を連れて行く]という力強い表現など特に)。
なぜこの歌はこんなタイトルなのか?
もちろん[宝島]とは、この歌の登場人物達が目指す場所である。タカラジマの“ラ”にアクセントを置いたメロディへの乗せ方もお洒落。聴き慣れたコトバを、ピカピカに磨き直す。
よく言われるのは、手塚治虫の名作に、同名のものがあるということだ。でも、そのことだけを示して、“ほーら”と、種明かししたような気分になってしまっては、歌の作者である、山口一郎に失礼だろう。この話、さらに続ける。
もし山口が手塚にあやかったものがあったのなら、それはなんだろう? こう考えるべきだ。そこで注目すべきは、「新宝島」の“新”の部分。ちょっと説明する。あのマンガは世界中で愛され続けてきたスティーヴンソンの「宝島」を、そのまま描いたわけじゃない。独自の解釈を、大いに加えたものだった(原作は酒井七馬)。だからこそ、「新宝島」なのである。
これを音楽に置き換えるならどうだろう? つまりは“和製ポップス”ということだ。海外の文化に影響されつつも、日本独自の感覚もミックスさせ、ここにしかないオリジナルを作る…。その想いにおいて、両者は共通すると言えるだろう。
“次”、“次”といいつつ、停滞する感じがクセになる
ここからは、歌詞でポイントとなる部分をみていこう。でもそれは、いきなり冒頭の部分だ。冒頭から、心地良い緊張感に包まれる。ちなみにバンドの演奏は、印象的なリフに支えられ、このリフが、泣き笑いの感覚(長調とも短調ともつかない深みのあるサウンド)に支えられ、私達はグイグイ引き込まれていく。
そんな中、いきなり耳がクギヅケなのが、[次と][その次と][次の]という“ツギツギ攻撃”だ。次って言われると人間、もちろんその先に目線を移そうとするのだが、ここでのメロディの感覚は、その場所に停滞する雰囲気でもある。
でもここで充分にバネを縮めて縮めてエネルギーを蓄えて、サビでぴょ~んと、一気に解放されるのだ。[君を連れて行く]という表現が、嘘偽りないものであることを実感するのである。
あれは『Gメン'75』+スクールメイツなのか!?
久しぶりに「新宝島」のMVを観たら、最後にそのことも書きたくなったのでオマケである。いま観ても、非常に完成度が高い。ディテイルを疎かにすると、そこから解れていくのが完成度というモノだが、その点、このMVはメンバーの演奏シーンから彼らが各々のPCをみつめるシーンへの転換、および、ダンサーがポンポンで描くハートの形まで抜かりない。
ドリフのパロディ、みたいな紹介もされるが、より正確に表現するなら、これは“『Gメン'75』とスクールメイツのマッシュアップ”ではなかろうか。威風堂々と並んで歩くのが『Gメン'75』風であり、もちろんスクールメイツの面々の弾ける若さ(死語)はドリフの人気番組へのオマージュになっている。
“静”と“動”の対比もテーマだろう。このMVの一番の見どころは、後ろで踊る彼女たちのポンポンが、一瞬、前で歌う山口の頬に接触する場面であり、それでも表情を一切崩さない彼の、鉄壁のスタイリッシュさが眩しいのである。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
以前は暑い夏には南国の音楽を、という感じで、ハワイのスラックキーというギターの音楽とか、定番中の定番でボサノヴァとかを聴くことが多かったのだが、ここ最近はそれにも飽きて、何かないかなぁと思いつつ、ふと手を伸ばすのがベッカ・スティーヴンスの『Weightless』とかだったりする。少し前にリリースされたものなのだが、なぜコレを聴きたくなるのかというと、彼女の歌声が、妙なビブラートに頼らない、素直で伸びやかなものだからだ。とはいえ少し前に流行った“オーガニック”って感じともまた違って、音楽的な要所はけして外さない"芯をくった"歌というか…。こういうこと書いてると、また聴きたくなった。
以前は暑い夏には南国の音楽を、という感じで、ハワイのスラックキーというギターの音楽とか、定番中の定番でボサノヴァとかを聴くことが多かったのだが、ここ最近はそれにも飽きて、何かないかなぁと思いつつ、ふと手を伸ばすのがベッカ・スティーヴンスの『Weightless』とかだったりする。少し前にリリースされたものなのだが、なぜコレを聴きたくなるのかというと、彼女の歌声が、妙なビブラートに頼らない、素直で伸びやかなものだからだ。とはいえ少し前に流行った“オーガニック”って感じともまた違って、音楽的な要所はけして外さない"芯をくった"歌というか…。こういうこと書いてると、また聴きたくなった。