今まで、自分が卒業式で歌える曲がなかったと語るSHIROSE。そんな彼が自身の日記をもとに書いた「咲かないで」の歌詞には、旅立ちの日を目の前にした卒業生のリアルな淋しさや切なさ、キレイゴトではない“本音”が描かれています…。今回のインタビューでは、新曲への想いをはじめ、メンバーそれぞれの忘れられない卒業式エピソードなどたっぷりお伺いしました!
作曲:SHIROSE・ヒロイズム
咲かないでよ 咲かないで 桜の木揺れる
窓の外に吹いた風が 暖かすぎるよ
いわないでよ いわないで さよならじゃないから
桜色が彩る頃 僕らはまだここにいれるかな もっと歌詞を見る
2008年に“WHITE JAM”を結成する前は、それぞれソロで活動なさっていたんですよね。どのような経緯でこの3人でやっていこうということになったのですか?
SHIROSE:もともとグループを組もうと思って集まったわけではなくて、遊んでいるうちに曲ができて、曲ができたからみんなで一緒にライブしようかという流れだったので、実はそんなに深い理由はないんですよね。だから明確な結成日もないんですけど、アーティストとして本格的に3人でやっていこうと思い始めたのは2011年くらいでしたね。
GASHIMA:3年間なにしてんねんって感じですよね(笑)。やっとグループ感が出てきたのがそれくらいで、2010年なんてほぼ解散みたいな状態でしたし。
SHIROSE:最初は僕がすごく嫌われていました(笑)。性格が悪いというか、デリカシーがないってよく言われるんです。物事を最短距離でいう病気なんですよ、僕。思ったことを直球で言ってしまう。前に『サトラレ』って映画あったじゃないですか、めっちゃ共感します(笑)。
では、まず皆さんの音楽ルーツをお伺いしたいのですが、SHIROSEさんはいかがですか?
SHIROSE:聴いてきた音楽のルーツは色々あるんですけど、作品の作り方として影響を受けているなぁと思うものは2つです。1つは「星新一」さんの本で、小学校の頃ずっと読んでいました。子どもでもわかるような簡単な言葉で書いてあるんですけど、大人になって読むとまた新しい意味に気がつくというか…。自分の曲もそうでありたいんですよね。もう1つは、スポーツ選手の発言です。僕はもともとアスリートで、19歳くらいまでプロを目指してスポーツをやっていたこともあって、選手のインタビューを見るのがすごく好きなんです。その人たちの考え方や生き方から影響を受けている部分は大きいと思います。
例えば、どんな言葉が心に残っていますか?
SHIROSE:貧しい国の選手のインタビューはいつも印象的ですね。ケニアとかエチオピアのマラソン選手ってすごく強いんですよ。それは何故かというと、もし僕が優勝したときに『この気持ちを誰に届けたいですか?』と聞かれたら「親に」とか「応援してくれた人に」って答えると思いますけど、彼らは違うんです。『最後は何を考えてましたか?』と聞かれたらもう真っ直ぐな目で「金!」とか言うんですよ!でも、それはギャグじゃなくて本当に貧しい国だから「勝たないと僕は死ぬ」っていう本気のハングリー精神から出た言葉なんですよね。やっぱりその気持ちの強さが違いだなぁって。そういう生き方をカッコイイなぁと思います。
なるほど。お二人はいかがですか?
NIKKI:私は高校のときダンス部だったことが大きいです。それまでは全く音楽を聴かなかったんですけど、みんなと色んな曲で踊るようになったのがきっかけで好きになりました。今でも聴くのは洋楽が多いですね。
GASHIMA:僕は中学1年の時にアメリカへ引っ越したんですけど、その時に向こうで流行っていたのがHIP HOPだったんです。音楽チャートのトップ10のうち6〜7曲はラップやR&Bがランクインしているような時代でした。だから友達もみんなそういう曲が好きで、授業中にフリースタイルで即興ラップをやったりして。僕もある日、英語なんて全くしゃべれないのに突然やってみろと言われました(笑)。その時は知っていた“Zeebra”さんのラップで乗り切ったんですけど、言葉が通じないながらもすっごく盛り上がったんですよね。もちろんラップって言葉の音楽だから内容も大事だけど、「あー、なんか言語を超える何かがあるかもなぁ」って。そこから自分も日本語でラップ詞を書き始めましたね。
先ほど「やっとグループ感が出てきた」とおっしゃっていた2011年の、3月3日に初のWHITE JAMワンマンライブを実施し、本格的な活動をスタートされましたが、まさにこれから!という時に東日本大震災があったことで、音楽活動にも影響があったのではないでしょうか。
SHIROSE:かなりありましたね。周りでもたくさんのグループが解散しましたし。でも僕たちは、大停電が予定された日にその暗闇の中で音楽を作りました。仲間のアーティストを集めて歌って、その曲の売り上げを被災地の人たちに募金しようとか、支援物資の呼びかけにしようとか。自分らにできることならなんでも良かったんですけど、当時は二十歳過ぎくらいだったので音楽しか思いつかなかったんです。でも、その曲が誰かにとって一つのきっかけになればいいなぁって。いつも思うんですけど、曲は作っているだけでは誰の何のためにもならなくて、ちゃんと届けることで武器やアイテムになるものだと思うんです。曲を聴いた人たちが支援物資を集めてくれたりしたらそれって“意味”じゃないですか。そういう意味のある音楽が好きなんですよね。
それから約3年後、2014年1月にメジャーデビューをされて、同年の9月にリリースした3枚目のシングル「ウソツキ」が口コミでかなり話題になりましたよね。iTunes総合チャートやラジオリクエストなどでも1位でしたし、歌ネットでも歌詞が注目されていました。
SHIROSE:この曲は実話なんですよ。お母さんが重い病気になってしまった時のことで、僕の高校時代の日記をもとに作りました。病名って、本人には宣告をしなかったりするじゃないですか。お父さんも家族に本当のことを言わなかったけど、僕はなんとなく気づいていました。だけどお互いにそれを隠して「お母さん大丈夫だと思うで!」みたいな励ましをし合って。そういう中で生まれた感情を綴った歌詞なんです。恋愛タッチの曲に聴こえるかもしれないけど、同じように“嘘”の中で苦しんでいる人に「ひとりちゃうねんで」という気持ちが届けばいいなと思って書いたので、「ウソツキ」が誰かの励みになっているという声が届くとすごく嬉しいですね。
NIKKI:あと「ウソツキ」はインディーズの時に発表していた曲なんですけど、私たちは当時、渋谷の小さいクラブで活動をしていた1アーティストに過ぎなかったんです。でも“WHITE JAM”についてくれていた2〜30人のファンの方がSNSで一生懸命この曲を広めてくれて…。そこから1、2年でYouTubeの動画が100万回、200万回と再生され、それを見た全国のイベンターさんが私たちをイベントに呼んでくれるようになっていきました。人が人に勧めてくれた結果、たくさんの人に聴いてもらえて、自分たちが渋谷から出るきっかけになった曲なのでそういう意味でもすごく思い出深いですね。